第50話 煌めく帝都の夜
「……ねえティア」
俺は今、自分の部屋でティアと二人きりでベッドに腰掛けている。
俺は上半身の服を脱ぎ、隣にはティアの顔があった。
「何?」
ティアの吐息が、俺の肌をくすぐる。
柔らかな金糸の髪から香る花のような甘い匂いが、俺の心拍数を上げて体に熱を帯びさせていった。
「ヒーリングならそう言ってくれるかな」
まあ、別に色気のある状況ではないのだが。
俺は今、部屋でティアのヒーリングによる治療を受けている。
アポロニアの屋敷への帰り道、色々と言葉足らずなティアの一言に、ミユキの背中で眠りこけていたリリアナを除き俺たち4人は気まずい雰囲気になった。
いや無理もないだろう。
夜分遅くにティアが、突然俺の部屋に行きたいなどと宣言したのだから。
「なんで?」
俺の傷に、青白い光の指先を近づけたまま、ティアはこちらを見ずに言った。
「なんでって……みんなに誤解されるし」
「なにを? 何か期待してた?」
ティアは特に表情を変えずに言った。
傷痕を見るため、伏し目がちな眼元に覗く長い金色のまつ毛の長さに、俺は内心驚きつつ答える。
「そうじゃないけど……」
「ふうんそう。心配しないで。二人にも言ってから来たから。ミユキさんに誤解されたら困るもんね」
淡々とティアは作業を続けている。
非常にありがたいしそんなつもりもないのだが、夜分遅くに男の部屋を一人で訪れるのはどうかと思う。
それだけ信頼されているのか、男と思われていないのか。
「い、いや別に僕はそこまでは……」
「まあ、ちょっと言っておきたいこともあったしね」
今日の傷がほとんど塞がっていないため、少しでも緩和できるようヒーリングをかけに来てくれたのだと思っていた。
しかし、それとは別に目的もあったようだ。
「何?」
大体のことは、情報共有も含めてみんなの前で言うティアにしては珍しいことだ。
俺は首を傾げて問いかける。
「『神罰の雷霆<プルガトリオ・ケラウノス>』……あれは命を削る技だよ。基本的には使わないで。特に、私がホーリーフィールドをかけられない時は絶対に」
ティアは真剣な眼差しでこちらを見ている。
『神罰の雷霆<プルガトリオ・ケラウノス>』。
魔王の技のひとつである『神罰の雷』を発展させたもので、全身を雷と化して超高速戦闘を行う技だ。
ミューズを圧倒したように、戦況を一変させるだけの力を秘めているが、代償も大きい。
俺はティアがホーリーフィールドをかけ続けてくれたためダメージは抑えられたが、それでも戦闘終了後の消耗は死が現実的なものとして見えるほどに激しかった。
「ごめんティア。それは約束できない」
ティアの有無を言わせない視線にも、俺はNoを突き付けた。
俺は魔獣でも人間相手でも、ある程度までの相手なら特に問題なく戦えるだけの力があることは自覚している。
だが、フェルヴァルムのような埒外の相手と渡り合えるほど強くはない。
そういった敵と互角以上に戦うためには、リスクを取らなければならないだろう。
本来は長い時間をかけて研鑽を積み、自らの力と技術をレベルアップさせていくことが正道だ。
当然それも行う。
基礎能力の向上は戦闘の幅を広げることにつながるし、長期的には必要不可欠な行動だ。
だが俺には時間が無い。
フェルヴァルムとの再戦を控えている以上、俺は魔王のチートだろうが女神からのギフトだろうが、あらゆる手段を選ばず強くなる必要があるからだ。
「フガク……本当に死ぬよ。復讐に付き合わせている私が言えたことじゃないけど、あなたが無茶をして死ぬことを私は許さない」
ティアは身を乗り出し、俺の眼前にいる。
彼女の瞳がわずかに揺れていた。
意外だった。
ティアはもしかすると、俺に責任を感じているのかもしれない。
復讐に巻き込み、急速に強くなる必要性を求められていることを。
「もちろん、極力ティアがいないときは使わないようにはするよ。実際使っても勝てないような相手だったら、逃げた方がいいわけだし。でも、使わなくちゃ勝てないときには使う」
