気まぐれ企画 この人たちも、異世界に野放しにする気ですか?
実は、ラブラブな夫婦です。
この訳の分からない世界に来て、何日たっただろうか。
夕べ捕った魚にかぶりつきながら旦那が呟くのに、リツはあっさりと答えた。
「ざっと十日、です」
「そうか」
頷くオキは、それ以上何も言わない。
だが、そろそろ帰る術を見つけようと考えているのは、明白だった。
十日ほど前、二人はこの世界にやってきた。
手がかからなくなった従業員が、娘の教育を買って出てくれているため、後継ぎの教育をする必要がないリツは最近、手持ち無沙汰だったから、暇つぶしにはちょうどいいと思った程度だったが、オキの方は違う。
二人きりの状態でも、常に主のことを念頭に置いている、猫の獣であるオキは、呼ばれてすぐに主の元に行けない今の状況を、不安に思っている事だろう。
元々、殆ど感情を表に出さない男だが、十日も主から離れている今、内心ではかなり焦っているはずで、リツとしてもそんな旦那の焦りを解消したい。
その手掛かりとして、心当たりがあったリツは、足下を指さした。
「ここに来る前、足元が光りましたよね? あれ、何かの術式だったのではないでしょうか」
「ああ。だが、誰が、いつの間に仕掛けたのか、分からない」
頷いたオキだが、その状況だからこそ、犯人を特定していた。
それは、リツも同じだ。
「……あの旦那、久しぶりにやらかしたな」
「ええ。ですが、私たちにだけ、こんな事を仕掛けたとも、思えないです」
「ああ。オレたちより先に、自分の血縁を送っているはずだ」
つまり、その連中を見つければ、何か解決策があるかもしれない、という事だ。
そこに行き着くのが、遅かった自覚は二人ともある。
だが、仕方がないではないか。
「……久しぶりだったからな」
「え?」
「水入らずで過ごすのは、本当に久しぶりだったから、ついつい満喫してしまった。お前も、奏の事が心配なんだろう?」
緑色の瞳に見つめられ、リツはつい言葉に詰まった。
成人して、社会人としても落ち着いた娘の事は、殆ど心配していなかったとは、言いづらい問いかけだった。
とりあえず、移動を始めた黒猫と白狐の夫婦は、まだ日が昇り切る前に、獣の里の一つにたどり着いた。
が、大型猛獣の里らしきそこにつく前に、異変に気付き立ち止まる。
「……血の匂いです」
リツの緊張した声に言われるまでもなく、オキも気づいた。
馴染みのある血の匂いと死体の匂いが、現在進行形で増え続けていた。
駆け出した男の後を追い、リツも駆け出す。
近づくにつれ、里の方から怒号と悲鳴が聞こえてくる。
里に入った二人の目に、凄惨な光景が飛び込んできた。
何かを両手に握りしめた人間と、数頭のネコ科の大型獣人が対峙していた。
一見すると、不利なのは人間側だったが、間違いだというのはすぐに分かった。
退治する双方の足下には、毛皮が転がっていた。
明らかに、不利だったのは獣の方だ。
それを見て、近くの別な里で仕入れた情報を思い出した。
この世界には、魔人と呼ばれる、人間によく似た容姿の、全く別な品種がいると。
その種は、殆どの生き物と相反する生き物で、出会ったら目を合わせずに逃げろとも、忠告された。
確かその時に、魔人たちは無益な殺生をしないと教えられたが、これは明らかに無益だった。
並んで走っていた二人は、瞬時に目を交わしていた。
獣人が魔人に一斉に飛び掛かり、対峙した魔人が無造作に腕を振るう。
小さな武器を持っているのか、その手が触れる寸前で、獣の体が吹っ飛びながら血を吹く。
片手で数頭を振り払った魔人は、もう片方の手で全く別格の攻撃を受けていた。
「っ?」
完全に隙をついて、男の頭を狙って剣を振り下ろしたオキは、見向きもせずにそれを片手で受ける魔人の持つ武器に、目を疑った。
それは、恐ろしく細い、竹串のようだった。
「? ?」
思わず固まってしまったオキの、緑色の瞳を見返した男の瞳の色は、深い藍色だった。
「……は?」
「隙が、ありすぎるぞ、オキ」
優しい声音の、久しぶりに聞く生の声だった。
が、それは、反撃の合図でもあった。
我に返ったオキは、その攻撃を受ける前に、何とか男から離れ、間合いを取った。
