第94話 異変の鐘の音②
試験が終了して1時間ほど経過したころ、ミユキはすでに、口元に笑みを貼り付けるのに疲れてきていた。
「こちらが今期から白兵技能の講師を務めていただくクリシュマルド先生です」
40人ほどの教員の前で、パチパチとまばらな拍手が飛んでくる。
本日騎士学校の講師として初出勤となったミユキであるが、朝は試験準備で忙しく、言われるがまま準備を手伝った。
そして試験終了後、受験者たちが全員帰ったことを確認し、現在採点前の臨時の職員会議の場で紹介されているのだ。
「はじめまして、ミユキ=クリシュマルドと申します。一日も早くお力になれるよう頑張りますので、よろしくお願いいたします」
「クリシュマルド先生は、Sランク冒険者として輝かしい実績をお持ちです。ゴルドール-ハルナック間のザムグ戦域においては、英雄的活躍でゴルドール軍に実質的勝利をもたらされています」
書類を読み上げながら、教頭らしき壮年の男性教員が紹介を続けるのを聞き流しつつ、ミユキは職員室内を見渡す。
木製の事務机が向かい合わせになった島がいくつか作られており、各教員には1席ずつ割り当てられている。
(特におかしなところはありませんね……)
朝一ざっと説明された内容によると、全50名ほどの教員には大きく分けると2種類いる。
一つはこの学院の正規職員で、本業が騎士ではなく教職の者だ。
主に座学を担当し、従軍経験の無いものが大半だった。
もう一方は、本職を騎士などの軍人、冒険者、学者などとする外部講師。
ヴァルターやシュルト、もちろんミユキもこちらに当たる。
正規職員だけでは不足する実践的な技術などを生徒に教える役割がある。
ノルドヴァルト騎士学院が他の騎士学校とは一線を画す名門となっているのは、彼ら外部講師の質によるところが大きいらしい。
特に『剣帝』とも呼ばれるヴァルターは、大陸屈指の騎士として名が知られており、彼に教えを受けることだけでも大変名誉で箔が付くことのようだった。
(にしてもこの注目はやりづらいですね……)
ミユキは冷や汗をかきつつ、一身に視線を集めるこの状況が早く終わってくれないかなと思っていた。
「続いて、アルカンフェル=ガレオン先生です。クリシュマルド先生と同じく白兵技能を担当していただきます」
ミユキの隣に並んだ大男に、思わずぎょっとした。
ミユキは180cmと女性としてはかなり身長が高い方であるが、それよりもさらに大きく、身体の厚みや幅は倍近くある。
全身が無駄のない筋肉に覆われ、大木のような威圧感を放つその男の佇まいには一切の隙が無い。
それは、語らずとも彼が強者であることを如実に示していた。
さらにその名前だ。
"ガレオン"。
その名前を、ミユキはティアに聞かされて知っている。
三極将の一人『オーギュスト=ガレオン』。
関係者だと思ってほぼ間違いないだろう。
そして、その答えはすぐに明かされた。
「アルカンフェル先生は、かのガレオン公爵の弟君でいらっしゃいます。ご本人も過去にロングフェロー軍の指導教官を務められ、近年ではSランク冒険者としても目覚ましい活躍をされている方です。それでは先生一言……」
「アルカンフェル=ガレオンだ。よろしく頼む」
ただ一言そう告げて、アルカンフェルは押し黙った。
その寡黙さと獣のような風体から、職員室内にも緊張が流れる
”武神”とも言われるガレオン公爵の名は、ミユキも旅の中で聞いたことはあった。
その弟であるアルカンフェルも、ただごとではない気配を放っている。
「え、もういいんですかな? ………ごほん、ではお二人も戻っていただいて……」
教頭が空咳をして場の空気を和ませようとしたが、誰も笑わなかった。
アルカンフェルはまるで、「気安く話しかけるな」と言わんばかりの風格を漂わせている。
「あの、質問です」
教頭が紹介の時間を終わらせようとすると、前の方にいた女性教師から手が上がった。
「どうぞ」