ここで適当に肯定しておくこともできた。
しかし俺は、ティアに正直に話すことにする。
それこそが、俺のことを心配してくれているティアに対しての誠意だと思ったからだ。
「フガク……お願い。もしミューズとの戦いで、あのスキルを使ってあなたが死んだら私は」
「君のためだけじゃないよ」
「……っ」
俺はあえてきっぱりと言い切った。
ティアには悪いが、事実としてこれは別に彼女のためではない。
もちろん、ティアの戦いのためでもある。
ただ実際は、フェルヴァルムからミユキを守るため、そして『魔王』と『勇者』の間にある何かの因縁を打倒するためだ。
「そう……ならいいけど」
ティアはそう返しながら、ほんの一瞬目線を外す
「大丈夫だよティア。君が傍にいるなら、僕は何度でも打てる。だから、僕の近くにいてよ」
仮にもし明日フェルヴァルムが俺の前に現れたら、俺はためらいなく『神罰の雷霆』を使うだろう。
たとえそれで俺の体が砕け散るとしても、そこに勝算があるのなら。
「……ずるい言い方」
ティアは少しだけ頬を赤らめ、視線を逸らした。
「ねえフガク……」
再び、ティアが俺を見つめてくる。
潤んだ瞳の中に、うろたえた間抜け面の俺が揺れて見えている。
「な、なに?」
こうして見ると、ティアは本当に綺麗な顔だ。
「顔が良い」とはまさに彼女を形容したような言葉だと思った。
「フガクはやっぱり、ミユキさんのこと――」
俺の部屋の扉を誰かノックした。
「あの……フガクくん、ティアちゃんもいますか? 私も、何かお手伝いしましょうか?」
「あ、ミユキさんか」
俺がベッドから立ち上がり、ドアの方に向かう。
「これはフガクよりミユキさんの方か……」
ティアの呟きを聞きながら、俺はドアを開ける。
そこにはミユキが身体の前で手をもじもじさせながら立っていた。
「ミユキさん、わざわざいいのに」
「あ、お洋服……脱がれてたんですね」
俺も忘れてたが、ヒーリングのために半裸の状態だった。
ミユキもある程度予想していたのか、
目を逸らしながらそう言った。
「あ、ご、ごめん。今ティアにヒーリングしてもらってたから……!」
俺ミユキを室内に入れつつ、慌てて服を取りに戻ろうとすると、ティアが俺のシャツを俺の肩に引っ掛けてきた。
「今終わったよ。ミユキさん、せっかく来たんだから、ちょっとゆっくりして行ったら?」
ティアはミユキに笑いかけながら、自分は部屋から出ていこうとしている。
「ティアちゃんは、もう戻られるんですか?」
変な気でも利かせているのだろうかと思ったが、多分そうではなく本当に用件が済んだから帰るのだろう。
ティアはドアの前で一度こちらを振り返った。
「二人きりで話したいこともあるんじゃない? 特に今日のフガクの無茶。ミユキさんからもしっかりお説教しといて」
俺をチラリと一瞥した後、ティアはそのまますぐ二つ隣の自分の部屋に戻って行った。
ティアが去り、沈黙に包まれる部屋の中で、すぐ入り口に立って所在なさげにしているミユキ。
まだそわそわしているように見えた。
「えーっと……じ、じゃあ座る?」
「あ、はい……では、失礼します」
ミユキと部屋で二人きりだと思うと、俺もなんだかドキドキしてきた。
部屋にテーブルと椅子もあるが、ミユキは俺の座るベッドに腰掛ける。
隣に座るミユキは、顔を赤くして俯いていた。
微妙に気まずい沈黙が流れる。
いい雰囲気といえばそうなのかもしれないが、正直部屋に二人きりはなかなかに緊張感がある。
おそらく、今日の戦いで俺が無茶をしたから、それが気がかりだったのだろう。
それでも、こうしてわざわざ訪れてくれた理由は……俺にも少し、察するところがあった。
まあ俺としてはミユキが部屋を訪れてくれたことが嬉しいから、理由など何でもいいのだが。
――やっぱりミユキさんのこと
ティアが先ほど俺に言いかけたことが、一瞬頭の中に思い浮かぶ。
俺の勘違いでなければ、その先続く言葉も予想はできた。
