第38話 紅の暗殺者①
座り込んだまま、ティアは目の前に立つ少女の暗殺者を見上げる。
全体的な印象は赤い。
青いリボンが結ばれた赤髪のツインテールをなびかせ、赤いワンピースの胸元にも同色のリボンが揺らめいている。
晴天の空のような色をした眼が、楽し気に細められていた。
「ティアさーん、お待たせしましたー! 私の奢りなので一緒に太りまし」
リリアナがティアの分まで焼き菓子のようなものを買って戻ってくる。
脇に杖を挟んでまで、わざわざ買ってきてくれたようだ。
その声に反応してチラリと少女暗殺者がそちらを見たと同時に、ティアはゴロリと転がり人混みの中に紛れ込んだ。
「ちょっ! どこ行くんですかー! せっかくティアさんの分も……!」
「リリアナも逃げなさい! あと私いらないって言ったでしょ!」
「ちっ……!」
少女はティアが逃げるのを舌打ちして見送る。
ティアは一瞬リリアナが人質に取られる可能性を考えたが、これだけの人混みでその線は薄いだろうと考えを改めた。
ティアは雑踏の中を走り抜け、時折路地に入って少女を撒こうと試みる。
あわよくば、デート中のフガクとミユキに遭遇しないかと淡い期待をしていた。
あの少女がどの程度の手練れかは分からないが、ミユキかフガクのどちらかと合流できれば十分勝機はあるはずだ。
(……殺し屋って……私を殺してどうするの?)
意外にもティアは、旅に出てからというもの刺客にはほとんど縁が無かった。
自分は聖女の権能を後天的に獲得させられた実験体ではあるが、研究所解体のどさくさの中でウィルブロードに移ったため、今日に至るまで追手がかかったことはない。
そのため、フガクを始め追手かと思ったときは面食らったものだが、違ったと知って自分にはもう追うだけの価値もないのではないかと少し安堵したものだ。
だが、ここに来て殺し屋を差し向けられた。
ティアは頭に浮かぶいくつかの疑問を整理していく。
一つ。
何故居場所がバレたのか。
正直目立つような動きはしたので、たまたま気付かれた可能性も否定できない。
あの少女は自分の名前を尋ねてきたことから、何者かに依頼されて殺しに来ている。
自分たちは昨日の昼に帝都に到着したので、さすがに昨日今日依頼されたとは考えにくい。
そのため、自分の居場所がバレたのは少なくともエルルに滞在していた前後だと推測された。
二つ。
誰が依頼したのか。
かつてフランシスカの研究所にいたガウディスやその関係者という線が濃厚だが、それは一体誰か。
いくらか候補はいる。
エルル滞在中に会話を交わした相手は多いし、ギルドのクエストで関わった冒険者も多数だ。
もちろんエフレムやリリアナの可能性だってある。
(さすがに考えたくはないけどね……)
ティアは走りながらリリアナの顔を思い浮かべる。
まあまず無いだろうとは思っているが。
三つ。
何故殺す必要があるのか。
聖女の権能の一部を持つティアには、利用価値は多少なりともある気はする。
具体的に何と言われれば思い浮かばないが、少なくともわざわざ殺す理由が無い。
せめて生け捕りならまだ納得できるのだが。
ということは、フランシスカ関連の連中の仕業ではないのかという疑問が思い浮かんだ。
(まあ殺すと言っておきながら殺さないパターンかもしれないけど)
今考えても答えの出ないことばかりだ。
とりあえずこの場を切り抜けてから考えよう。
ミユキでもいれば、あの少女をとっ捕まえて吐かせるのだが。
ティアは、あいにくと自分にそこまでの力はないことも分かっていた。
ティアは人混みをかき分け、気が付くと人通りの少ない路地へと入り込んでいた。
「しまった」と思ったが、後ろを振り返っても誰も追ってこない。
(撒いた……?)
