第76話 ガウディス機関②
リュウドウは研究所内にある居住区画へと戻り、部屋に入る。
ベッドと机があるだけの、白く無機質で簡素な部屋。
一旦身体の汚れを落とし、血まみれの冒険者装備から軍服に着替え、待機しておく予定だ。
リュウドウは寡黙で任務遂行にしか関心を持たない男だ。
物心ついたときから軍にいて、この研究所での特殊任務に従事するようになって3年目だった。
ミラも、他の連中も、軍の別部隊にいた者たちが引き抜かれてここにいる。
軍の中でもとりわけ優秀な者か、特殊なスキルを持つ者が集められていた。
ここでの任務に従事するようになってからも、リュウドウは特に何かの感傷に浸ることはなかった。
任務を遂行する。それだけが彼に課された存在理由だった。
だが。
ドンッ!!!
リュウドウは部屋に入るなり、手近の壁に拳を叩きつけた。
「クソっ……!」
リュウドウが任務でこれほどの屈辱を味わったのは、初めてだった。
赤光石を奪われたこともそうだが、それ以上にセレスティア=フランシスカのパーティだ。
奴らと出会ってから歯車が狂い始めた気がする。
特に、あのフガクという男。
エルル北東の森で出会ったころは、警戒心も薄く、取るに足らない印象だった。
ミューズの呼称によるブラフを仕掛け、フランシスカの存在を特定するに至ったのだ。
この対応が失敗だったのではという疑念もあるが、結果的にはその正体を見破ったのだから、そう間違った対応ではないと思った。
だが――
今回のあの男はどうだ。
これまで任務の最前線で多くの敵を打倒してきた自分と拮抗するばかりでなく、底の知れない能力を隠し持っていた。
紙一重の戦いだったようにも見えるが、リュウドウは切り札である『深淵解放』を用いてなお状況を覆えされたのだ。
戦いはゴルドール軍の介入により中途半端に終わったが、あのまま戦えば敗北していた可能性はゼロではない。
むしろ、まだ後ろには今回の強大なミューズを一人で葬った、ミユキという化け物が控えていた。
任務の失敗は必然だ。
リュウドウはしばし壁を見つめ、やがて血まみれの外套を脱いで床に放り投げる。
「……?」
ふと見ると、自分のベッドが膨らんでいるのが見えた。
リュウドウのベッドはいつもピシリと整っており、眠っているとき以外乱れていることはない。
誰かがシーツを被って寝ているような、そんな膨らみだった。
「……ハァ」
リュウドウはため息をつき、ベッドへと歩いていく。
そして、容赦なくシーツを剥ぎ取った。
「……むにゃ」
そこには、一人の女が眠っていた。
リュウドウは彼女を知っている。
年は21歳だったと記憶しているが、見た目は少女のように華奢。
肩のあたりで切り落とした、先端が金色の黒髪が特徴の、得体の知れないだ。
彼女は、真っ赤な瞳を眠そうに細めている。
「何をしている」
「……おかえりなさい、リュウドウ様」
大きな眼を擦りながら、彼女は身体を起こしてリュウドウを見上げた。
病的な白い肌を覆う、ダークグリーンを基調としたワンピースを身にまとった彼女は、白い部屋に黒いインクを落としたように異質な存在として映った。
「何度言えば分かる。勝手に部屋に入るな」
少女が勝手に部屋に入ってきたのは初めてではない。
部屋の隅で何をするでもなく座っていたときもあれば、ベッドの下で寝ていたときもあった。
リュウドウは少女が何故これほど自分に構うのかまるで分からなかったが、今は相手をしている気分ではない。
「でもリュウドウ様。あなたの部屋は落ち着きます。どこに行ってもみんな私を怖がるのです」
彼女はこの施設の中においても異質な存在だった。
まるでその空間だけ何かの法則が歪んでいるような不自然さがあり、彼女は施設内でも忌避されている。
リュウドウはそのことを認識してはいるが、だからと言って任務でもないのに彼女に付きまとわれる義理はない。
「俺に言うな。だったら自分の部屋にこもっていろ」
リュウドウはまるで気にする素振りも見せず、着ていたシャツを脱ぐ。
いちいち構っていられないと思った。
