第32話 クリシュマルドをまだ知らない①
「いてて……ミユキさん意外と手加減しないよね」
俺はミユキに破壊された尻を撫でながら、訓練場の隅で恨み言を言いつつ水を飲む。
あれから若干機嫌の悪かったミユキは、白兵戦訓練と称して俺も含めて200人の兵士を残さず大地に沈めていた。
特に俺と王子は念入りに痛めつけられていたような気がするが、気のせいであってほしい。
「フガクくん。私にも乙女心というものはあります。踏みにじられたら怒ります」
俺は地べたにミユキと並んで座っている。
彼女は指先で地面の砂をいじいじしながら、少し不機嫌そうに言った。
「うん? ご、ごめん……」
よく分からない怒られ方をしたが、多分俺が悪いのだろう。
さすがに方便とはいえ、結婚するだのなんだのと大仰にのたまったのはまずかったか。
何かお詫びができればいいが。
「ああそうだミユキさん。この後街に一緒に行かない?」
そう言えば、アポロニアが今帝都で大帝即位40周年の祭をやっていると言っていた。
出店もあるだろうし、何かしらミユキの機嫌を直せるような店もあるかもしれない。
俺はティアから貰ったお小遣いが少しと、ミューズ討伐依頼の分け前、ワイルドバニーの大量駆除の報酬でそれなりに懐が潤っている。
ここは祭でミユキにご馳走しようと考えた。
「え……でも、リリアナさんとデートじゃないんですか」
忘れてた。
いや、リリアナが勝手に言ってただけなので約束したわけでもないが。
まあ、リリアナとは次の旅の買い出しのときにでも一緒に行けばいいか。
今はほら、ミユキの機嫌を直すことの方が重要だ。
「あー……でも約束したわけじゃないし。こっそり、内緒で行こうか」
「内緒ですか」
「う、うん。駄目かな?」
いや、別に内緒じゃなくてもいいんだけど。
ただあとでうるさそうだから。
「……駄目じゃないです。行きたいです」
ミユキは小さく頷き、ぷいっと明後日の方向を向いてしまった。
その耳が赤く色づいていたことに、俺は気づかないフリをする。
微妙な空気が流れる中、アポロニアが小走りで駆け寄ってきた。
彼女は訓練の途中でティア達と話をしに城内へ戻っていった。
小一時間経つし、話も終わったのだろう。
「話し中すまない。ミユキ、最後に私と模擬戦をしてもらえないだろうか?
部下達がぜひ『人喰い』の戦いを間近で見たいと言っていてな」
あれだけ訓練でどつき回されてまだ戦うところが見たいとは、酔狂なことだ。
もしかするとご褒美と勘違いしているんじゃないだろうな?
かく言う俺も、ミユキに白兵戦の訓練をしてもらったが、何故か俺だけ死ぬほど関節を極められた。
本人曰く、肋骨が折れてるから叩かないようにとのことだが、痛みの度合いではどっこいどっこいだ。
というか怪我人の関節極めないで欲しい。
もっとも、ミユキの身体に密着して締め上げられたので、途中から変な気持ちになってきていたが。
とにかく柔らかくて良い匂いがした。
何か変な性癖に目覚めてしまったのかもしれない。
「構いませんが……お相手はソレスさんと?」
「そうだな。君の相手ができるのは私か騎士団長くらいのものだろうが、まあ君も私の方が気を遣わずやりやすかろう」
「分かりました。お手柔らかにお願いしますね」
「こちらのセリフだ」
ミユキはアポロニアから差し出された手を取り、立ち上がる。
「じゃあフガクくん、行ってきますね。あの……この後楽しみにしています!」
花の咲くような笑顔を残して、二人は模擬戦の準備をすべくその場を離れていった。
機嫌が直ったようで何よりだ。
あとでしっかりエスコートしなくては。
俺は一人になってしまい、手持ち無沙汰になったのでぼんやり訓練場の方を眺めていると、俺の眼前に王子が立った。
「フガク、貴様肋骨が折れていたらしいな」
「王子」
「ウィルでよい。ここでは俺もただの一騎士だ」
鋭い視線で俺を見下ろしているが、その手には水が入った金属製のボトルが握られており、俺に差し出している。
「ありがとう、ウィル」
恨み言でも言いにきたかと思ったが、そんな雰囲気でも無さそうだ。
「で、肋骨はどうなのだ」