ティアは立ち止まり、壁を背にして大通りの方をチラリと覗き見てみる。
一応1ブロック向こうには多くの観光客が歩く通りがあるので、いざとなればそちらに逃げ込もうと思った矢先のことだった。
「お姉ちゃんさー、アタシから逃げられると思ってる? この街アタシの庭だよ? 無駄無駄」
背後からあの少女の声が聴こえた。
ティアは振り返ることもせず、一目散に大通りの方に駆け抜ける。
「逃がすかっつーの!」
ティアは背中から衝撃を受けた。
少女は背後ではなく、頭上にいたのだ。
地面にうつ伏せに押し倒されてしまい、髪の毛を鷲掴みにされて首を後ろに逸らされる。
そして首筋には、冷たいナイフの感触が当たった。
「はいご苦労様ー。じゃあバイバーイ」
「待ちなさい……!」
少女が喉を切り裂くためナイフを動かし、ティアの首の薄皮が切れて血が滴る。
ティアは喉元に切り裂かれる寸前で声を上げる。
ピタリとナイフが止まった。
「何ー? 命乞いなら聞かないよ?」
あっけらかんとした態度で一応話には応じてくれる。
「私を殺す理由を教えなさい」
「知らないよ。そういう依頼なんだから」
「本当に殺す依頼だった? よく考えて」
ティアは髪の毛を掴まれて首を無理やり後ろに逸らされる痛みを味わったまま、必死に声を絞り出す。
力を抜けばそのまま刃に突き刺さりそうだ。
「えー? ……あっ」
嘘だろと、ティアは思った。
何かを思い出したように呟いた少女の声に、ティアは苛立ちを覚えた。
自分は今、ついうっかりで殺されそうになったのかと。
「生け捕りとかだったかも。あんまり指示書読んでなかったわ、ごめんね」
てへぺろと笑う少女。
ナイフを首筋から外し、ティアはどうにか命の猶予を得たと安堵した瞬間。
もう一度髪を掴まれてナイフを首筋に押し当てられた。
「な、なに……!?」
「でもどっちでもいいみたいだったよ? 別に抵抗されたから殺しちゃったーでも通用するからもうそれでいいよ」
舌なめずりをしながら、少女はナイフを握りこんで首を狩ることに決めたようだ。
「待ちなさい……!」
「だめー」
首筋に刃が食い込もうかというその時だった。
「ふざけるな!!」
少女の側頭部に路地の奥から現れたフガクの渾身の蹴りが叩き込めれた。
「でっ!」
華奢で軽量な少女は軽々と吹き飛び、ナイフを落としながら石畳の上を転がる。
「フガク……どうして。っていうかそのケガ……」
ティアはすぐさま起き上がり、助けてくれたフガクを見る。
一度見たら忘れない白と黒のツートンカラーの髪をなびかせて、顔には怒りを露わにしている。
よく見ると怪我をしているようだった。
全身から血を流し、特に腕と頬が血で真っ赤に染まっている。
「リリアナから聞いたよ。3人で手分けして探したんだ。ケガのことは後で話す。それよりティア、この子は?」
「私を追ってきた殺し屋らしいわ。できるだけ殺さずに捕らえられる? 情報を吐かせたい」
「やってみるよ」
フガクは倒れた少女に向き直り、銀鈴を抜く。
少女も頭を押さえながらゆらりと立ち上がった。
「ったいな……! 何あんた」
「女の子の殺し屋? こんな小さいのに……12歳くらいかな」
「アタシは16だよ!!」
少女は腰からナイフを2本投げる。
フガクはそれを屈んでかわし、少女の懐に潜り込む。
少女にタックルをして地面に押し倒している。
「離せこの野郎……! 触んな変態!」
「暴れるなこのバカ!」
フガクはヒジを少女の鼻先にさく裂させる。
「フゴッ……!」
少女は鼻血を吹き出し、鈍い声を出した。
意外と容赦無いなとティアは思ったが、相手も慣れているのか、その程度で止まることはない。
ジタバタと暴れまわり、フガクの背中に肘打ちをしながら拘束からの脱出を試みている。
「ティア! とりあえず逃げて!! 多分その辺にミユキさんたちもいるはずだから!」
「ごめん! お願い!!」
ティアはフガクにその場を任せて大通りの方に走り出した。
ここで取れる選択肢は2つある。
一つはティアがフガクに加勢してあの少女の暗殺者を仕留めること。
二つ目は、ミユキを探し出して確実に生け捕りにすることだ。
