第66話 祝祭は君のために②
ミユキは、敵を求めているわけではない。
ただ視界の中で踊る影は、強い輝きを示す命の鼓動は、弱きものを虐げる敵である可能性を孕んでいるだけだ。
彼女は未だに深い集中と、色の無い世界の中で輝く命の灯を探し、彷徨っていた。
「……まだそこにいるんですね。私の敵が……」
ゆらりとミユキは、数m先にいるウィリアムの光を見てしまった。
淡く輝く、大きな灯のように見えた。
先ほどまでミューズが放っていた巨大な輝きは消えた。
だが、まだいくつもの命が自らの周囲を取り巻いていることに、ミユキは気付く。
「全員下がれ! 様子がおかしい!!」
ウィリアムの声も、今はミユキに届かない。
ミユキは一歩を踏み出す。
武器はもう無い。
だが、『勇者の武技』は、この『■■■■肉体』は、ただ己の手先一つあれば敵を屠れる。
ゴキゴキと指を鳴らし、一歩、また一歩とウィリアムへと歩みを進める。
別にどこからでもよかった。
ただ、この中では比較的大きな光を放っていただけだ。
それを消せば、すべてが終わる気がした。
「王子! こちらにお下がりください! やむを得ません、彼女を拘束します!」
ウィリアムの前に数名の騎士が立ち、ミユキを迎え撃とうと剣を抜く。
周囲の冒険者たちも数名、武器を携えミユキに攻撃の構えを見せた。
ミユキには取るに足らないことだった。
あと一歩、ただ一度跳躍するだけで、すべての命は大地に還るだろう。
それほどまでに、ミユキの感覚は今極限まで研ぎ澄まされていた。
「待て! 彼女は我らを、皆をあの悪夢のような魔獣から救った英雄だぞ!! そんなことはこの俺が許さん!」
「し、しかし……!」
ウィリアムは激昂し、兵士たちよりさらに前に出てミユキとの間に立つ。
ミユキの腕がスッと伸びたその瞬間だった。
「やあウィル。あとは僕に任せてくれ」
ミユキは、ピタリとその腕の動きを止めた。
ウィリアムもまた、現れたその声の主に視線を移す。
荒野に舞う砂埃をかき分け、血と死の匂いを纏った光が歩いてくる。
穏やかで、優しい声色。
ミユキは、その光から目を離すことができなかった。
「フガク……お前」
ミユキには、彼の輝きは特別に見えていた。
柔らかな、淡くも激しい閃光のような光。
一瞬の煌めきを残して儚く消えそうな、危うく切ない輝きがそこにある。
ミユキは何故か、その場から動けなくなった。
「ミユキさん……よく頑張ったね」
フガクが真っすぐに、ミユキの方に歩いていく。
動く灯は敵の証だ。
こちらに向かってくるものはなおさらだ。
ならばとミユキは腕を振り上げるが、そこから微動だにできなくなった。
自分でも、何故だかは分からなかった。
ただ、自らの中にある"何か"が、その腕を振り下ろすことを決して許さなかったのだ。
腕を振り下ろそうとした瞬間、胸の奥で何かが軋む。
それは殺意でも恐怖でもない、もっと柔らかい何かだった。
「"なりふり構わない"って言ってたね。本当に君には……憧れる」
その光から目が離せなかった。
何かを押し殺すような、優しさと、悔しさと、そして自惚れでないのなら、もう一つの大切な感情をこちらに向けてくれているのだと感じた。
ミユキは自分の胸の奥からこみ上げてくる感情が何なのか分からない。
分からないが、その命が放つ輝きは、決して自分を害するものではないと分かった。
『聖餐の血宴』は、遍く弱者を救うための、勇者の秘奥だ。
だからそれは――決してすべての命を葬り去るためだけの技ではない。
「フガク……くん」
ミユキは囁くような声と共に、左頬についた血を洗い流すように、いつしか涙を零していた。
もはや集中は途切れていた。
あるいは、自分の中にある何かが、強制的にここへ”戻した”のかもしれない。
「行こう、ミユキさん。一緒に帰ろう」
彼は、右手を差し出してそう言った。
「―――っ」
溢れ出る気持ちと、酷使しすぎた身体の反動。
きっとそのどちらもあったに違いない。
ミユキの腕は、一瞬だけの迷いを見せた
ほんのわずかな瞬間だけ、彼女の中の勇者が顔を覗かせる。
「そんな弱さを見せるな」とのたまう。
けれど、それすらもう、立っていられないほど霞んでいく。
そしてミユキはその手を取らず、自分よりも小さな彼の胸に、強さを使い果たしたその体をそっと委ねた。
「ミ、ミユキさん……!?」
驚き、顔を赤くするフガク。
ウィリアムなど周囲の人間も何事かと唖然となっているが、胸に埋めた顔ではもはや目には入らない。
「……『聖餐の血宴』を使うと、私の力と肉体はしばらく普通の女性と変わらなくなります……だから」
ミユキは、フガクにしがみつくように抱きしめながら、耳元で祈るように呟いた。
「だ……だから……?」
フガクの鼓動が聞こえ、体温の高まりを感じるが、ミユキは気付かないフリをした。
それはきっと、自分も同じだから。
彼と重なり合う心臓の音が、心からの言葉を紡ぎ出していく。
「だから……倒れそうなときは、私を支えてください……これからも」
その囁きは、フガクの耳にしか届かず虚空へと霧消していく。
彼はただ、ミユキの背中にそっと手を添え一言「……うん」とだけ呟いた。
いつしか彼女の視界から、命の灯は消えていた。
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