第36話 白い女①
ふぅ。
俺はトイレを済ませて早歩きでミユキの元へと急ぐ。
人混みの間をすり抜け、先ほど待ち合わせ場所に指定された店の横へと歩いていく。
先ほどよりも人が増えているようだが、ミユキは目立つのですぐに分かるだろう。
店まで近づくと、案の定頭一つ背の高い女性のシルエットが見えた。
こちらに背を向けているが、あのポニーテールはミユキだ。
誰かと話している?
こちらからは見えないが、店員にでも声をかけられているのだろうか。
変なナンパとかで無ければいいがと思いつつ、俺は彼女に声をかけながら近付く。
「おーい、ミユキさんお待た」
ドクンッと、俺の心臓が跳ね上がった。
頭がぼんやりとする。
なのに鼓動は際限なく早鐘を告げ、俺にその場に近づくなと促してくるかのようだ。
だがそこにはミユキがいるのだ。
そうはいかないだろう。
俺はそこで何が起こっているのか、一歩一歩踏みしめるように人を掻き分けていった。
そこでは、一人の女がミユキと話していた。
ひたすらに白い女だった。
ミューズとはまた質の違う白さだ。
赤い瞳に目元のタトゥー、髪の内側も赤く、白いシスター服を着ているが頭にウィンプルはない。
なんだこの女は……。
女はゆっくりと座席から立ち上がる。
ミユキよりもかなり小柄で、口元には薄く笑みを浮かべているが、瞳は射抜くように彼女を捉えて離さない。
敵意も殺意もないのに、得体の知れないプレッシャーを感じる。
相対するミユキは女を見つつも微動だにしない。
いやできないのか?
俺にはミユキが、蛇に睨まれた蛙のように怯えて見えた。
俺は咄嗟に、女のステータスを覗き見る。
――――――――――――――――
▼NAME▼
繝輔ぉ繝ォ繝エ繧。繝ォ繝?
▼AGE▼
荳牙香
▼SKILL▼
まだ君には教えてあげないわ
――――――――――――――――
ゾッとした。
名前も年齢も文字化けしている。
スキルの一部が何らかの理由で秘匿されているケースはあったが、こんなのは初めてだ。
そしてスキル欄には
"まだ君には教えてあげないわ"
ふと見ると、女の視線は真っ直ぐにこっちを見ている。
俺は全身に鳥肌が立っていくのを感じた。
――ヤバい、ヤバすぎる……!
その白く美しい女は人の姿をしているが、絶対にこの世のものではない。
根拠もないのに俺はそう確信した。
「ミユキさん離れて……!!」
俺は恐怖を覚えながらも、身体は無意識に反応してミユキと女の間に立っていた。
「あら……」
女は楽しそうに俺を見ているが、その視線はどこか遠くを見ているようでもあった。
「フガクくん……そこをどいてください。ダメです……!」
「大丈夫……? ミユキさん」
ミユキの言葉には応えず、俺は女から視線を外さず問いかけた。
「あなたは……」
「お前は誰だ……!!」
女が何かを言いかけたが、俺はたまらず叫び返していた。
何か喋ってないと、気が狂いそうだったのだ。
全身の産毛が逆立つような悪寒と、生存本能が訴える危険信号。
こいつをミユキに近づけてはいけないと、直感的にそう思った。
「フガクくん……ダメ、お願いそこをどいてください……!」
どけるわけがない。
ミユキの声はひどく震えていた。
何があったのかは分からないが、原因がこの女にあることは間違いない。
「私はフェルヴァルム……。彼女の育ての親よ、よろしくね」
フェルヴァルムと名乗った女は静かに答えた。
育ての親?
ミユキは幼少期を修道院で過ごしたはずだ。
それで彼女はシスター服を着ているのか。
ということは、昨日アポロニアが言っていたシスターというのは彼女のことなのだろうか。
「ミユキさんに何をした……!」
「ねえあなた、『彼女』に会った?」
瞬きをした瞬間、フェルヴァルムはいつの間にか鼻先数cmところにいて、俺の瞳を覗き込んでいた。
そして俺の頭を、その細長くしなやかな両手で挟み込む。
「何を……言って……!」
俺はフェルヴァルムの赤い瞳から視線を外せない。
外そうにも、恐ろしい力で頭を固定されて動かせないのだ。
吐息のかかるほど近い距離で、俺は彼女のどこまでも深く鮮やかな瞳の奥を直視する。
「フェル……! お願いやめて……!」
後ろからは、ミユキの懇願するような声が聞こえた。
こんなミユキは初めてだ。
正直、今すぐ彼女の手を取ってこの場を逃げ出したい。
だが、俺の身体その場から微動だにできなかった。
「ミユキ。あなたが幸せそうにしていたのは、彼がいたからかしら」
フェルヴァルムは視線を俺から外さないままミユキに問いかける。
「お願い……やめて……フェルお願いだから……」
懇願するミユキの声はフェルヴァルムには届かない。
この女はただ俺の目を真っ直ぐに見据え、俺の心の中を覗こうとするかのように視線を外さなかった。
「あなたなら救えるかしら?」
「―――ッ!!」
薄く嗤い、フェルヴァルムはおもむろに俺の唇に自らの柔らかな唇を押し付けた。
頭を固定されて動かせない。
唇の中に舌を入れられ、唾液ではないヌルリとした感触があった。
これは、血?
