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郵便猫ルカの配達日誌

飛ばない手紙 ―郵便猫ルカの配達日誌

作者: 咲晴

 風見の町には、いつも心地よい風が吹いています。屋根の上の風見鶏がくるくると回り、朝の光を受けてきらめいています。小鳥のさえずりが重なり、風が木々の葉をさらさらと揺らしています。

 石畳の道にはまだ朝露が残り、花の香りが風に乗って漂っています。その道を、小さな白い猫のルカが歩いていきます。青い制服のすそを揺らし、黒いバッグを背負って、軽やかに進みます。


「ミミさん、引っ越しは昨日だったんだ」

 ルカはネームプレートの外れた家の前で立ち止まり、メモ帳に小さく書き込みました。

 新しい家、なくなった看板――ルカは町の変化を見逃さないよう、毎朝歩いています。

 観察を終えると、ルカは仕事場である郵便局へ向かいました。ポストには今朝もたくさんの手紙が届いています。両手いっぱいに抱えて中へ入ると、木のドアがやさしく鈴を鳴らしました。


 ルカの仕事は郵便を届けることです。ただし、自分の足ではなく――“郵便魔法”を使います。

 郵便魔法は、届け先の家をはっきり思い描けなければ使えません。だからルカは毎朝、町を歩きながら変わっていく風景を心に刻んでいます。

「これはベンさん宛て」

 ルカは目を閉じ、宛名の家を思い浮かべます。ピンク色の肉球をそっと手紙に押し当てると、手紙は光に包まれ、鳥の形に変わります。それは窓を抜け、ひとすじの風に乗って飛び立っていきました。

