第48話 神罰の雷<プルガトリオ>
レオナは今、地上の浄水施設の内部を駆け抜けていた。
フガクとはぐれた瞬間、これは既に敵の攻撃が始まっていると確信した。
まずティアがミユキを伴って現れ、ミユキが足を滑らせフガクと共に流されていった時点で怪しいと思った。
ミユキとは出会って3日目だが、彼女の身体能力の高さははっきり言って化け物だ。
多少床が滑るからと言って、転んでそのまま水路にドボンなんて喜劇はまずありえない。
さらに、彼女たちは持っていったはずのライトを持っていなかった。
買い物で見たティアの用意の周到さは、付き合っているこちらが疲れるレベルだった。
その彼女が、暗がりの中先ほどまで点灯させていたライトを消すばかりか、手放すなんてありえない。
そして何より、さほど時間も経っていない中、合流地点からわざわざこちらに歩いてくるのも意味がなくありえない。
レオナはこれでもプロの暗殺者を自負している。
どれか一つならばあり得ても、これだけ続けば敵の工作が始まっていると見るべきだ。
そう踏み切ったレオナの行動は早かった。
フガクがミユキによって分断された後、レオナはティアの言葉を最後まで聞くことなく、ただちにその首を切った。
(やっぱ偽物か……フガクは気づくかな?)
案の定、転がり落ちた彼女の首と胴体はドロドロに溶けて通路にシミを作る。
つまり、フガクと共に流されていったミユキも偽物ということだ。
レオナは一瞬助けに行くか迷ったが、行かないことを決断した。
フガクは、助けてもらいたくないと思っている気がしたのだ。
昨日必死の彼と模擬戦をしたが、彼は焦りを感じていた。
強くなることを強烈に渇望していた。
レオナは焦っても意味はないと思ったが、彼なりの必死さは感じられた。
だから、この程度の逆境を越えられなくてどうすると考えたのだ。
フガクは決して弱くない。
レオナは自分で大仰に語るが、彼女は正しく天才暗殺者だった。
白兵で自分と渡り合えるどころか、勝ち越せる彼が、あれくらいでやられるわけがない。
「うらぁ……!」
レオナは頭に叩き込んだ浄水場の地図と、地下水路の出入り口を蹴っ飛ばし、片っ端から開けて確かめていく。
帝都内から地下水路に続く出入口はいくつかあるが、レオナの目的地はせいぜい2、3ヶ所だ。
真っ赤な髪をなびかせて疾走する少女に、たまにすれ違う施設内の職員が驚愕するが、ギルドから連絡も行っているらしく止められることはなかった。
レオナがこうして走っているのには当然理由がある。
地下水道に入る前、ティアからある指示を受けていたのだ。
もしはぐれるような事態が起こったときは、レオナは単独行動をすること。
(昨日今日仲間になったアタシが裏切るとか考えてないのかね、ティアのバカは!)
そして、敵を見つけて『暗殺』することだ。
先ほどの偽物のティアの死に様から、おおよその敵の正体には検討が付いている。
仮に無駄足でもいい。
もしかすると、今頃ティア達が敵と戦っている可能性だって高いのだ。
レオナは、構造図に記載されていた最後の目的地の扉を開け放った。
―――
ガギィィィィイイインッッッ!!!
銀鈴とスライムが硬質化し刃がぶつかる音が、室内に高らかに響く。
俺とミューズは斬り結び、互いに吹き飛ぶ。
俺はティアの側へと着地して再び宙を奔るべく脚に力を込める。
「フガク……何なのそれ」
「あいつの真似をしてみただけだよ」
驚くティアの声が俺に届くより早く、俺の脚は雷を纏い、俺の姿をしたミューズへ駆け抜けていく。
バチバチと俺の後ろを雷の尾が追いかけてくる。
『神罰の雷』と、目の前の俺は言った。
俺の中では、確かにその言葉がしっくりきた。
当然だ。
これは魔王の権能の一つ。
俺が始めから持っているものなのだから。
「はっ! やるじゃないか、まあ"僕"にできることだ、君にできない道理はないよ。でも……!」
俺とミューズの刃が、雷速でぶつかる。
銀鈴が折れないのが不思議な程の速度だ。
音は後から着いてくる。
俺は弾けるように奔る自らの体を制御することすらまだできない。
ただこちらとあちらを結ぶ雷のレールの上を、真っ直ぐに駆け抜けるだけだ。
果たしてこれが『神罰の雷』の全貌なのかはわからない。
だが、これは自らの体を雷と化すスキルだというのは分かる。
「僕がこう言うのもなんだけど、君はその力に耐えられるかな?」
ミューズの俺が嘲るように言う。
俺は今、足が焼き切れているのではないかという痛みに襲われていた。
当然だが、人間の体は雷にはならない。
魔法で無理矢理に体に雷を宿しているだけだ。
「心配するな! お前ならわかるだろ!」
だが俺は、全身に流れる血が熱く滾るのを感じていた。
身体にかかる負担など、大した問題ではない。
「ちっ……!」
ここにきて初めて、ミューズの顔が忌々しげに歪んだ!