俺はボトルを受け取って立ち上がり、ヒリヒリ痛む尻の砂を払いながら首肯する。
「ヒビが入っているだけだよ。大したことない」
俺は王子、ウィルからもらった水を飲みつつ答えた。
「だがその状態でよくぞ我が決闘を受けた。やはり、クリシュマルド殿はお前にこそ相応しいようだ」
「その話続けるとミユキさんにまたお尻を破壊されるよ。痛むでしょ?」
潔く気持ちのいい人ではあるが、その話はもうやめておいた方がいい。
せっかくミユキの機嫌も持ち直したのだから。
ウィルももちろん例に漏れず、ミユキにフルボッコにされていた。
事の元凶ということと、大帝からのお願いもあり、俺よりさらに2割増しくらいでやられていた気がする。
「ああ、クソが漏れるかと思ったぞ」
「同じく」
そう言って俺たちは笑い合った。
あれから小一時間の訓練を通して、俺たちの間には奇妙な友情が芽生えた。
年が近いこともあるが、同じ相手を巡って殴り合ったため通づるものがあったのだろう。
「俺は彼女に憧れていた」
静かな口調だった。だが、その声音には明確な熱があった。
視線の先には、訓練場で剣を構えるミユキの姿。
彼女が何気なく髪をかき上げたその仕草さえ、ウィルの眼にはかつての幻影を重ねているように見えた。
「当時の俺は23歳。騎士とはいえ王子ということもあり、戦地に行っても最前線には配置されなかった。戦果が無いから要地には充てられず、敵がいなければ戦果をあげようもない。俺は完全に燻っていた」
急に身の上話が始まった。
まあミユキの当時の話は本人には聞きにくいし、ウィルが話してくれるのはこちらとしても願ったり叶ったりだ。
「そんな時だ。ザムグ砦では前線に動きがあり、俺も急遽最前線へ駆り出されることになったのだ。
そこでは連日の嵐の所為で見通しが悪く、ゴルドール兵もハルナック兵も思いのほか敵の眼前近くまで迫ってしまったことが発端だった」
ウィルはその時のことがよほど強烈な記憶として残っているのか、昨日のことであるかのように詳細に語ってくれた。
俺は水を飲みつつ、その言葉に聞き入る。
「血で血を洗う攻防戦だった。しかし、そこにいたのが彼女だ。
当時前線に傭兵を使うことは珍しいことではなかったが、それでも女性というのはそう多くいるものではないからな。たまたま目に留まった」
そもそもだが、何故ミユキは傭兵稼業などをしていたのだろうか。
修道院で育ち、あのおっとりとした性格で戦争の最前線にいるのが、俺のイメージとまるで結びつかない。
「吹き荒ぶ嵐と大雨の中、彼女が剣を片手にハルナック兵の中を突っ切っていく光景は今でも鮮烈に覚えている。
美しいと思った。雨でも流れ落ちぬほどの返り血を浴びながら、彼女はただ真っすぐに駆け抜け、ハルナックの将校の首を一太刀の元に切り捨てたのだ。
俺もあのように強くなりたいと思った」
情感たっぷりに語るウィル。
だが、おかげで俺の頭にもその光景が思い浮かんだ。
「それでは模擬試合を始める! ソレス=アポロニア! ミユキ=クリシュマルド! 両名前へ!!」
ビクトールの大声が訓練場に響いた。
模擬戦の準備が整ったようだ。
訓練場にざわめきが走った。
それまで和やかだった空気が、一気に緊張を孕む。
ビクトールの号令と同時に、騎士たちが半円に展開し、その中央に、アポロニアとミユキが静かに立った。
「フガク。貴様の勝ちは……揺るがぬ。俺も、それを認めざるを得ない」
一拍置いて、ウィルは俺をじっと見つめた。
「だがな、貴様は――クリシュマルドをまだ知らない」
「『人喰い』か……」
俺の言葉に、ウィルはミユキへと視線を移す。
それは求婚相手に向けるものというより、決して超えられぬ壁を見るような、そんな悔しさと憧れが入り混じったようなものだった。
ミユキの戦いが始まる。
お読みいただき、ありがとうございます。
『ゴルドール帝国編』は次回で終了となり、次の章へと移行します。
物語はまだまだ帝国ですが、再び命がけの戦いが描かれていくのでご期待ください。
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