第37話 白い女②
フェルヴァルムの顔から笑みは消えない。
一見すると慈愛に満ちた表情にも見えるが、目はまるで笑っていない。
だが、それはティアのように憎悪と怒りを覆い隠すための仮面ではない。
フェルヴァルムの笑みは、ただ人でないものが人のフリをする、そんな見るものに不気味な印象を抱かせる笑顔だった。
突如街中で始まったチャンバラに、周囲の人々は騒然としている。
何かのイベントかと見守っている者もいれば、吹き出す血の量に気分が悪くなってその場にうずくまる者もいた。
「お前たち! 何をしている!」
その時、騒ぎを聞きつけた警備兵が、3名走ってきた。
「そこの女! 武器を捨てなさい! すぐに応援が来るぞ!」
血みどろの俺たちを見て兵士たちは剣を抜き、3名でフェルヴァルムを取り囲んだ。
だがフェルヴァルムは、彼らを一瞥もせずミユキを見つめている。
「ああ、もう少しお祭りを見ていたかったけど、もうこの街も出ないといけないみたい」
そう言って、フェルヴァルムは一歩後ろに飛び、兵士たちの真ん中へ飛び込んだ。
「なっ……!」
「いけない! 危険です!逃げてください……!」
ミユキの声が届くよりも早く、フェルヴァルムは軽やかに舞うように剣を薙ぐ。
兵士たちは全員腹から血を流し、膝をついた。
死んではいないようだが、全員剣を落としてうずくまっている。
「が……うぐ……!」
「邪魔が入ったし。せっかくの楽しいお祭り。子どもたちも見ているわ。今日はこのくらいにしておきましょう」
何が起こっているのかも理解できない様子の、子どもの姿を見つけて笑いかけているフェルヴァルム。
これだけのことをしておいて、子どもに優しい一面を見せたって彼女の狂気が際立つだけだ。
フェルヴァルムは倒れ伏す兵士たちに目もくれず、ふっと踵を返した。
俺たちが視界から外れたその瞬間を、俺は逃さない。
「何勝った気になってる……!」
俺はミユキの手から銀鈴を奪うようにして取り、捨て身の体勢でフェルヴァルムに剣を突き出す。
その時、俺の足元からバヂッ!という何かが弾けるような音がした。
地面に雷光のような閃光が走り、瞬間、視界が白く染まる。
足元から何かに引っ張られるような力が働き、気づけば俺の体はフェルヴァルムへ向けて弾かれていた。
加速。跳躍。落雷のような、直線的な衝撃――。
そしてまるで引っ張られるように、俺の体はフェルヴァルムに向けて加速する。
「あら……?」
「え……?」
信じられなかった。
この女に――俺の攻撃が、通った。
銀鈴の刀身が、確かに彼女の肩を穿っている。
ミユキも驚きの声を上げている。
フェルヴァルムは、突き刺さった銀鈴を不思議そうに眺めて、赤い眼が細められた。
そして彼女は、自らの肩を貫いている銀鈴の刀身を握りしめ、嬉しそうに嗤った。
俺はその表情にまたも恐怖を覚えたが、それでも銀鈴を抜くことは無い。
むしろここで仕留めるべく、さらに突き刺してやろうと力を籠める。
「やればできるじゃない。いいでしょう。名前を聞いておきます」
「フガク……!」
俺はウィルに続いて本日二度目の名乗りを上げた。
フェルヴァルムは刀身を握る手からボタボタと血をこぼしながら、俺の名前を反芻している。
「フガク、あなたもまた『勇者を殺す者』。"彼女"の力を継承したのなら、きっとそうなります」
「分かるように喋れ……! いや、もう喋るな!」
俺はフェルヴァルムの肩に深々と剣を突き刺していく。
俺の腕からも血が零れ落ちていき、地面では彼女の血と交じり合っていた。
「でもフガク、あなたには少し期待してる」
するとフェルヴァルムは、俺の方に自ら歩み寄ってくる。
この女は何なのだ。
俺もまたミユキ同様に恐怖を覚えていた。
「あなたはきっと”彼女”にこう言われたでしょう。”私の期待を裏切るな”って」
肩口に突き刺さった剣に自ら身体を突き刺しながら近づいたかと思えば、俺に前蹴りをくれてミユキの方まで突き飛ばした。
後ろに倒れそうになる俺を、ミユキが抱きとめてくれた。
「フガクくん……もうやめてください」
フェルヴァルムは自らの肩から銀鈴を抜いて俺に投げて寄越す。