フェルヴァルムの口から血液が流し込まれる。 身体が熱い。
おれはバチバチと目の前に火花が散り、脳の中を何かの情景が超高速で駆け抜けていくのを感じた。
俺の眼前には、冷徹な視線でこちらを見下ろす一人の女がいた。
肩口でバッサリと切り落とした黒髪の女は、咥え煙草を燻らせながら、俺に何かを言っている、
「――◾️◾️、お前を今から殺すが、私に何か言い残すことはあるか?」
黒い外套を羽織り、幾つも剣を地面に突き刺し、その内の1本を引き抜いて俺の首筋に刃の切先を押し当てる。
「私は貴様を許さぬ……! 未来永劫貴様を……我が同胞を皆殺しにした◾️◾️を呪い続けるだろう……!!」
俺は相対する女に向かって叫んでいる。
否、叫んでいるのは俺ではない。
俺は誰かの眼を通してこの光景を見ている。
「そうか。だが案ずるな、私は未来へは行かぬ――」
そう言って、女は俺の首に刃を躊躇なく突き刺した。
口から血を流しながら、俺ではない誰かが、激しい憎悪の言葉を吐くこともできぬまま絶命した。
「ぶはぁ……!!」
「……っ!」
俺の意識は現実へと戻ってきた。
目の前にはフェルヴァルムの顔がある。
俺はその舌先に思い切り噛みついてやった。
そのまま銀鈴を抜いて薙ぎ払う。
フェルヴァルムは一瞬驚いたような表情を見せたが、ヒラリと後ろに飛んでそれをかわした。
「キャアアアアアアアアッッ!!!」
周囲の客たちが、俺が剣を抜いて切り掛かったことで驚き、一目散に逃げていく。
何事かとこちらを見ている野次馬たちもいるが、俺たちの周りには円形に空間が生まれていた。
「ああ痛い。でも、そうこなくっちゃ」
口元から血を垂らしつつ、フェルヴァルムは痛そうな素振りを見せるどころか愉快そうに言った。
先ほど俺の脳内を駆け巡った映像、俺には覚えがあった。
昨日エフレムとの戦闘中に陥った現象だ。
「ミユキさんをどうするつもりだ!」
「ミユキを守りたい?」
「当たり前だ!」
さっきからこの女の言動は意味がわからない。
だが俺は、銀鈴を構えてミユキを庇うように立つ。
ミユキは胸元に銀時計を抱え、怯えた表情を露わにしている。
「あなたはいつかミユキを殺す……そう言っても?」
次の瞬間、フェルヴァルムは俺の目の前にいた。
また口付けか?と、俺は思わず反射的に後ろに飛び退いてしまう。
「フガクくん!」
ミユキの叫び声が届くと同時に、一陣の烈風が通り過ぎた。
俺が自分の腕の皮を切り裂かれ、削ぎ落とされたと知ったのは彼女の声を聴いてからだった。
俺の身体すらも切り裂かれたことに気づかなかったかのように、遅れて腕から血が吹き出す。
「ぐぁあああッッ!!!」
利き手を斬られたが、俺は銀鈴を決して落とさない。
歯を食いしばり、痛みに震えながらフェルヴァルムを睨みつけた。
「ああダメよ。それではあの子を救えない。もっと強くなってくれないと。もう少し刻んであげる」
フェルヴァルムは意味のわからないことをのたまいながら、フワリと修道服の裾を翻しながら、俺の周りをクルリと回った。
あまりにも静かで、俺は彼女が俺の横をするりとすり抜けたことにすら気付けない。
彼女の右手には、いつの間にか柄から刀身まで真っ赤な剣が握られていた。
俺の腕、頬の肉が綺麗に薄く削がれていく。
俺は遅れてやってくる痛みに顔を歪めながら、ただ眼前にいる得体の知れない化け物を見据えることしかできない。
「フガクくん……! ダメ!逃げてください!お願いします!」
後ろで震えた声を出すミユキの声はもう俺の耳にはほとんど届いていない。
あれだけの力を持つミユキが、怯えて動くことすらできずにいる。
だから、目を離すわけにはいかなかった。
俺の目の前にいるこの女から目を離せば、次はミユキが同じ目に遭うかもしれないのだから。
「なんなんだ……!! お前は……!!」
かろうじて銀鈴を持つ俺の手に、もはやほとんど感覚は残っていなかった。
俺の問いかけに、フェルヴァルムは嗤って答えた。
「――私は『勇者を殺す者』よ。あなたと同じね」
この女の言葉は何一つ分からない。
血を流し過ぎたのか、俺の意識は朦朧とし始めた。
「でもダメ。権能を全然使いこなせていないわ。あなたならもしかしてって思ったけど……もう殺すわね」
フェルヴァルムがふらつく俺の首に手を添え、片手で持ち上げる。
小柄で華奢な身体のどこにそんな力があるのか。
ミユキの例があるので俺は大して驚きもなく、俺は薄れゆく意識の中で目前に剣の切先を向けられていることをかろうじて認識できた。
「フガクくんから……手を離してください!」
ミユキは俺が手から溢れ落としそうになった銀鈴を取り、フェルヴァルムに向かって切り掛かった。
フェルヴァルムはそれをひらりとかわし、ミユキの腕を赤い剣で刻む。
ミユキの右手に真っ直ぐな赤い線が入り、血がジワリと滲みだしてきた。
「うっ……!」
「へぇ……怯えてばかりのあなたが、彼を守るため戦うの?」
愉快そうに嗤う。
ミユキは震える腕から血をポタポタと垂れ流しながら、俺の眼前に立った。
俺はまたミユキに守られている。
歯噛みしながらも、身体が思うように動かない
「フガクくんは……殺させません」
「そう。また恐怖を刻んであげなくてはならないようね」
そう言って嗤うフェルヴァルムの表情に、俺は異世界に来た日に見た女神の凄絶な笑みを思い出した。
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