第51話 リリアナの旅立ち
俺とミユキは夜遅くまで他愛も無い話をした。
これからの戦いのことには一切触れない。
ミユキがこれまでの旅で見てきた美しい景色、美味しかった店、快適だった宿屋の話なんかもあった。
言葉には出さないが、ただお互いの気持ちを確認し合うような時間だった。
俺は深夜になるころミユキを部屋に返し、倒れるように眠りにつく。
昼間ミューズとの戦いで消耗したエネルギーを再充填するかのような深い眠りだ。
だが、ミユキと遅くまで二人で話した影響だろうか、心地の良い夢を見ていた気がする。
俺たちは厳しい戦いのさ中にあるが、それでもこんな時間を過ごせるのなら悪くないと思えた。
そして次の日の午前中、アポロニアの屋敷の前庭に、リリアナを馬車が迎えにきた。
俺たちは全員彼女を送り出すために集まっている。
彼女は今日、ここゴルドールの帝都を発つ。
ウィルブロードにある、魔界シェオルの入り口へ向けて巡礼の旅を再開するために。
今日ばかりはアポロニアも顔を出してくれた。
数日世話になったのだ、リリアナも丁寧にお礼伝えていたが、ティアの顔を見た途端涙を一筋こぼした。
「びぇえええええ!!! ティアさぁぁああん! いやですー! もっと一緒に遊びかったですー!」
あの最悪の初対面からどうしてそんな風になるのだと、もはや若干俺は引いているが、リリアナは涙と鼻水をちょちょ切らせてティアに抱き着いていた。
「あー、はいはい……わかったわかった。じゃあ巡礼が終わったらウィルブロード聖庁にしばらくいなさい。そのうち会えると思うよ」
「ぞうじまず――!!!」
ティアも苦笑気味だが、それでも優しくリリアナの頭を撫でてやっている。
「リリアナってずいぶんティアを慕ってるんだね」
レオナも怪訝そうにその様子を見守っているし、俺だって驚いている。
ちなみに、ミユキも隣で苦笑いをしていた。
「いや、最初はティアにめちゃくちゃ詰められてた気がするけど……」
「なんでそれがああなるんだよ……」
レオナは呆れてげんなりした顔をしていた。
うん、俺もそう思う。
「旅に別れはつきものだ。私は正直こういう場面は苦手でな……」
アポロニアの目尻ににじんだ雫が、頬を伝う前に拭われた。
涙もろい人のようだ。
リリアナに特別な思い入れがあるわけではないだろうが、それでも何度かは食事を共にし、ある程度の身の上話も聞いた仲だ。
もらい泣きしてしまったのだろう。
「リリアナさん、お元気で」
お世辞にも仲がいいとは言えなかったミユキとリリアナだったが、ミユキも最後には右手を差し出して握手を求めた。
「……ミユキお姉さんも」
リリアナもその手を握った。
何だかんだでミユキに命を救われた。
何日も濃密な時間を共に過ごしたのだ。
エフレムたちから追われる中で、共に死線をくぐったのだ。
人としてどうしても合わなくても、リリアナにも思うところはあるのだろう。
そして馬車に乗り込み、背中を向けたままミユキに告げる。
「私、ミユキお姉さんのこと嫌いです。いかにも天然ですって顔してるし、私清らかですって顔してるし……全部ずるい」
言葉を並べるとただの悪口だが、リリアナの声は震えていた。
「……そうですね、すみません」
ミユキは少し寂しそうに笑みを浮かべながら、リリアナの言葉を聞いている。
「……でも、フガクさんとはお似合いだと思います。だから……あなたのこと嫌いです」
リリアナはチラリと振り返り、その目にはかすかに涙が浮かんでいたが、唇を噛み締めてこらえている。
それは絶対にあなたのために涙なんか流すものかと、まるで自分自身に誓っているかのようだった。
「はい……! 私も……リリアナさんのこと苦手でした……!」
ミユキはリリアナを見つめたまま、ほんの一瞬だけ目を伏せた。
そして顔を上げたときには、いつものような微笑を浮かべていた。
声は平静でも、彼女のまつげに宿る光はそれを裏切っている。
二人の関係性は決して友情ではないが、それでも確かな絆は生まれていたようだ。
次に会えたとき、またこうして笑い合える関係にはなれているはずだ。