痛みを感じていないのか、ドロドロと垂れ流される血を気にする素振りすら見せぬまま、瞳の中に俺を真っすぐに捉えている。
「フガク、近いうちに、もう一度私はあなたの前に現れます。その時は、必ずもっと強くなっていて。
――あなたが私の待ち望んだ相手なら、きっとこの血塗られた運命を終わらせられるわ」
もう何を言っているのかまるで分からない。
分からないが、俺は彼女が望む何かの期待に応えたのかもしれないと思った。
そして彼女の言葉には、わずかながらの感情が宿っているようにも聞こえた。
「ミユキ、また会いましょう。本当は今日あなたを連れて行こうと思ったけど、彼に免じてもう少しそっとしておくわ」
俺を見ながら、フェルヴァルムは言葉を続ける。
ミユキが俺を抱きしめる腕の力が強くなった。
フェルヴァルムは最後にミユキに慈しむような微笑みを残し、悠然と歩いて雑踏の中へと消えていった。
またも俺は弱さを痛感させられた。
先ほどウィルを倒したとき、俺は多少強くなったからと調子に乗った。
だが、現実はこんなものだ。
俺は大切な仲間一人守れないくらい、どうしようもなく弱い。
もっと強くなりたいと心底思った。
周囲を取り囲む人々からは、口々に大丈夫かとの声がかかるが、もう俺の耳には届いていない。
フェルヴァルムにもう一太刀くれてやりたいところだったが、ミユキが俺を後ろから抱きしめて離してくれなかった。
「フガクくん……ごめんなさい。私の所為です……」
ミユキの涙が、後ろから俺の額へと零れ落ちた。
彼女の体はまだ震えている。
俺はその涙を指でそっと拭い朦朧とする意識の中で笑いかける。
「ミユキさん、ごめん……僕こそ、君を守れなかった」
俺も気づけば泣いていた。
俺がミユキを殺す? 冗談じゃない。
俺はまだ、そんな土俵にだって立っちゃいない。
そもそもミユキを殺せるほど、俺は強くなんかないのだから。
仮にできたとしても、俺が彼女を殺すわけがないだろう。
「ミユキさん……だから泣かないで。僕は君を泣かせないために、強くなるって約束するから」
俺の言葉を聞き、唇を震わせながらミユキは俺を真っすぐに見つめている。
自分の弱さを恥じて涙を流す俺と、俺を傷つけられた責任を感じて泣いているミユキ。
俺たちはフェルヴァルムに手も足もでずに完敗した。
ミユキは震える腕で俺を後ろから強く抱きしめながら、苦しげな声で言った。
「……フガクくん……私は『勇者』なんです」
『勇者を殺す者』。
フェルヴァルムはそう言った。
それが意味するところは分からないが、少なくともミユキが勇者だと言うのなら少し理解はできた。
ミユキはこんなときに冗談を言う人じゃない。
彼女がそう言うのなら、きっと彼女は『勇者』なのだろう。
だから俺も、彼女の言葉には答えず告げた。
「……ミユキさん、僕は『異世界転移者』だ」
―――
「ティアさーん、次あれ食べましょー!」
リリアナは屋台街でティアに向けて気になる店を指差し、一目散に駆けていく。
ティアはげんなりしながらその後を追いかけていった。
「リリアナ……もう私無理」
ティア達は一緒に城を出た後、リリアナの旅の支度を整えるために街に出た。
ティアは昨夜リリアナと流れで旅の物品の話になったが、その時に見せてもらったトランクの中身を見て驚いた。
服や食料、ちょっとした日用品が入っていたが、ティアから言わせれば旅の用意としてはかなり心もとない内容だったのだ。
魔獣から毒を受けたらどうするのか、風邪を引いたらどうするのか。
いやそもそも地図も無いのはいかがなものか。
かなり用意周到なティアからすると、目を覆いたくなる惨状であったが、当のリリアナはといえば。
「いや、街道歩くだけですし。旅に出る前に色々お仕事して旅費はあるんで」
とあっけらかんとしていた。
巡礼の旅を諸国漫遊食べ歩きの旅だと思っているらしい。
正直その図太さは見習いたいとも思ったが、何が起こるか分からないのが旅というものだ。
ティアは最低限の旅支度くらいは何とかしてやろうと思い、こうして街に出てきたわけである。
彼女は4日後、アポロニアに手配してもらった馬車で帝都から北上し、北西部の山間にある国境の街からウィルブロードに入る。