あの様子では、少女とフガクの実力はややフガクが優勢だった。
であれば、一旦任せてミユキと合流するのがよいだろう。
ティアは走りながら手元に意識を集中させ、精霊召喚を試みる。
スキルレベルDのティアでは、小さな鳩なんかを最大3羽程度呼び出すのが関の山だが、これはこれで使い道はある。
精霊はティアの思うままに操れるので、ティアはすぐさま2羽の鳩を呼び出して空へと放つ。
ミユキと、ついでにリリアナを見つけたら自分の元へと連れてくるように命令を出しておいた。
言葉が話せるわけではないので、意図に気づいてくれればよいのだがと思いつつ、ティアはひたすらに走り続ける。
(これはガウディスにつながるチャンスよね……)
ティアは一端立ち止まり、肩で息をして呼吸を整える。
額から顎に向けて一筋汗の雫が流れ落ち、ポタリと地面にシミを作った。
これはきっと、尻尾を掴めない復讐相手の足取りを掴むチャンスだと思った。
ティアはこの機会を逃すまいと、またすぐにミユキを探すべく再び走り出した。
―――
「異世界転移者……?」
「勇者……?」
時間は少し巻き戻る。
俺はミユキに後ろから抱きしめられたまま、涙を零す彼女に視線を向けた。
ミユキもまた、俺の発した言葉に首を傾げて反応を見せる。
「ああうん……実はミユキさんたちに助けてもらったとき……」
「ああーーー!!!!!」
女性の大声が聞こえたのでビクンと肩を跳ね上げる俺。
ミユキも何事かと声の主に視線を送り、俺もそれに釣られた。
声のした方向には、リリアナがいた。
口元に何かの食べかすのようなものがついており、つい今しがたまで食べ歩きでもしていたような様相だ。
「リリアナ……」
「あー! あー! フガクさんとミユキお姉さんが路上でエッチなことしてるー!」
あわわわと、リリアナが杖を抱きしめながら頬を赤らめながら動揺している。
なるほどわかる。
俺は何となくミユキに抱き留められたままで、ミユキも俺の身体を離そうとしなかったので、かなりの密着度だ。
確かに傍から見ればエロいかはともかく彼女が彼氏に後ろから抱き着いているように見えるだろう。
まあ男の俺が後ろからハグされているので、イマイチ格好はついていないのだが。
ミユキはリリアナの言葉にバッと慌てて手を離し、これまでにも見た人外のスピードでリリアナに飛び掛かってがっちりと彼女の両肩を掴んだ。
「ひぃっ……!」
顔を真っ赤にして鬼気迫る勢いのミユキに、リリアナは涙目でビクついている。
怖いなら言わなきゃいいのにと思ったが、さすがにあの速度で迫られれば俺でもビビる。
「違いますから……! リリアナさん!」
「ひ、ひゃい……!」
「リリアナさん……! 下品なのはよくないです! 私とフガクくんはエッ……チなことはしてないです!」
下品かはさておき、ミユキは耳まで真っ赤だ。
雰囲気的には全くエロくなかったのでリリアナの言葉は言いがかりもいいところだが、今思えば確かに結構エロい体勢だったかもしれない。
背中に当たっていたミユキの胸の感触を思い出しつつも、今はそれどころではない。
そろそろ助けてやるかと、俺はフェルヴァルムに削がれた頬や腕の痛みで顔を引きつらせながらリリアナに問いかける。
「ティアはどうしたの?」
「あ、そ、そうでした! 大変ですー! ティアさんが変な赤い女の子にナイフ持って追いかけまわされて……!」
白い女の次は赤い女か。
どうなってるんだこの街は。
俺とミユキは視線を合わせて頷き合い、駆け出した。
振り返ってリリアナに向けて叫ぶ。
「ありがとう! リリアナは先にアポロニアさんの屋敷に帰ってて!」
「さっきは屋台街の方にいましたー!」
「分かりました! ありがとうございます!」
「フガクくん! 手分けして探しましょう!」
「うん!」
俺は路地の出口にてミユキと二手に分かれる。
ミユキの話は気になるし、俺の話もしておきたいところだが一先ず後だ。
俺たちはこの広い帝都からティアを見つけ出せるのか。
無事でいてくれと願いながら、俺は痛む身体に心の中で鞭を打った。
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