対峙する男は、優しく微笑んでいるだけなのに、完全に足がすくんでいた。
長身の女であるリツより少し背丈があるくらいの、男にしては小柄なその男は、この世界にも、元の世界にもそぐわぬ衣服を身に着けて立っていた。
見慣れないが、見たことのある立ち姿だ。
遥か昔の、リツの師匠の、懐かしい姿だ。
「……? は? ミヅキっ?」
近くでこちらを伺いながら、生存している獣を探していたリツが、その名を呼んだ。
その声に振り返った男は、驚くことなく返す。
「ああ。ご無沙汰してたな、リツ」
「ご、ご無沙汰云々の話じゃないでしょうっ。一体、どうやって……いえ、どうしてっ」
声も出ない旦那に代わり、リツも混乱しながら事情説明を促したが、立ち尽くしていたミヅキは、まだ息の根のある獣に止めを刺しながら、答えた。
「その手の説明は、その子がしてくれるから、その子に訊け」
その子、と差された方角に、女が二人いた。
どちらもリツと同じくらい長身の女だったが、色がそれぞれ違う。
一人は、薄色の金髪の美女で、もう一人は黒髪の落ち着いた雰囲気の、整った顔立ちの女だ。
その二人を見て、夫婦はそれぞれ声を出していた。
「セイっ?」
「つくしさん。どうして、あなたたちまでっ?」
「どうしてって……」
金髪の女は無感情のまま眉を寄せ、答えた。
「会う人会う人全員が、元の世界に戻ると答えるから、仕方なくこの人を送り出すことにしたから、暫くは保護者として、つくしさんについていてもらおうかなと……」
珍しく、言い訳じみた答えだ。
だが、説明が簡潔すぎて、全く分からない。
「セイ。お前は、オレたちを迎えに来たんじゃないのか?」
慎重に問うオキに、セイは無感情に答えた。
「迎えに来たけど、出来れば残ってほしいと頼みたいんだ」
「そうか……」
「でも、無理にとは言えないだろ? 結構長い間、無断でいなくなっているし、奏も心配してるし」
「まあ、そうだ、が……」
オキは、首を傾げつつ説明する主の言葉を、内心身構えて聞いていた。
そんな猫に構わず、セイは話を続けた。
「でも、流石に、シノギの小父さん一人に、この世界を均等にする作業を任せるわけにはいかなくて、仕方なくミヅキさんの肉付けをしたんだ」
「……?」
「すごいですよね、この子。まさか、ものの三分で、昔のミヅキそのままの肉体を作ってくれるなんて、驚きでした」
「作られた方は、即席ラーメンになった気分だったがな」
ミヅキとつくしが、ほのぼのと会話をしている横で、オキとリツはセイの言葉の意味を噛みしめていた。
「……セイ」
「何?」
「シノギの旦那が、こっちにいるのか?」
「ああ」
頷く女に、リツも慎重に問う。
「この世界を正す、という事は、今現在、この世界は均等を失っているんですか?」
「はい。カムイって人を御存じですよね? その人が、こちらで知能を持つ子供を、大量に作ったそうです。獣人と」
眩暈がしてよろめいたリツを慌てて支えながら、オキがさらに問いかけた。
「それをせん滅する役を、シノギの旦那がやっているわけか? 一人で?」
「ああ。本当は、先にカスミに送り込まれた人たちに、手伝ってもらおうと思ったんだけど、落ち合って希望を聞いたら、全員戻ると言うんだ」
「な、成程……」
話は読めた。
いくら何でも、シノギ一人に任せてしまうわけにはいかないから、既に死んでいた男の肉体を作った、という事らしい。
だが、これは無謀というものだった。
「ぶ、武器はっ? まさか、剣なんか持ってきてませんよねっ?」
水色の目を血走らせたリツに、ミヅキは優しく微笑んで頷いた。
そして、既に血まみれになってしまった竹串二本を、手のひらに広げて見せる。
「シノギの旦那も、二本百円の空のペットボトルを使用している。だから、心配するな」
「ああ、この串も全部、先は切ってありますから、心配は無用ですよ」
「っ、そういう、問題ではないですっっ」
この世界の端から、二人でせん滅していくと楽しそうなミヅキと、そんな男を微笑ましく見つめる女を、オキリツ夫妻は絶望と共に見つめるしかなかった。
この異世界の皆様、本当に、ご愁傷さまです……。
うちのキャラの、最恐二人が、降り立ってしまいました。




