Case3 ファッション③
【主人公:研磨視点】
美容室の自動ドアが開いた瞬間、
知らない世界の空気が流れ込んできた。
シャンプーの甘い香り。
ドライヤーの低い風音。
ハサミが規則正しく鳴る、乾いた金属音。
鏡。光。整えられた空間。
――場違いだ。
そう思った。
僕は研磨。
人生で「オシャレな場所」に自分から来たのは、たぶん初めてだった。
緊張で肩が固い。
だから今日は、特別に鉄平についてきてもらっている。
隣を見ると、鉄平は落ち着いた顔で店内を観察していた。
……なんでこいつ平気なんだ。
「本日担当させて頂きます、隼人です」
声と同時に現れた男性。
短く整えられたツーブロック。
顎髭は綺麗にラインが揃い、
ポロシャツにジーンズというラフな格好なのに――妙に存在感がある。
“プロ”だ。
そう直感した。
僕の緊張を察したのか、隼人さんはすぐに口調を柔らかくする。
「聖夜くんから聞いてるよ。オシャレ、勉強したいんだって?」
クロスを首に巻かれる。
布が触れる感触だけで、心拍数が上がる。
「……はい。自分を、変えたくて」
少し声が震えた。
隼人さんは笑った。
「よし。じゃあ――」
ハサミを軽く鳴らす。
「魔法使いに任せなさい」
その一言で、少しだけ肩の力が抜けた。
ふわり、と香りが漂う。
森の中みたいな匂い。
湿った木。
スパイス。
落ち着くのに、どこか大人っぽい。
「……森みたいな香りですね」
「あ、気づいた?」
隼人さんが嬉しそうに笑う。
「ブランド香水なんだけどさ。好きならアトマイザーで試してみる?」
「ぜひ……参考にしたいです」
「いいね。その姿勢」
鏡越しに目が合う。
「頑張りたまえ、学生くん」
シャキ、シャキ、とハサミが動く。
落ちていく髪。
今まで放置していた自分が、床に積もっていくみたいだった。
ドライヤーの温風が頬を撫でる。
指が髪を持ち上げる。
自分が“素材”として扱われている感覚。
少し怖くて、少し楽しい。
⸻
「――できたよ」
クロスが外れる。
恐る恐る、鏡を見る。
……。
……え?
思わず声が漏れそうになる。
そこにいたのは、
見慣れているはずなのに、
知らない顔の自分だった。
隣で鉄平が無言で親指を立てている。
「研磨くん、178cmあるんだよね?」
「は、はい」
「だから縦のラインを活かしてセンターパートにしてみた」
鏡越しに説明が続く。
「服はね、まず基本から。
白、黒、グレー、ネイビー――自然色」
「近い色で統一すると失敗しない」
メモ帳を取り出す。
カリカリ、とペンの音。
気づけば鉄平も同じように書いていた。
「シルエットも大事。トップスがルーズならボトムスは細く。逆もアリ」
「研磨くんなら白Tにスリムジーンズ、スニーカーでも成立するよ」
成立する。
その言葉が胸に残る。
「また来るなら雑誌貸すよ」
「え、本当にいいんですか?」
「もちろん」
そして。
隼人さんが少し真剣な顔になる。
「最後に、一番大事なこと」
僕と鉄平は自然と前のめりになる。
「清潔感」
店内の音が遠くなる。
「朝、少し早く起きる」
「鏡を見る」
「どう見られてるか確認する」
シンプルすぎる言葉。
でも、不思議と重かった。
「歯磨き、洗顔、日焼け止め」
「若いうちは気づかないけどね。ダメージは後から来るんだよ」
少し遠い目で笑う隼人さん。
きっと、経験者なんだろう。
「――魔法使いの指導はここまで」
ハサミを閉じる音。
「健闘を祈る!」
♢
店を出ると、夏の空気が肌に触れた。
さっきまでと同じ街なのに、景色が少し違って見える。
「……隼人さん、すごい人だったな」
思わず言う。
鉄平が頷く。
「ああ。ファッションって魔法みたいだよな」
魔法。
確かにそうだ。
でも――
「解けない魔法だ」
鉄平が続ける。
「清潔感。身だしなみ。毎日の積み重ねで自分を変えるんだ」
胸の奥が熱くなる。
「ああ、鉄平……!」
思わず笑って、拳を差し出す。
コツン。
軽い音。
その瞬間。
僕は少しだけ、
昨日までの自分と決別した気がした。