叫び声を上げたいほど痛むが、俺は気付けば笑みを浮かべていた。
「何がおかしいんだ!」
自分の顔で自分が激昂している姿は滑稽だ。
何せ自分だからな。
俺には奴の気持ちも分かる。
奴は今、おおいに焦っているのだ。
「弱い自分を殺せることだ!」
俺は奴にそう告げ、再び脚に意識を集中させる。
ああ、痛い。足が弾け飛びそうだ。
でも征く。
たとえこれで、俺の足が砕け散ろうとも
バヂッ……!!
俺は跳ぶ。
宙を舞い、ただ向こう側へ走り抜ける。
相手も俺に向けて『神罰の雷』を放つ。
硬質化した青白い刃が、俺の胴体を切り裂くために伸びてきた。
互いに宙を奔る。
このままでは良くて相打ちだ。
だが、俺にはもう一つ、こいつとの違いがある。
「ティア! ホーリーフィールド!!」
「もうかけてる!」
俺の体を、ティアのホーリーフィールドによる青白い光が包み込む。
俺にはティアがいる。
隣で戦うミユキもいる。
『神罰の雷』を最初に使ってから、やろうと思ったことがある。
それはきっとミューズの俺も思いついたのだろうが、やろうとも思わないことだ。
俺は奥歯を噛み締め、全身に『神罰の雷』を解放する。
それがどれだけ危険なことか、この一瞬でよく分かった。
奴が使わないということは、スライムの再生能力でも耐えられないということだ。
だが、目の前にいる"俺"を超えるには、もう一段階上を見せつける必要がある。
それが命を削る切り札であったとしても。
「終わらせる―――」
終わるのは、俺か奴か。
いや、ティアのホーリーフィールドは本人曰く欠陥品だが、俺は前回の戦いでも彼女の力に救われている。
疑う余地など一つもない。
体中を雷撃がほとばしる。
本来であれば、皮膚が焼け焦げ、肉が弾けるほどの衝撃。
だが、ホーリーフィールドがギリギリのところで肉体の崩壊を喰いとめてくれる。
これなら、いける!
「―――『神罰の雷霆<プルガトリオ・ケラウノス>』!!!!」
かくして俺は、雷霆となった。
俺はただの雷で、その先にある全てを貫き穿つ光の槍だ。
雷は俺の後を追うように従い、宙を駆け抜ける。
世界に白く輝く放物線を描き、音さえも置き去りしていった。
白雷の尾が空間に痕を刻む。
まるで夜空を裂く流星の如く、銀色の槍が空間そのものを貫通していき、残光が焼き付き消えない。
ああ、全身が焼けるように痛い。
だが、ティアの、聖女の光が俺を守ってくれている。
あと1秒だけ、俺の身体がもてばいい―――!
