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weekend  作者: 花椰チサ
1/3

寝起き

 目が覚めて、けれどまた眠りたくなった。

 きっと、知らないうちに枕にしてしまっていた隣のやつの髪が、やたら匂いも肌触りもよかったせいだ。

 昨日の夜湿ったままで寝ようとするから、俺が乾かしてやったわけだが。

 腰に届きそうなくらい長くのびたこいつの髪は、ほったらかしの割にたいして傷んでいない。

 それはときどき俺が世話しているからだろうかと、指通りを確かめるたび思う。

 いちばん気に入っているパーツだということはとっくに持ち主にはバレていて、からかいながらも好きにさせてくれている。

 俺が手で触れることを許されているのが、髪の他は首から上と手だけだからだろう。(ありえないほどのくすぐったがりだという色気のない理由だ。こいつは二の腕も肩も膝も弱い)

 腕が触れても笑うほど脇腹が弱くなかったら抱きしめて眠るのにと、ややしょっぱいことを考えながら片肘ついて髪をなでていたら、目を覚ましてすこし笑った。

 まぶしいのか、猫のように目を細める。


「おはよ」

「おはよう」


 お互いに寝起きの声であいさつしたが、


「おやすみ」

「寝るのかよ」

「だって。……もう年かな」

「まだ二十四だろ」

「今年で二十五だよ?」

「久しぶりだったからか?」

「あーうん、そうかも。実に一ヶ月ぶり。でもたぶん夕飯もたれた」


 豆腐を入れたきのこたっぷりの煮込みハンバーグだったんだが、量が多かった。

 三週間ぶりにこいつと台所に立って、お互いにはしゃいでしまった。

 寝るのは今ではもうおまけみたいなもので、料理したりしゃべったり、そういうことを楽しむためにこいつの部屋に来ている。

 それこそ年かと思うが、そうじゃないことはよくわかってる。

 何もせずにしゃべり倒して疲れて眠るほうが、こいつが緊張しないからだ。

 こいつのことは中一のときから知ってる。

 高校は別だったが偶然会うことはときどきあったし、学部は違っても大学は同じだった。

 職場だって同じだ。教諭と司書教諭。

 俺が教えるのは数学だから関わることはないが、顔をあわせることくらいはある。


 だが俺はこいつに、望まない関係を強いた。

 一生許されなくても仕方のないことをした。

 あの日。

 こいつの背中がどんどん細くなっていくのをずっと見ていて、耐えられなくなった日のことを、覚えている。

 ふたりとも二十一だった。

 中学卒業と同時に別れてから、六年たっていた。




「聞こえてる? 寝なおす?」

「悪い、何」


 考え込んでいたせいで聞こえなかった。

 ずっと声をかけられていたらしい。


「ちょっと通して。とりあえずお湯沸かす」

「ん」


 狭いシングルベッドで、こいつは壁側に寝る。

 どっち側に寝てもおれもこいつも落ちないが、そこは持ち主を優遇している、つもりだ。

 しかし俺が起きないとこいつもベッドから出られないという不便さがある。

 今朝は暗いから起きるのは遅かったが、いつもはこいつのほうが先に起きて裾の長いTシャツを着て、またもぐり込んで待っている。

 見れば今もいつの間にか一枚着てしまっていた。

 俺の温度が残っているだろうシーツを踏んでぬけ出した後ろ姿は惜しげもなく脚をさらしていて、短いワンピースみたいなTシャツの下は何も、と考えてしまって焦った。

 こうなってもう何年目だ。


 持参した下着と部屋着を身につけて、トイレに入る。

 そっとドアにもたれて息をひとつついた。

 入るとき、キッチンと狭い廊下を隔てて向かい合わせの位置にあるから、流しの前に立つあいつのそばを通った。

 寝乱れた髪を梳いてやりたくなって、丸いのに薄い肩に触りたくなって。

 気がついたら何度も洗ってこなれた布地の下の、やわらかくて温かい体を意識してしまっていた。

 不自然に立ち止まった俺をふり返ろうとするあいつの横を、別になんて言って実は必死に色々抑えながらすりぬけ、ドアを隔てるとほっとして力が抜けた。

 嫌がるだろうし歯磨き中だったし、と髪の一本にも触れられなかった手を見るともなしに見る。

 昔より育った、俺の手。

 こんな風に抱きしめたいとか触れたいとかいう欲求が爆発しそうだと、中学のときを思い出す。

 野暮ったいセーラー服の下のやわらかさと、互いの頬や首のあたりをふわふわなでた毛先の感触。

 シャンプーの匂い、つないだ手の温度。

 『あっちゃん』と俺を呼ぶときだけ、やけに幼くなった声。

 今でも思い出すとのどの奥あたりが苦しくなる。

 だが本当に何年前だと思っているのか。もう俺もあいつも大人になってしまった。

 『あっちゃん』なんて呼ばれることはないし、十五歳の短い間にほんの数回だけ呼んだあいつの名前を、俺も呼ばない。


 感傷めいた気分をひきずってトイレから出てくると、水の入ったカップと俺用の歯ブラシを渡された。

 過保護な母親がよく泊まりにくるという話なんだが、見つかっていないんだろうか。

 着替えは置いていないし、歯ブラシ一本くらいなら隠せるだろうけど。

 疑問だが母親のことは禁句なので訊かない。

 別れた理由のひとつだったんだろうと思っている。




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