「リュウドウ様のエッチ……」
彼女も、その突き放すような言葉をまるで気にしていない。
枕を抱きかかえてじっとリュウドウを見つめている。
「ここは俺の部屋だ。さっさと帰れ」
リュウドウは洗面台でタオルを濡らし、身体についた汚れを拭っていく。
本当はシャワーでも浴びたいところだが、傷が深く出血が酷いため仕方ない。
「リュウドウ様、ひどい怪我。私が治しましょうか」
少女は手を伸ばす。
しかしリュウドウは、傷を彼女に向けないよう身体の向きを変えた。
「俺を殺す気か」
リュウドウは彼女の方を見ず、軍の支給品である白いシャツに袖を通す。
その後、下半身の衣類も脱ぎ去っていく。
さすがの少女も、慌てて後ろを向いた。
「リュウドウ様、この状況を誰かに見られたら、きっと誤解されます」
特に恥じらう様子もないが、少女はたしなめるようにそう言う。
自分から部屋に入ってきておきながら何を言っているのか。
「嫌ならさっさと出て行け」とはもはや言うまでも無いが、リュウドウは同じく支給品であるダークグレーのミリタリーパンツへと履き替えた。
「回答はいつ返ってくる。俺のお前への質問は一つだ。お前はここで何をしている?」
「用が無くては、来てはいけませんか?」
一見すれば、男女の睦まじいやり取りのようにも聞こえる。
だが彼女の声には、熱も感情もなかった。
「当然だ」
少女は当たり前のようにそこにいるが、リュウドウは彼女に何一つ用件は無い。
ドラクロワといいこいつといい、要件があるなら先に言えばいい。
そうでないなら、来る意味が分からない。
リュウドウには、そんな非合理な行動が理解できなかった。
「リュウドウ様が、怪我をしたって聞いたので」
その言葉に、リュウドウは軍服のボタンを留める手を止め、彼女を見た。
ようやく視線が合った彼女は、ただじっと、黒猫のような佇まいでそこにいる。
「俺を嗤いに来たか」
「私がリュウドウ様を嘲笑うことなどありません」
「……ふん」
リュウドウは視線を逸らし、再び身支度を整えていく。
淡々と、本当に生物なのかと疑いたくなるほど、彼女の言葉には感情や現実感というものが感じられなかった。
だからリュウドウは、彼女を部屋からたたき出すこともない。
いてもいなくても変わらないのなら、わざわざ労力を使うこともない。
「私はリュウドウ様が死ぬのは、嫌です」
「俺がこの程度で死ぬか」
リュウドウは『魔人』と呼ばれる特殊なスキルを後天的に獲得している。
人間を超えた体力、耐久力、戦闘能力を得た。
フガクもまた人外の領域に片足を突っ込んでいる者ではあったが、それでも自分を絶命させるにはあと一歩足りなかった。
傷は深く、内臓にまで刃が食い込んでいるだろう。
だが、それで即座に死亡するほどやわな身体ではないのだ。
「……セレスティア=フランシスカを見つけたぞ」
リュウドウはポツリと告げた。
施設丸ごと機密情報の塊であるこの場所は、国の書類上『バルタザル国立研究所』などと呼ばれている。
しかし、少女の存在はその中でも最重要機密の一つだった。
特段告げる必要も無い事項であるが、彼女にはそれを知っておく権利はあると考えた。
「……そうですか」
少女の雰囲気は、少しも変わらない。
それがまるでどうでもいいことかのように、枕を抱えてベッドの上に座っていた。
「『災厄の三姉妹』に、姉妹の情などあるはずもないか――」
リュウドウは最後に、新しい軍刀を腰から下げ、まっすぐに少女を見下ろした。
「―――『ユリナ=フランシスカ』」
少女の名を、リュウドウは淡々とした声色で呼んだ。
呼ばれたユリナにも、何の感情の機微も無い。
その赤い瞳がリュウドウを見据えている。
人工の聖女を作る実験において、たった3人の成功者である『災厄の三姉妹』。
彼女の名は、『ユリナ=フランシスカ』。
――奇跡の皮を被った災厄そのもの。
人の形をしたミューズは、ただ静かに世界を崩壊へ導く鍵を握っていた。
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