「嘘だろ……”僕”は……死ぬ気―――」
「いいや……俺には死んでる暇もない……!」
輝く一つの槍と化した俺は銀鈴を抜き放ち、ミューズを一瞬にして貫く。
その光と熱量は、液体であるスライムの身体を蒸発させる。
俺の姿をしていたミューズは、その姿を保てなくなり、言葉を最後まで放つことなく消え去った。
俺は勢いを殺せず、そのまま壁に激突して止まる。
身体からは肉が焦げるような臭いがする。
しかしどうにか人間の形は保てているようだ。
慌ててティアが駆け寄ってくる。
「また無茶して……! でも、かっこよかったよ!」
ティアは俺の傍にしゃがみこみ、まだ意識が朦朧としている俺を褒めてくれた。
すぐにヒーリングをかけてくれる。
『神罰の雷霆<プルガトリオ・ケラウノス>』。
『神罰の雷』の完全なる上位スキルだ。
脚だけでなく、全身を雷霆に変えて空を穿つように駆け抜ける最後の切り札。
ティア無しでは絶対撃てない捨て身の技だが、俺は彼女のその言葉だけで、まだ何発でも放てる気がした。
―――
「なんですか……あれは」
ミユキと対峙する、同じ顔をしたミューズは驚嘆した。
鍔迫り合い、拮抗していた二人の勇者だが、フガクの空を穿つ一撃が二人の意識をそちらに向ける。
ミユキもまた、フガクの驚異的な進化を目の当たりにして高揚していた。
「フガクくん……お見事です」
きっと自分の身体もただでは済まないだろうに。
彼には、本当は無茶をしてほしくなかった。
だが、自分たちは誓い合ったのだ。
再びフェルヴァルムと遭うその時までに、絶対に強くなると。
その方法の一つがアレだというなら、ミユキはただ彼を称賛しようと決めた。
そして、彼に恥じない自分で在ろうと、彼女もまた心の中で決意する。
「さあ、私も終わらせます!」
ミユキは自らを模倣するミューズへと駆けていく。
フガクが今の己を超えていくなら、自分もそうしようと思った。
彼はミューズの模倣をすることで自らの新たな力を手に入れた。
ならばミユキは、自分と同じ存在になった相手ですら知らないものを見せてやると決める。
跳躍し、徐々にミューズを追い詰めていく。
「く……! なぜ私が押されるんです……あなたと私は同じもののはずなのに!」
目の前のミューズは、何故自分が劣勢に立たされているのかを理解できていなかった。
だが、ミユキにとっては単純なことだった。
「あなたは『勇者』の権能を分かっていません。だってあなたは、人間じゃないから」
『勇者』は、ただその身一つで正真正銘の怪物である『魔王』と戦い、勝利した人類だ。
その本質は、まさしく”勇気”。
もっと具体的には、精神性がそのまま力になる存在だった。
だから人間の精神を模倣しているだけのミューズには理解できない。
――『魔王』は”称号”であるが、『勇者』とは”概念”そのものだからだ。
理屈やロジックでは決して再現できない。
”感情”こそが勇者の力を増減させる原動力なのだから。
ミユキとてそれを完璧に理解していたわけではない。
ただ彼女はこれまでの数多の戦闘経験から知っていた。
分かりやすく言うならば、"ノっている"ときの自分は、無敵であることを。
「私も超えていかなければならないんです……! 弱い自分を―――!」
幼い頃のトラウマから、フェルヴァルムの前では身が竦んで動けなくなる自分に、あの時ほど腹が立ったことはない。
そして、目の前で戦い続ける彼に、どれだけ”勇気”をもらえているのかと自らを奮い立たせたこともない。
そしてミユキは憤る。
フガクがああまでして強さを求めるのは、自分のせいだ。
フェルに怯え、どうしようもない自分を守ってくれようとしているのだ。
だからこそミユキは自分が許せない
フガクに、死ぬ思いをさせてまで強くなることを強いている自分を、心底殺したいと思うほどに―――!
「ぐっ……ぁあああああああ!!!!!」
ミユキの剣戟を真上から受け止めたミューズだが、やがて硬質化した腕の刃ごと、ミユキの剣が唸りを上げ、鋼の刃が閃光となる。
ミューズの頭蓋が硬質音を残して割れ、青白い液体が噴き上がった。
―――”私”は怒りを抑えようとするくせに、激情家ですもの。
先ほどミューズが言った言葉を思い出す。
それは、まさしくミユキを言い表す言葉だった。
「ええ、全くその通りです……!」
やがて、ミユキを模していたミューズも跡形もなく消え去る。
「フガクくん! やりました!」
それを確認し、ミユキは笑顔でフガクの下に駆け寄る。
ティアからヒーリングの治療を受けている最中で、少し意識が朦朧としているようだ。
ミユキは彼の傍にしゃがみこみ、もう一度勝利の報告をする。
「見てたよ……やっぱミユキさんはすごいよ」
フガクは力なくそう言う。
「そんなことはありません。私が勝てたのは、あなたを見て……」
ミユキは、胸の奥の高鳴りが収まらない。
彼を見ていると、前に進む勇気がもらえる気がするのだ。
それを伝えるべきか迷った。
伝えていいものかも迷った。
