14話 二人の物語
ルリウスは自然と、二人が初めて出会った川岸に立っていた。
金なら侍従の仕事をして少しは溜まった。
これを持って他の領地に行くのだ。
本当はエイカの景色も、ジェミールも、離れがたいが……。
遥か広がるツンドラと海を目に焼き付けていると、背後から声がした。
「ルリウス!」
それはジェミールであった。
ルリウスは何も言わずにに立ち尽くす。
その前でジェミールは剣を地面に置き、持っていた本を両手で抱えた。
「全て、思い出したんだ。
何故、ルトレフを殺せて良かったと安堵していたのか……それも思い出せた。
まだほんの少しでも俺を好きだと思ってくれるなら、聞いてほしい。
グラーリド・リンドートの話を」
二百年前。
古くからネツァーリクに仕える家系の将軍たちが、謁見の間に集められる。
グラーリドもその一人であった。
「これから我が配下に加わるのはエイカという合議制商人の者どもだ。
将軍として取り立てた代表者の名は、ルトレフ・ヴィオレツク……丁度グラーリドと同年代の若者だ」
合議制商人という特異な出身、聞き慣れぬ響きの名前。
その場にいた皆がざわつく。
グラーリドだけは、黙ってネツァーリクを見上げていた。
「神器を手に入れるためには奴らの協力は必要だ。
しかし奴らは代々主君というものを持たず、金に付く虫のような生態をしている。
くれぐれも警戒するように」
「俺は未熟だった。だからネツァーリクの言葉を間に受けて、ルトレフを警戒し、対話する機会を逃し続けた……」
ジェミールが言う。
「……それは俺も同じだ。
要するに俺たちはネツァーリクに、手柄を争わせるために対立させられていたのだろう」
ルリウスも言った。
「俺のネツァーリクへの忠義が解けたのは、ラケル正教が国教として制定された時だ。
まさか、外様の将軍を切って捨てるような人間だとは思わなかった。
だが王命には従うしかなかった……王都には家族が居たから」
ジェミールは、その中のグラーリドは、震える両手を見下ろす。
「グラーリド家はエイカへの侵攻を志願した。
他の誰かに奪われるくらいなら、俺がエイカの領主を引き継ぎたかった! ルトレフをこの手で殺したかったんだ! だから、ルトレフを殺した記憶が甦った時……安堵したんだ」
小鬼を退治している時に甦った記憶の断片は、そういうことだったのか。
「でも本当は、ルトレフに恋していた……。
あんなに意見をぶつけられて対等に接することの出来る者は初めてで、ずっと一緒に居たいと思っていたことに、お前の死後に気付いたんだ。
時代や環境が許すなら、守ってやりたかった……」
時代に歪まされた、切ない愛。
真っ直ぐに伝えられたそれは、ルリウスの頭をがつんと殴りつける。
「ルリウス、この本を見てほしい。
本来は門外不出のものなのだが……」
そう言ってジェミールが開いた本には、驚くべき文章が載っていた。
『陸で死んだ海鳥を仲間が悼む
哀れな海鳥の魂は五〇年を四回数えて
故郷に帰ってくると恋人を見つける』
「何故!? これは母が教えてくれた秘密の歌……。何故リンドート家の本にそれが? だからあんた、ルリウスと初めて出会った時に運命とかどうとかって……!」
ルリウスの言葉に、ジェミールは静かにうなずく。
「この歌はな、エイカ古来の巫女にだけ伝わっていた歌だったのだ。
ルリウスがそれを知っていたのは、巫女の末裔だったから。
そしてこの本に歌が書いてあるのは……国教に押されて消えゆくエイカの宗教を守ろうとグラーリドが蒐集したから」
「何故、そんなことを……」
神殿が次々に壊されていく。
それをグラーリドはぼうっと見ていた。
ルトレフを殺してから、彼に抱いていた気持ちが恋心であったと気付いたグラーリドは、虚しさに襲われていたのだ。
「あなた、神殿に興味があるの?」
声を掛けてきたのは巫女の一人だった。
グラーリドが答えかねていると、巫女は話し始めた。
「あなたがグラーリド・リンドート……私の息子を討った将軍だということは知っている。
でもルトレフとグラーリドの立場が逆だったら、ルトレフはあなたのお母様に恨まれる立場になっていたでしょう。
そもそも戦場に送り出した時点で覚悟はしていたこと。
お互い様よ」
なんと巫女は、ルトレフの母であった。
「あなたが、リマ様でしたか……」
「ええ。あなたが今どんな感情を抱いていようと、ネツァーリクに密告するつもりは無いわ。安心して」
リマにならば頼める。
グラーリドは頭を下げた。
「あなたたちの神話を聞き取って、文字として秘密裏に残したい……。
それがルトレフ様や巫女の方々、民への贖罪になるかは分からない。自己満足かもしれない。
でも、このままエイカの神話を失ってはいけない気がするんです!」
きょとんとしたリマを見て、グラーリドは我に返った。
「いえ……リマ様に頼むのは筋違いですよね。
せめて他の巫女を当たります」
「構わないわ。私も協力いたします」
「え……」
「私が率先して協力した方が、他の巫女たちも気兼ねなく協力してくれるでしょうから」
エイカの領主はリンドート家になり、港の管理権はオルエルン家のものとなった。
しかしグラーリドは政務の合間を縫っては、密かに巫女から神話や歌を聞き取り、文字や楽譜にした。
愛想を尽かした妻は密通の末に子を産み、それがリンドート家の長男として育てられることになったが、グラーリドにとっては些細なことだった。
さらにジェミールは言う。
「それに、世界でネツァーリクだけが神器の力を発揮して天下泰平を成し遂げたのは変だったと思わないか?」
「言われてみれば……」
「あれは、奇跡の前借りだったんだ」
グラーリドはルトレフを城内に手厚く弔い、毎日のように花を捧げていた。
『もし生まれ変わりがあるのならば、今度は平和な世界でルトレフと恋人になりたい……』
その時、ルトレフの遺骨が光り輝いた。
ルトレフの遺体は神器と化し、奇跡を起こしていたのだ。
「俺の願いが叶うためには、平和な世の中が必要不可欠だ。
だから因果の過去と未来が逆転して、俺の願いを叶えるためにネツァーリクの願いが先に叶った」
「……なるほど。それはあり得る話だ」
「陸で死んだ海鳥を仲間が悼む
哀れな海鳥の魂は五〇年を四回数えて
故郷に帰ってくると恋人を見つける
……これはルリウスと俺を予言していたのかもしれないな」
「……グラーリド……ジェミール……今も俺を好きでいてくれるか?」
「ああ。二百年前から、この気持ちは変わらない」
長い夕日の下で、二つの影が一つになる。
個人の力は儚い。
権力に勝つのは簡単ではない。
しかし。
「たった一人にだけだが、歌の意味を知るべき人に歌を返せたのだろうか、俺は……」
「ああ。グラーリドのやってきたことは無駄ではなかったよ」
今日もエイカの海は猛り、冷たい風が吹き付ける。
しかし海鳥たちは懸命に、そして自由に飛んでいた。