ティアはウィルブロードの王室と繋がりがあるので、それ経由でリリアナがある程度安全な旅を送れるよう街道警備の強化を依頼していた。
必要十分な物品をリリアナに揃えさせ、今は彼女に付き合って屋台街を巡っているところだった。
そして買い食いを重ねること3軒目。
ティアはついに音を上げた。
「えー? 私まだあのお菓子食べたいんですけどー」
リリアナは唇を尖らせて不満げに言った。
「別に勝手にして。私はもう食べられないから」
フガクとミユキをデートに送り出してから、王子にぐいぐい行って引かれているリリアナを引き離すのが大変だった。
結局彼女の街ブラに付き合うことを条件に何とか城を出ることに成功したのだ。
「えー、一人で食べても美味しくないですよー」
「太るよ」
「うっ……」
店の方に行こうとしたリリアナだが、ティアの一言にピタリと足を止めた。
まあリリアナは華奢だし、旅の道中は満足に食べられるわけではないのでこういう時くらいは構わないとも思ってはいるが。
「わ、私は太りにくい体質なんで! だから食べても大丈夫なんですー!」
「ほーん」
「う……い、いいですよねティアさんは! 全部おっぱいにお肉がつきますもんね!」
リリアナは食べ歩きに罪悪感を感じていたのだろう、取り繕うようにティアの豊満な胸を指さして話を逸らしてきた。
「まあね。でも私の胸が大きいことと、あなたの食べ過ぎには何の関係もないよ」
「ティアさんのいじわるー!」
自覚のあるティアは特にそれでうろたえることはない。
冷静なトーンでリリアナに告げると、彼女は半ベソをかきながら店へと向かっていった。
ティアは「結局行くんかい」と思ったが、別に好きにすればいいとも思う。
「やれやれ……」
ふぅとため息をつきつつ、ティアは辺りを見回す。
人で溢れており、久しぶりに観光地に来たなと不思議な気分だった。
旅の道中少し寄り道をすることはままあるが、こんなに分かりやすく人でごった返した場所に来るのは久しぶりだ。
ティアは自分の故郷とも呼べる場所、ウィルブロードのことを思い返していた。
彼女は皇帝の居城がある首都から少し離れた場所で生活していたが、街はこのゴルドールほどの活気はなく、落ち着いた雰囲気だった。
ミユキと出会う前から旅を続けているので、もう2年近く戻っていないことになる。
手紙などで連絡は取り合っているが、ひと段落したら戻るのもいいかと思った。
「ぎゃっ……!」
「ん?」
ティアはリリアナが戻ってくるまで、近くにあった噴水の横にあるベンチに腰かけて待とうとしたところ、目の前で少女が転ぶのを目撃した。
赤い髪の可愛らしい女の子で、年齢は12歳ごろだろうか。
手に持っていた紙袋を落としてしまい、周囲に果物やいくつかの野菜が散乱する。
幼い子どもでもないのにこんなところで転ぶとはドジなことだと思いつつ、ティアは少女の元に近づく。
「大丈夫?」
ティアは少女が落とした果物を拾ってやりながら、声をかけた。
「うん……お姉ちゃんありがとう」
少女は腰でも打ち付けたのだろうか。腰に手を当てながら起き上がる。
それはティアがリンゴを拾ってやろうとしたときだった。
少女は流れるような動きで、腰からキラリと光るナイフを引き抜き、ティアに向けて一閃。
「……!」
ティアがそれに気づいたときには目前までナイフが迫っていたが、たまたま手に持っていたリンゴに刃先が当たる。
リンゴにナイフが突き刺さり、軌道が逸らされたのか、ティアの額にリンゴがぶつかるだけで済んだ。
「あなた……誰」
「あーあ、運良すぎだよまったく」
ティアは勢いで尻もちをつき、少女を見る。
少女はゆらりと立ち上がって、ナイフを持ったまま青い瞳でティアを見下ろしていた。
口元には小悪魔のような笑みを称え、赤いツインテールの髪とそれを結ぶ青いリボンが風に揺れている。
「お姉ちゃん、”セレスティア=フランシスカ”で合ってるよね? 殺しに来たよー」
少女は軽い調子で、友人に向けて喋るかのように告げた。
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