第78話 君が幸せになったら①
『神域の谷』でのミューズ撃破後、俺たちはアポロニアに帝都を出ることを報告した。
夕暮れが帝都の屋根を金色に染める頃、アポロニア邸の中庭では、立食形式の晩餐会が開かれていた。
白亜の石畳に並んだ長机には、宝石のように煌めくデザートや、香ばしい肉料理の香りが立ちのぼり、甘いシャンパンの泡が次々と弾けては夜空に溶けていく。
背景では楽団のヴァイオリンが軽やかに奏でられ、客たちの笑い声とドレスの裾が擦れる音が華やかに交錯していた。
アポロニアによれば、俺たちが帝都であげた功績は、思っている以上に大きかったらしい。
ミューズという、帝国に潜む脅威を三体も討伐したこと。
それに加え、数多の依頼をこなしていたことで、冒険者の間でも名前が広まりつつあるという。
俺たちの姿を一目見ようと、アポロニアの関係者ばかりではあるが、外部からも多くの賓客が訪れてくる。
「次はロングフェローに向かうのだったな。準備は万端か?」
艶やかなオレンジの髪をアップにまとめ、今夜は正装に身を包んだアポロニアが、グラス片手に声をかけてくる。
背景には噴水のせせらぎと、さざめく木々の葉音が夜風に乗って届いていた。
ちなみに、俺たちも屋敷で用意してもらった正装に身を包んでいる。
ミユキの淡いピンクのドレスには月光のような銀糸が縫い込まれ、歩くたびに柔らかな光を反射している。
ティアの水色のドレスは清冽な湖を思わせ、グラスを傾ける仕草さえ女神のように優雅だった。
「ええ、昼間終わらせましたから、明日の早朝にはここを発ちます」
「ソレスさん。本当にお世話になりました」
ミユキも、ティアも、そして俺も。
この帝都で過ごしたひと月近くの時間を、思い出すように視線を交わしながら頭を下げる。
「いや……うん、ああすまん。どうも涙もろくていかんな……」
アポロニアは目頭をぬぐい、恥ずかしそうに笑った。
リリアナを見送った夜と同じ――けれどそれ以上に、俺たちに対する想いが滲んでいた。
この人最初から最後まで本当に良い人だったなと思いつつ、俺たちも顔を見合わせて笑い、わずかながらの感傷に浸った。
「ミユキ。その……シスターのことは私も知らなかった。何と言えばいいのか……」
ミユキと同じ修道院の出身であるアポロニア。
フェルヴァルムには悪いイメージが無かったらしいが、傷だらけで帰ったミユキから事情を聴いて驚いていた。
特段彼女が謝るようなことでもないので、ミユキはにこやかにそれを否定している。
「大丈夫です。私は……いえ、私たちのやるべきことは、もう分かっていますから」
ミユキはチラリと俺の方を見て、穏やかにそう言った。
帝都では色々なことがあった。
苦しい思い出も、楽しい思い出もある。
だが、きっとここで得た出会いも経験も無駄ではない。
俺もまた、ミユキやティアと共に進み続けるのだと、誓いを新たにできたのだから。
「あー、そういやフガクー。ルキのことなんだけど」
レオナがビュッフェで提供されている料理を山盛りに乗せた皿を持ってきながら、俺に声をかけてくる。
その皿には、さっき見たときよりもさらに多くの前菜が積まれていた。
まるで塔のようだ。
その状態でよくそんな話できるなと思いながら、気になっていたことではあったので耳を傾ける。
彼女も可愛らしいネイビーのワンピースでオシャレをしていた。
黙っていればちゃんと美少女なのになと思いつつ、俺はレオナの皿に乗っていたアミューズを一つ摘まんでやった。
「あいつギルドに戻ってないんだって。気を付けた方がいいよ、また追ってくるかも」
ルキはレオナが受けた依頼の情報を見て来ただけなので、失敗という扱いにはなっていないらしい。
だからトロイメライに戻っていると思っていたようだが、意外にも姿を見かけた者はいないとのこと。
また、後からギルドに確認したところ死体も見つかっていない。
俺の胸を、嫌な予感が掠めていく。
「あいつしつこそうだからなー……絶対また来るよな」
