Case2 SNS炎上 ③
五月の終わり。
窓の外では、夕方の光がゆっくり色を失っていた。
部屋の中は静かだった。
テレビの音量は最小。
机の上にはスマホが並ぶ。
二十台。
充電ランプが、小さく呼吸するみたいに点滅している。
俺は画面を見たまま言った。
「今日、野球の世界大会の決勝があるんだ」
指先が少し汗ばんでいる。
「準決勝でも相当盛り上がってた。……優勝したら、流れが変わる」
朝陽が頷く。
暁美も、小さく息を吸った。
「乗るぞ。バズりに」
⸻
試合終了の瞬間。
遠くの家々から歓声が漏れた。
どこかで誰かが叫んでいる。
テレビ越しの歓喜が、街全体を揺らす。
スマホが震えた。
通知。
通知。
通知。
トレンド更新。
俺は即座に指を走らせる。
「リポストだけはするな」
画面を見たまま言う。
「安易なリポストだと、アルゴリズムの関係で表示されにくいんだ」
「自分のポストを中心に攻めよう。引用ポストも有効だ」
暁美が慌てて打ち込む。
朝陽の親指も震えている。
タイピング音。
呼吸音。
時計の秒針。
――戦っているのに、やっていることはただの投稿だった。
⸻
――――――――――
日本優勝キタァァァ!!! 世界大会マジ神大会だったわ。
◯谷のピッチングエグすぎる。みんな見た?
18:00 既読 10人
>> 見た見た! 最終回逆転ホームランで鳥肌立ったよ。
18:02 既読 12人
――――――――――
既読が増える。
十。
十二。
十五。
波が生まれる。
――――――――――
世界大会優勝おめでとう日本!! 村◯選手の打撃がMVP級。
これで野球熱再燃だな。次はメジャー挑戦か?
18:05 既読 15人
>> 同意! 投手陣も鉄壁だった。日系外国人のNも最高。
18:07 既読 18人
>> みんなで祝賀パレード行こうぜ。学校休んでw
18:08 既読 20人
――――――――――
誰も真宵の名前を出さない。
誰も、あの噂に触れない。
ただ、勝利の話をしている。
――――――――――
日本世界大会優勝で、野球界の未来明るいわ。
若手選手が増えて、高校野球も熱くなるはず。
18:15 既読 30人
>> うちの学校の野球部もモチベ上がってるよ。練習見に行こ。
18:17 既読 32人
>> 次大会も優勝狙えるメンバー揃ってる。楽しみ!
18:18 既読 35人
――――――――――
画面の中の空気が変わる。
俺は静かに息を吐いた。
「……こんな感じで、匿名側も行こう」
朝陽が肩を回す。
「地道だな」
「近道なんてないよ」
「こんなものは、所詮気休めにしかならないんだ」
これは消火じゃない。
ただの――時間稼ぎだ。
でも。
それでもいい。
一日でも早く。
真宵が呼吸できる世界に戻れるなら。
⸻
スマホを伏せる。
次は、画面の外だ。
「朝陽」
顔を上げる。
「お前は、行け」
「え?」
「真宵のところだよ」
部屋が静かになる。
「スマホじゃ届かない」
今の彼女は、氷の中にいる。
疑いと恐怖で固まった場所。
「最後に凍溶けさせるのは…」
「生きて寄り添う人の声だ」
少し笑う。
「それは俺じゃない」
朝陽の役目だ。
「内側と外側。両方から攻める」
朝陽が力強く頷いた。
「明日行く!あと、今日みたいな人手居る日は言ってくれよ」
その顔は、もう迷っていなかった。
俺は背中を叩く。
乾いた音。
「OK!!行ってこい、ヒーロー」
照れた笑いが返ってくる。
⸻
暁美が口を開いた。
小さな声だった。
「……私も動く」
拳を握っている。
「周りの人にさ、私が原因だって、ちゃんと話す」
逃げない目だった。
「真宵が戻ってきても大丈夫なように、みんなの誤解を解いておきたいんだ」
俺は頷く。
「暁美に任せるよ」
それが一番効く。
SNSより、人だ。
⸻
♢
六月。
七月。
時間は、ゆっくり流れた。
アニメの話題。
配信者の炎上。
新しいミーム。
世界は忙しい。
人はすぐ次へ行く。
真宵の名前は――
少しずつ、端へ追いやられていった。
完全には消えない。
でも。
中心じゃなくなる。
それでいい。
⸻
ある日。
朝陽から連絡が来た。
短いメッセージ。
開いた
それだけだった。
⸻
真宵の部屋の前に朝陽が立っていた。
ドアの隙間から光。
「……髪ぼさぼさだから、見るなよ」
少し拗ねた声。
でも。
生きている声だった。
「もう、大丈夫」
沈黙。
「明日から行くよ」
朝陽の息が震える。
「ああ」
朝陽の涙がぽたぽたと床に落ちた
「明日、朝迎えに行くよ。一緒に学校行こう」
自分で発したその言葉で、
朝陽はやり遂げたことを実感した。
⸻
七月上旬。
教室には、ざわめきとも沈黙ともつかない空気が満ちていた。
真宵が戻ってくる。
それだけで、あちこちから視線が集まる。
暁美が前へ出た。
逃げずに、真宵の前で頭を下げる。
次の瞬間。
パァン!!
乾いた音が響いた。
教室の空気が一気に凍りつく。
頬を押さえる暁美。
叩いた真宵の手も震えていた。
その目には怒りだけじゃない、行き場のない痛みが滲んでいた。
「……っ」
真宵がもう一度、何かを言おうとして息を詰まらせる。
手がわずかに持ち上がる。
その手首を、朝陽がそっと掴んだ。
「もう十分だ」
低い声だった。
叱るでも、責めるでもない。
真宵だけに届くような声。
「でも……っ」
「分かってる」
朝陽は真宵から目を逸らさない。
「分かってるけど、これ以上はお前が苦しくなる」
真宵の唇が震える。
怒っているのか、泣きたいのか、自分でも分からない顔だった。
朝陽は一歩前に出て、今度は暁美を見る。
「謝るなら、ここで形だけで済ませるな」
「真宵が何を失ったか、ちゃんと背負え」
暁美は頬を押さえたまま、俯いて頷いた。
教室の誰かが息を呑む。
まだ誰も言葉を挟めない。
朝陽は周囲を見渡して、静かに言った。
「もう見世物じゃない。席つけ」
その一言で、張りつめていた空気がようやくほどけた。
真宵は俯いたまま、震える息を吐く。
朝陽はその横に立ったまま離れない。
夜を無理に消すことはできない。
でも、朝はこうして少しずつ来るのだと、
その背中が教えているようだった。
⸻
夏休み。
補習教室の熱気。
蝉の声。
汗の匂い。
四人並ぶ机。
真宵の補修に、朝陽と暁美と俺は自主的に付き合っている。
まだ噂は残っている。
完全には消えない。
でも――
大丈夫だ。
彼女はもう、一人じゃない。
⸻
夏祭りの夜。
提灯の光。
屋台の煙。
遠くの花火。
俺と暁美は、そっと離れる。
背中を押す役目は終わり。
朝陽の声。
真宵の沈黙。
そして。
小さな頷き。
告白成功。
歓声はない。
でも確かに、何かが成立した。
⸻
「ありがとう、鉄平。ここまで付き合ってくれて」
朝陽が笑う。
「何言ってんだ、友達だろ」
それだけだ。
夏の終わりの風が吹く。
少し涼しい。
「また新学期な。真宵も入れて四人で会おうぜ」
「ああ」
――こうして。
俺の役目は終わった。