「次はサシェさん。今日もたくさん届いてる」

 今度は蝶の群れのように、手紙たちがひらひらと舞いながら空へ消えていきます。

 その中に、ひとつだけ見慣れない宛名の手紙がありました。


『しずくへ』


 知らない名前。ルカは首をかしげ、誰に届ければいいのか迷っています。裏を返しても差出人の名前はなく、封もされていません。


 少し迷いながらも、ヒントがあるかもしれないと、ルカはそっと手紙を開きました。


 ――――――――――――――――――


 しずくへ



 きみの名前を思い出せない。顔も、声も、曖昧だ。でも、しずくという呼び名だけは、夢の中で何度も響いている。



 ぼくは、きみに謝りたい。何をしたか、どうして喧嘩したか、もう思い出せない。でも、きみが泣いていたことだけは、胸の奥に残っている。


 ――――――――――――――――――


 ヒントになるようなことは書かれていませんでしたが、ルカはこの手紙を届けなければならないと思いました。

 黒い郵便バッグに手紙をしまい、ルカは町を歩きながら『しずく』という名前を尋ねて回ります。パン屋のおばあさんも、帽子屋の主人も首をかしげるばかりです。

 黒いバッグの中で、手紙は静かに揺れています。


 町のはずれの丘にある古い時計屋へ、ルカは足を運びました。物知りで知られるクルミに会うためです。

「しずくという名前の方をご存じですか?」

 クルミは丸い眼鏡をくいっと上げ、しばらく考え込んでいました。

「ふむ……聞いたことはないな。お役に立てなくてすまない」

 ルカはお礼を言って丘を下ります。風がしっぽをやさしく揺らしました。


 町の広場に戻ると、小さな屋台が目に入りました。木の実を並べていたのは、森の近くに住むキツネのミナです。額には、しずくのような小さな模様が浮かんでいます。

「こんにちは、ルカくんに会えそうな気がしていたの」

 ルカを見つけたミナはにっこりと微笑みました。その瞳の奥には、どこか悲しげな光が宿っているように見えました。その時、風がふわりと二人の間を抜けました。

 ルカは立ち止まり、耳をピクピクさせながら驚いた声で挨拶しました。

「ミナさん、こんにちは」

 ミナは魔法こそ使えませんが、不思議な力を持つキツネです。大雨を予言したり、森のキノコの豊作を言い当てたりして、時々町のみんなを助けます。

「僕、しずくさんって方を探しているんです。手紙を届けたくて」

 ミナなら不思議な力で探してくれるかもしれないと、ルカは思い聞いてみました。すると、ミナは驚いたように目をぱちくりさせました。

「ごめんなさいね、久しぶりにその名前を聞いたものだから。その名前は、私が小さい頃に兄が付けたあだ名なの」

 ミナは静かにそう言います。

 ルカはハッとして、急いで郵便バッグから手紙を取り出し、そっとミナに差し出しました。 「兄の字だわ……読んでもいいかしら?」

 ルカは静かにうなずきました。ミナはそっと封を開けます。文字を追う瞳が少しずつ揺らぎ、やがて、しずくのような涙が頬を伝いました。ルカは黙ってその様子を見守っていました。


 読み終えると、ミナは涙を拭い、微笑みました。

「ほら、ここ。しずくのような模様があるでしょ?だから兄からそう呼ばれていたの。手紙を届けてくれてありがとう」

 ルカにお礼を言うと、ミナは屋台を片づけ、森の近くの家の方へ歩き出しました。

「ちょっと待って!」

 ルカは慌てて駆け寄りました。

「お兄さんには会わないのですか?」

 ミナは立ち止まり、少し寂しげに笑いました。「ずっと昔にケンカしたっきり会ってないの。どこに住んでいるかも分からないし……」

「僕が案内します。お兄さんのお名前は?」

「……ソルというの」

 ルカの目がぱっと輝きました。すぐに家の場所が思い浮かんだのです。しかも、この広場からも近いです。

「急ぎましょう!」

 ルカはミナの手を取って駆け出しました。数日前にソルへ手紙を届けたとき、あまり調子が良さそうではなく、しきりに咳をしていました。

 足早に歩きながら、ルカはミナに話しました。「ソルさんは風見鶏を作る職人さんでした。ソルさんの作る風見鶏はよく回るので、町のみんなから評判でした。ずっとおひとりで暮らしていて、少し前から体調を崩されていたのです」


 やがて、森の木々のような鮮やかな緑色の屋根を持つ可愛らしい家が見えてきました。

 トントントン――。

「ソルさん、ルカです。入りますよ」

「おぉ、ルカくんか。配達ならいつも魔法で……どうしたんだい? おや? こちらは広場で森の恵みを売っている方ですな」

 どうして今まで気づかなかったんだろう、とルカは思いました。夕焼けのような赤毛が瓜二つです。それにしても変です。ソルは妹であるはずのミナのことが分からないようでした。

「こんにちは、ソルさん。あなたからの手紙、私が受け取りましたの」

 ミナは声を震わせながら、そっと手紙をソルに差し出しました。

 ソルは驚いた顔のまま固まったようにミナを見つめていました。

「あぁ、すまん。まさか届くとは思わなくてな。そうか。受け取ってくれたのか。ありがとう。でも、謝らなければならん。」

 そしてソルは静かに語り始めました。


 手紙に書いた事がわしの知っているすべてなんだ。若い頃、大事なひとを傷つけてしまって、とても辛くてな。

 あぁ、これは誰にも言ってはいけないよ。実はわしは記憶を操作する魔法が使えるんだ。それで、自分の記憶を消してしまったんだ。

  しかし、毎晩のように夢を見るんだ。しずくと何度も呼ぶ自分の姿を。 ずっと、ずっと謝りたかった……。

 ミナは静かに涙を流し、懸命に首を横に振りながらソルの話を聞いていました。

「違うの。兄さんは悪くない。私を心配してくれていたのに、私が森の近くに住みたいと言ったから……私こそごめんなさい。」

 ソルも涙を流しながら、優しくミナの頭をなでました。小さい頃そうしていたかのように。

 夕日が二人を優しく包んでいました。


 それからというもの、ルカは何度もミナが籠に森の恵みをたくさん詰めて、ソルのもとへ向かう姿を見かけました。

 まるで、失われた時間を取り戻すかのように。


 ルカはそんな町の様子を見守りながら、今日も郵便魔法で手紙を届け続けています。

 今日も風見の町には、変わらず穏やかな風が吹いています。

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