「待って、フガク、ミユキさん……」
ティアが立ち上がり、背後の俺たちが入ってきたドアを見る。
ガチャリとドアを回し、そこから入ってきたのは。
「残念だったね」
今しがた倒したはずの、フガクの姿をしたミューズだった。
さらにその後ろからは、ティアの貌のミューズも続いて現れた。
「フフフ……がんばったのに、本当に残念」
偽物のティアが、勝ち誇ったような顔で告げる。
「どういうことだ……」
フガクがゆっくりと立ち上がり、力なく問いかける。
「どうもこうも無いよ。そうだね、君たちの絶望する顔も見たいところだし、教えてあげよう。君たちは、僕たちが分裂できるのは2体までだと思っていたようだけど、実は3体だ」
「さっき2体までって言ったけど、あれウソなの。ごめんね。本体は別にいる」
偽物が交互に喋り、ティアのミューズが意地悪く笑っている。
ミユキは、ティアの顔でそんな邪悪な顔をしないでほしいと思った。
彼女は、決して狡猾な女性ではない。
ただ目的を達するために、幾重にも用意を重ねる慎重な人なだけだ。
チラリと本物のティアを見てみると、ショックを受けているのか、俯いていて表情が見えない。
「仕方ないな……もう一回やるか」
フガクは銀鈴を抜く。
無茶だ、とミユキは思った。
自分はまだ戦えるが、フガクは先ほどの大技で消耗しきっている。
仮にまた戦えたとしても、今度は命を落としてしまうかもしれない。
だが、自分自身とフガク、二人を相手取って戦えるか、ミユキは勝算に疑問を抱いた。
「ミユキさん、まだいけるよね? 僕ももう少し『神罰の雷』の練習したいと思ってたところだ」
強がりなのか、果たして本当にそう思っているのか。
何となく、後者なのだろうとミユキは思った。
(―――まったく、しょうがない人です)
ミユキは、胸のドキドキが心地よく続いているのを感じていた。
「ええ、あなたとなら、何度でも」
彼の隣でもう少しこのドキドキが味わえるのなら、また命を懸けることに何のためらいもない。
そして、ティアの顔をしたミューズは邪悪な笑みを浮かべながら告げる。
「じゃあ、消耗戦といきましょう。まあこちらも無傷ではないけど……え?」
「な……なんだ、これは?」
ふと見ると、ティアとフガク、二人のミューズの身体がドロドロと溶けていく。
ミユキは何事かと訝しむが、その時隣でうつむいていたティアがクスクスと笑い始めた。
「なにがおかしいの」
偽物のティアが、本物のティアの微笑に苛立ちながら問いかける。
「ふふふ……よかった、間に合って。さすがプロ暗殺者」
「超絶天才を付けてくれるかな、ティア」
ミユキたちの背後にあった操作室の扉から、レオナが出てきた。
彼女は、真っ白な姿をしたミューズらしきものを引きずっている。
ナイフが3本ほど突き刺さった真っ赤な頭部に、透明な青白い人間の女性のような肉体。
女性型のスライムといった形状で、背中にはこれまた透明な羽が生えていた。
「レ、レオナ……今までどこに」
フガクも驚愕を露わにしながらレオナの顔を確認している。
また偽物では無いかと疑っているのだろう。
「こいつを探して上と下を行ったり来たりだよ」
ベチャリと、ゲル状の肉体を部屋の真ん中に放り投げ、さらにナイフ投げて頭部に突き刺す。
通常スライムの身体の中心部ある核だが、このミューズの場合が真っ赤な頭部が丸ごと核なのだろう。
「ふふふ、あなたたちの絶望の顔が見たいから、教えてあげるね」
ティアは、レオナが放り投げたミューズの頭部に突き刺さったナイフに足を乗せる。偽物のティアが、わずかに声を震わせる。
「や……やめろ」
ティアは静かに、ナイフの柄に足を乗せたまま、やさしく微笑みながら言った。
「私は、あなたたちが2体以上分裂できることも、その上限最大3体で本体が別にいることも分かってた。なんでだと思う?」
ティアは、ナイフを踏む足に力を籠め、ズブズブと突き刺していく。
「何年”私”をやってると思ってるの? あなたが”私”の思考を模倣してるなら、”私”の考えそうなことなんてお見通しだよ」
踏み込む足に力が入るたび、ドロドロと偽物たちの身体が崩れていく。
ミューズの焦りが濃く滲み始める。
「やめろ……! やめるんだ……」
フガクの顔をしたミューズが、溶けていく顔で焦りを露わにしながら言う。
だがティアの微笑は変わらない。
「―――だって私ならそうするから」
「やめロォおおおォォォオオオオオ……―――!!!!!!!」
そしてティアは、ただいつもの微笑のまま、憎悪を笑顔で覆い隠したまま、冷徹にナイフの柄を踏み抜いた。
ズブリとナイフが突き抜けるとミューズの叫びは断ち切られ、偽物たちは音もなく溶けて消えていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
モチベーションにもつながりますので、もしよろしければぜひ評価や感想などいただけると幸いです。
評価は下の「☆☆☆☆☆」から行えますので、よろしくお願いたします。