「白兵技能は前期までヴァルター先生がお教えしていたかと思うのですが、それはどうなりますか? 生徒たちはヴァルター先生からの教えを受けたいという者も大勢いますが……」
言われ、室内の視線は端の方で困ったような顔をしているヴァルター。
教頭がどう答えようかと考えあぐねている様子を見せると、仕方ないとばかりにヴァルターが一歩前に出た。
「私が学院にお願いしたんだ。まず前提として、私は剣術の授業は引き続き受け持たせてもらう。ただ白兵技能は似て非なる技術だからね、現在進行形で第一線で活躍しているお二人の方がより実践的な指導ができると考えている」
そうだったのかと、ミユキは眼を丸くした。
採用試験が5分で終わったので、そんなことを期待されていたとはと初めて知ったのだ。
というか、白兵技能を受け持つなんてことも今初めて聞かされたので、何を教えればいいのかすら分かっていない。
(蹴り方とか教えればいいんでしょうか)
多分参考にならないと思いつつ、誰かに戦い方を教えるなんてことがほぼ無いミユキ。
ここにきて今更ながら授業なんてできるのかと不安になってきた。
それから程なくして、職員会議は終了となった。
ミユキやアルカンフェルは今回の編入試験の採点や結果には関われないので、ひとまず本日の業務は終了だ。
外部講師なので、生徒がおらず授業がない日は仕事も無い。
そのため、試験結果が出るまでは一旦のオフとなった。
「あの、アルカンフェル先生」
ミユキは会議終了後、部屋を出て行こうとするアルカンフェルを呼び止めた。
彼は振り返り、ミユキをじっと見据える。
迫力のある容貌だが、それでいて冷静で理知的な雰囲気もあった。
それは、ただ粗野なだけの人間よりもよほど底知れぬ強さと恐ろしさを感じる。
「授業の進め方など、相談した方がいいかと思いまして……」
「クリシュマルド教諭だったか」
「は、はい」
「白兵の指導要領、マニュアルには目を通したか」
「いいえまだ……」
言われ、ミユキは首を振った。
今朝もらったのでまだ読めていないのだが、自覚が足りないなどと咎められるだろうかと思った。
しかし、次の瞬間彼の口からは意外な言葉が出てきた。
「読まなくていい。全て無視しろ」
「ええっ! で、でも」
ミユキは思わず声をあげた。
学院からこれで教えてくれと言われた内容があるのに、無視していいのだろうか。
だがアルカンフェルは、淡々と言葉を続ける。
「あんたの経歴は知らんが、Sランク冒険者なら相応の修羅場をくぐってるはずだ。その中で培ったものを伝えればいい」
「しかし……それでは生徒たちが実践できないのでは」
「かもしれん。だが指導要領の内容は生徒たちの教本にも書いてあることだ。それを俺たちが読み上げそのまま伝えることの価値は薄い」
若干荒療治な気もするが、一定の筋は通っている気がした。
わざわざ外部講師として招かれているのに、学校側が用意したマニュアル通りにやっていては、それ以上の価値は生み出されない。
ただ、それでも生徒の最低水準をある一定のラインまで引き上げるのに、指導要領は活用すべきだとも思った。
そこまで考えて、一体自分は何を真面目に考えているんだろうとも少し思う。
クエストが終わればこの学院からは去るというのに。
ただミユキ本人は気付いていないが、この生真面目さこそがミユキがティアから重宝され、フガクからの敬愛を集める所以である。
「実に良い議論だ。私も混ぜてくれるかい?」
すると、ヴァルターが近寄ってきた。
ミユキとしては議論していたつもりはないのだが、教育について熱く語っているとでも思われたのだろうか。
そしてヴァルターは、二人の間に立ち穏やかに笑いながらこう言った。
「お二人さん。せっかくの機会だ、親睦会といこう」
ミユキは、何でもいいから早く帰ってフガクやティアに会いたいと思いながら、仕事だからと頷くほかないのだった。
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