第86話 ノルドヴァルト騎士学院③
その後校舎の2階や訓練場、食堂、運動場などを見て回り、大方の校舎見学は終わった。
見たところ、違和感があるような場所は無い。
ただ、本当に直感でしかないが、何となく嫌な感じがしている。
「レオナ、ミユキさん……気付いている?」
ティアたちから少し距離を離し、隣を歩くミユキに小声で語りかける。
「ええ。ずっと誰かに見られているような……」
「だね。多分この学校何かあるよ」
特に周囲に生徒や教師はいない。
なのにずっと身体にまとわりつく視線と気配は、じっくりと蜘蛛糸に絡めとられるような不快感があった。
そして俺たちは、一通りの見学を終えて再び前庭へと戻ってきた。
「あとはあの時計塔くらいだが、正直中はほぼ倉庫のようなものだよ。あれは外から見る程度でいいんじゃないかな」
先生が視線を送ったのは、校舎の一番奥に見える高い時計塔だ。
ビルの5階建てくらいだろうか。
レンガ造りの古びた塔の最上部には、大きな時計が四方に時刻を示している。
ちなみに、現在は昼の11時だった。
「ありがとうございます。大丈夫です。あの、先生……」
俺たちは校舎見学に来たわけではない。
これ以上この先生と連れ立って学校を回っても、あまり収穫はないと踏んだのだろう。
ティアは少し不安げな表情を作り、先生を真っすぐに見つめた。
「うん? なんだい?」
正直、ティアの性格を知っている俺でも庇護欲を掻き立てられるような表情だ。
だが先生は特に気にする素振りはない。
「私、怖い噂を聞いてしまって……この学院で生徒が行方不明になっているというのは本当なんでしょうか……?」
ティアはいきなり核心をついた。
迫真の演技に、俺もミユキも息を呑む。
ティアの問いに、先生は探るように彼女を見下ろした。
「……そういう噂があるのは事実だし、実際に生徒が何名か失踪したのも本当だよ」
「えっ……」
先生は意外にも、噂が事実であることを認めた。
「ただ騎士の訓練は厳しいからね、昔から何人かは学院側も知らない間に国に帰ってしまうんだ。それに各国の軍人も多くいる。命令で急遽ここを離れなくてはならないケースも珍しくはない」
彼は本当に、入学を目指す俺たちが心配しないようにと、言葉を選びながらそう言ってくれているのだと感じた。
「だからまあ、さほど心配することはない。我々教職員も調査しているしね」
「でも、アポロニアさんも何が起こってるか分からないって……」
「ティア、アタシ怖いよ……もし怖い魔獣とかが隠れてたら……」
俺はさぶいぼが立った。
レオナがティアの演技に合わせ、怖がる少女を演じて彼女の腕にすがりつく。
チラリとミユキを見ると、彼女も微妙な表情をしていた。
その様子を見て、先生も困ったように頭をかく。
「うーん、弱ったな。でも安心してくれ。私たち教師は君たち生徒を必ず守る。ここだけの話だが、編入試験後に心強い外部講師も招くことになってるんだ.」
先生は再び俺たちを安心させるように、力強くそう言ってくれた。
多分この人良い人なんだろうなと、俺の胸には段々罪悪感が芽生えてくる。
「外部講師ですか」
外部講師ということは、普段はこの騎士学校で教鞭をとっている人物ではないということだ。
一体誰だろうかと、俺は首を傾げる。
「ああ、なんせ彼はあの……」
「おやおや。試験前に特定の受験者に未公開の人事情報を漏らすとは、関心しませんね先生」
俺たちの背後から、冷たい印象のする声が聞こえた。
そこには、スタイリッシュな黒のスーツを着こなした、メガネの男が立っている。
真ん中で分けた灰色の髪に鋭い目つき、痩せ型の体躯はいかにも神経質そうだ。
「まあいいじゃないか、彼らの試験に影響を及ぼすものじゃないよ。噂を信じて折角の試験の機会を逃すのは勿体ないだろう?」
「そういう問題ではありません。君たち、何かこの学院に探りに来たのではないだろうね」
メガネをクィッと上げながら、俺たちを値踏みするように見てくる。
絵に描いたような陰険メガネにも、ティアは冗談抜きで聖女のような笑みで応える。
「はい、ごめんなさい。編入試験前に、どうしても学校を見ておきたかったんです。ここは、義姉さんの思い出の残る場所だから……」
大袈裟に、感情たっぷりにティアは語った。
演技8割だが、2割程度は本心も入っているように思えた。
ティアの笑みを、じっと見据える陰険クソメガネ。
「シュルトそこまでだ。君たちも、見学はここまでにしよう。あとは入ってからのお楽しみというやつだな」
ピリッとした雰囲気を打破するような、先生の和やかな声が間に割って入った。
シュルトと呼ばれた彼は、もう一度中指でメガネのブリッジをクイっとやって引き下がる。
「心配することはありませんよ。ここは選ばれた者のみが門をくぐることを許されるノルドヴァルト。君たちの杞憂は、試験を突破してからにすることですね」
かなり腹立つ物言いではあるが、まあ入る前から心配ばかりしているのは確かに良くない。
もちろん演技なので本当に心配しているわけではないのだが、シュルトの言うことにも一理あるのは理解できた。
「大丈夫。私も彼も、生徒たちの味方だ。試験を突破したらと言わざるを得ないが、安心して入学するといい」
力強く先生はそう言って、俺たちの学校見学は終わりになった。
自由に行動できないのであれば致し方ない。
何も掴めなかったと言えば掴めなかったが、情報量としては決して少なくなかった。
ティアと目配せし合い、とりあえず学院を出る雰囲気になったその時だ。
「それよりヴァルター先生。そろそろ職員会議の時間ですよ。遅れないようにしてください」
そう言ってシュルトは、一人先に校舎に向かって歩いていく。
「そんな時間か。彼らを門まで送ったら行くよ」
「ヴァルター……?」
思わず呟く。
俺はその名前を、つい最近ティアから聞かされて覚えていた。
「ああ、自己紹介していなかったね。私はヴァルター。ここの教師と、王国軍の騎士をしている。それじゃ、試験の突破を影ながら願っているよ」
「これは肩入れになるから内緒だけどね」と優しく笑みを浮かべるその男に、俺は言葉を失った。
なぜならば。
彼は、ロングフェローにおいて、絶対に敵対してはならない4人のうちの1人。
三極将の一角、『ミハエル=ヴァルター』その人だったのだ。
後に残された俺たちは、この学院の調査が混迷を極めるであろうことを、言葉で語らずとも理解したのだった。
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