リリアナは走り出した馬車の窓から顔を出し、最後に俺に向かって笑顔で手を振ってくれた。
「フガクさーん! 次は二人きりでデートしましょうねー!」
俺は笑顔で手を振って返してやる。
まったくとんだトラブルメーカーだったが、憎めないやつだったなと思う。
だが旅は続くのだ。
だからきっと、またどこかで出会える気がしていた。
俺は鼻の奥が熱くなるのを感じながら、リリアナの馬車が見えなくなるまでその姿をみんなと共に見送った。
馬車が街角を曲がって見えなくなるまで、誰もその場を動こうとしなかった。
静かな風が吹き抜け、爽やかな風の匂いがする。
俺たちは、ほんの少しだけ寂しくなった前庭で、しばらく立ち尽くしていた。
そして俺たちは、次なる旅への準備へと足を進めるのだった。
―――
ゴルドール帝都の南東部、やや治安の悪い地域の一角に、そのギルドはあった。
暗殺者ギルド『トロイメライ』。
表向きは普通の冒険者ギルドで、働く職員の大半も通常のギルドと同じようにしか見えない。
そもそもギルドとは元来組合のようなものであり、各ギルド間で同じ人間が統括・運営をしているわけではない。
各ギルドにはギルドマスターと呼ばれるオーナーがおり、その方針によって運営されている。
しかし、ギルドごとに方針や運営方法が異なると、冒険やへの依頼がスムーズに行われなかったり、報酬の支払いに不備が生じたりすることもある。
そこで各国の政府管轄の大陸ギルド協会が各ギルドの大枠での運営をサポートする形となっており、受付などの職員が一部派遣されるケースもある。
それによってギルドの運営方法にはある程度の形式ができあがり、どこの街に行っても冒険者カードを活用したクエスト受託が可能となるのだ。
また、協会の一括管理により各ギルドの連携が容易にできるため、広域で同じクエストが公開されるといったことにもつながる。
ここトロイメライでも、普通に働く職員は通常のギルド協会職員だった。
だが、他のギルドと少しばかり違うところもある。
たとえば、ギルド内に酒場がある。
酒場を運営しているのはトロイメライのオーナーサイドであり、ギルド協会とは無関係だった。
酒場の奥には会員制のVIPルームがあり、ギルド管轄外のクエスト受託が行われている。
その内容は『暗殺』『諜報』『潜入』。
通常であれば冒険者に委託される依頼内容も、トロイメライではギルドメンバーが直接実行に移す。
しかし、トロイメライへの暗殺依頼であるが、ギルド協会も全く知らないわけではない。
あくまでもオーナーの方針でしかないため口を出せず、また必要悪として黙認されている状態だ。
その精度は高く、大陸ではトロイメライは誰もが知る公然の秘密となっていた。
そんな暗殺者ギルドに所属する、ある少女が依頼をしくじったとギルドメンバーに情報が回っていた。
「ルキ! おーいルキ聞いてんのかよ!」
一人のギルドメンバーが、巨大なVIPルームの端にあるソファでいびきをかきながら寝ている大柄な男に声をかけた。
「あん?」
その赤髪の大男は、つけていたアイマスクをずらし、ギルドメンバーの男をギロリと睨みつける。
筋肉に覆われた体に、真っ赤なジャケットとパンツ。
首元でばっさりと切り落とされたおかっぱの赤髪は異様と形容してもよいだろう。
鋭く尖った犬歯が特徴的な、トロイメライに所属する暗殺者『ルキアン=ダラス』。
通称『ルキ』は、ソファに座りなおして面倒くさそうに頭をかいた。
「なんか言ったか?」
「レオナがしくじったらしい。ギルマスも間抜け面でキレてたぜ。あのクソガキが標的を仕留めそこなうなんて初めてのことだからな」
トロイメライに幼いころより暗殺技術を仕込まれた天才少女、レオナ=メビウスがある暗殺依頼を失敗したということだった。
「へえ、あのガキがねえ」
ルキは欠伸を噛み殺しながら、興味なさげな視線を送っている。
「住人の目撃情報では、冒険者と街中を追いかけっこして負けたらしいぞ」
「そうかい。まああのガキは他のカスよりマシだが、殺し方がコスくてつまらねえ」
「まだ依頼は活きてるみたいだが、どうする?」