だが、俺はそれには答えられない。
俺自身にも正直よく分からないからだ。
隣に座る彼女を見ていると、不思議な気分になる。
自分よりも遥かに強い女性なのに、こうしているとただ綺麗なだけの普通の人に見えるからだ。
「あの……」
「うん?」
ミユキは膝の上で指をそろえながら、そっと声を落とした。
「……今日の戦い、私も言いたいことがあります」
ミユキは真剣な眼差しで俺を見ている。
ティアのように、俺の身を案じて力を使わないよう言われるのかもしれないと思った。
「な、なに?」
「ティアちゃんが“無茶”って言ってたの……たぶん、きっと、正しいと思います」
フガクは思わず視線を逸らす。
ミユキの言葉には怒りも責めもなかった。ただ、そっと撫でるような優しさと、悲しさがあった。
「フガクくんが傷つくのは……とても嫌です。見ていられないくらい、苦しいです」
「ミユキさん……」
彼女の顔がすぐ横にある。
手を伸ばせば触れられる距離に、いる。
だが俺は微動だにできなかった。
「……でも、私は止めません」
ミユキは笑った。
寂しそうに、けれどどこか何かを祈るような姿にも見えた。
「私たちは、同じものを目指しているから。だったら、フガクくんの覚悟を信じます」
その言葉に、俺は胸を打たれた。
もしかすると、彼女にだけは認めてもらいたかったのかもしれない。
決して言葉には出さないけど、俺は君のために強くなったんだって、最後にはきっと思えるようになりたいのだ、
「……ありがとう。ミユキさんがそう言ってくれるのは、正直ありがたいよ」
「でも……」
彼女が少しだけ近寄った。
布団の上で、手の甲が触れ合う。
わずかに指先が重なって、俺の心臓が跳ねた。
「お願いがあります」
瞳の中の揺めきが見えるほどの距離で、彼女は言った。
「……うん」
「ちゃんと、私の傍に戻ってきてください。どんなにボロボロになってもいいです。倒れそうなときは、私が必ず支えます。でもその代わり、絶対死なないって約束してください」
ふと、ミユキが言葉を止める。
そして、ごく小さな声で、けれど確かな意思を乗せて、呟いた。
「私はこの先もあなたと……」
「ミユキさん」
胸の奥で何かが弾けそうになる。
それが言葉になる前に、俺はそっと彼女の名を呼んだ。
最後まで言わなくてもいい。
彼女の気持ちは十分に伝わってきた。
そして
「約束するよ、僕は何があっても、君の元に戻るって」
俺はミユキに笑いかけた。
ミユキも、はにかんだように俺に笑顔を向けてくれる。
「フガクくん、もう一つだけ、わがままを言ってもいいですか……?」
ミユキは俺とわずかに手が触れ合ったまま、おずおずと言葉を続けた。
普段は身長差があり俺が少し見上げる形になっているが、今は座っているので目線がほとんど同じだ。
珍しいミユキの上目遣いにドキリとしながら、俺は首を傾げる。
「ん? なに?」
「今日のフガクくんを見て、私ももうなりふり構いません。もし私が、『勇者』の全力を解放したときは……できれば怖がらないでいただけると、嬉しいです」
なんだそんなこと。
俺はもうミユキが恐ろしいほどの力を持っていることを知っている。
今さら彼女が全力を出したからと言って、彼女を恐れることなどないだろう。
「大丈夫だよ。何があっても、君を怖がったりなんかしない」
俺はミユキを安心させてやるように笑いかけると、彼女も薄く微笑んで頷いた。
その指先は、まだほんのわずか、俺の手の上に残っていた。
優しく、穏やかな時間が流れていく。
手を繋ぐことも、抱きしめることもない。
けれど、確かに心が寄り添っている。
そんな夜だった。
しかし、俺はこの先知ることになる。
ミユキ=クリシュマルドの、『勇者』の本当の力を。
そして、彼女が『人喰い』と呼ばれる真の理由と、その恐ろしさを―――。
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