「私にも刺客が差し向けられるだろうし、これからはあまり1ヶ所に長居しない方がいいかもね」
ティアは、シャンパングラスを片手にそう言った。
せっかくの夜だからと、今夜は俺もミユキも少しだけ酒を飲んでいる。
本当に嗜む程度ではあるが、華やかなパーティということもあり、最後の夜くらいは楽しんでもいいだろうということになったのだ。
「最初の目的地はセーヴェンだったな。懐かしいな、あそこの街には騎士学院があるんだ。君の義姉とは同期だと言ったろう? ミクローシュとよく行っていたパブを紹介するから行ってみるといい」
「ミク姉さんと……はい、ぜひ」
アポロニアもシャンパンを飲んで上機嫌だった。
ティアは赤い目を細め、懐かしむように義姉の名前を口にする。
しかし騎士学校とは興味をそそられるフレーズだ。
「フガク、明日には発つと聞いたぞ.。寂しくなるな」
すると、俺の背後からウィルが声をかけてきた。
王子の来訪に、周りの客たちの間からもどよめきが巻き起こる。
本人は慣れっ子なのか、気にする素振りも見せず俺にエールのジョッキを差し出した。
「ありがとう。ウィルも元気で」
「ふっ、次はお前を殴り飛ばせるようになっておく」
そう言ってウィルは笑い、ジョッキを軽くぶつけ合う。
こうして見ると、ヴァンディミオン大帝のような迫力がありながらも、イケメンが厳めしさを上手いこと中和しているなと感じた。
ウィルとは、ミユキとの結婚を巡って殴り合いをしたことが思い出される。
後から二人まとめてミユキにこっぴどくお灸を据えられたが、結果的にはウィルと仲良くなれたしミユキとの距離も縮まった気がする。
クエストの後処理で来られないビクトールも含め、ゴルドール帝国軍は皆気の良い人達だった。
「ちょっと来い」
近くにいるミユキを一瞥して、ウィルは俺の首に腕を回して庭の隅の方に引っ張っていく。
「なんだよ」
「お前、その後クリシュマルド殿とどうなのだ?」
「どうって?」
まあ言わんとしていることは分かる。
しかし、残念ながらウィルが期待しているような話は特に無い。
強いて言えば、お揃いの銀時計を買い、キスをして、抱きしめられたくらいだろうか。
どれも変な意味じゃなく、互いの覚悟を問う儀式のようなものだった。
ああ、銀時計だけは違うが。
そんな感じのことをウィルに伝えると、口をあけ放ってピクピクと引きつらせている。
「お前は本気で言っているのか」
「だから何が?」
「お前なぁ……」
ウィルは呆れたようにため息をつき、持っていたエールを一気に煽る。
「よし、飲むぞ! フガク、お前に女性の扱い方というものを教えてやる」
ウィルはゲフゥッと息を吐き、酒で顔を赤くしながら俺の首に回した腕に力を込めた。
ほぼ初対面のミユキにいきなり求婚した奴の恋愛指南が何かの役に立つとは思えないが、ウィルとの悪友のような関係性は正直居心地は良い。
俺も曖昧に笑い、エールを一気に煽った。
前世で飲んでいたビールに比べると味気なく、のど越しのキレもイマイチだが、それでも、この世界で初めてできた友達と飲む酒の味は格別だと思った。
「お二人、すっかり仲良しになりましたね」
ミユキも、シャンパングラスを片手に俺たちの傍に寄ってきた。
グラスを持つ指先は細くしなやかで、ほんのりと赤らんだ頬が夜の灯に照らされ、目も少しトロンとなっていつも以上に清楚な色気を放っている。
俺もウィルも、思わずその姿に見惚れた。
彼女自身はそれに気づくことなく、無邪気に微笑んでいるのがまた、余計に心を掴んだ。
「フガク、王子として命ずる」
「な、なに?」
突然ウィルは、俺の肩に手を添え、まっすぐに見据えてきた。
何を言われるのだろうか、ミユキも横で首を傾げている。
「クリシュマルド殿をエスコートして今から言う場所に行け。これは命令だ!」
初めてミユキに結婚を申し込んだときのような、勢い任せの命令口調で、ウィルは俺に言った。
だが、あの時とは違い特に嫌な感じはしない。
なので、俺は苦笑いをしながら頷くのだった。