ルキはレオナと大して交流はなかったが、どちらも実力はトロイメライの中でも最上位クラスのアサシンだ。
その彼女に依頼をしくじらせた相手と聞くだけで、ルキは自然と口角が吊り上がる。
「仕損じた相手、気になるなあ……」
ルキは、唇を舐めるようにして立ち上がった。
背後のソファの背もたれには、鈍い色の金属を連ねた、悪魔のように鋭い指先が特徴的な手甲が置かれている。
「で、ギルマスはなんて?」
ルキはその手甲を装着しながら問いかける。
自分たちの育ての親でもあるギルドマスターの顔を思い浮かべた。
すでに現役を引退しており、今はギルドの運営に精を出している。
「めちゃくちゃ怒ってる。『尻拭いできる奴間違えんな』って言ってた」
「ははっ、だったらオレで決まりだな」
肩を回しながら獰猛な獣のように笑うルキの目は、眠気とは真逆の、狩りの高揚に満ちていた。
「標的の名前は?」
「対象はセレスティア=フランシスカ。だがレオナをやったのはフガクとかいう、まあ変な頭の嬢ちゃんだ。昨日は街の地下でスライム退治をしてたらしい」
「スライム退治ねえ……ははっ、クソ仕事じゃねぇか。そんな女がヤレんのかねえ」
ルキはせめて自分の期待を裏切ってくれるなよと言いたげに、喉の奥から獣のような笑い声を漏らした。
“殺してみたい”。
ルキの根源的な欲求であり、彼が暗殺者をやっている唯一の理由だ。
ルキは、ただ戦いを、殺し合いを求めていた。
血沸き肉躍るような、互いの魂を削り合うようなギリギリの戦いを。
そしてルキは戦いの相手を求めていた。
トロイメライ最強のアサシンである自分と、正面から殺し合える力と狂気を持つ相手を。
「ちょっくら探してみるか」
「……まだ帝都にいるか?」
「さてな。まあオレとヤレる相手なんざそういねえ。大して期待しちゃいねえが……久々に仕事するかね」
ルキはゆっくりとギルドの裏口へ向かいながら、ガチャガチャと凶悪な武装『鉄葬拳』を鳴らす。
鉄の爪と手甲が一体化したような歪んだ構造で、拳で殴るたびに骨を砕き、肉を裂く必殺の暗殺装具だ。
「おい、レオナを倒した相手だぞ、一人で大丈夫か?」
ピタリと、ルキがその歩みを止めた。
そして、殺意に満ちたどこまでも真っ黒な獣の眼で男を睨みつける。
「大丈夫かだぁ? おいおいおいおいおいー、テメェは分かっちゃいねえなぁぁぁあ?」
「ギャァァァァアアアア!!」
ルキは男の頭蓋を鉄葬拳で握り潰す勢いで掴んだ。
鋼鉄の爪は万力のように頭を締め付け、爪先がこめかみに食い込んで血を流す。
男は頭が潰れる痛みに顔を歪めながら、ルキの腕を両手で掴んで助けを懇願するような目を向ける。
「大丈夫かはこっちのセリフだぜ。ただでさえヤレる相手がいなくて退屈で死にそうだっつーのによぉぉお? あー?」
「す……すまねぇ! 頼む離してくれ……! ァァアア……!」
その目には相手を捻り潰す愉悦が滲んでいる。
ルキは口元を歪めて笑いながら、ようやく男を離してやった。
男は頭を抱え、床に蹲りながらルキを見上げて戦慄する。
「ヤバくなきゃ困んだよ。期待に応えられねぇなら―――お前らを殺すしかねえなあ?」
ルキは恍惚と狂気を孕んだ表情で男を見下ろしていたが、やがて興味を失ったように出口へ向かっていった。
ただ彼が歩くだけで、周囲の空気を震わせるような迫力を持っていた。
同じ室内にいた何人かのギルドメンバーも、ルキの動きを目で追っているが、ルキはまるで意に返さない。
「レオナが残した借りも俺が回収してやる。どうせあのクソガキ、戻って来れねんだろ?」
そして、独り言のように――いや、誰かに届けるように言った。
「さあフガク……お前はどんだけヤレる。オレを退屈させるなよ?」
その声はVIPルームから出た先、薄暗いギルドの廊下に響き、消えた。
この日、暗殺者ギルド『トロイメライ』より、“最悪の刺客”が、ティアとフガクの元へと向かっていった。
退屈と狂気を、その拳に宿して――。
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