第2話 選ばせてあげる
荒野に横たわる十数頭の獣の死骸。
その牙や角を切り出し、皮袋に詰めていくティアとミユキの姿を、俺はしばらく眺めていた。
一気に肩の力が抜け、呆けてそこから動く気になれなかったからだ。
また、今気づいたが、獣たち以外に人間の死体もいくつかある。
どれもボロボロになった革や金属でできた鎧を身につけており、全て白骨化している。
五体を留めていない骨もあり、おそらくあの獣達に食われる過程で損傷したのだと推測された。
ティア達は、獣の死骸での作業を一頻り終えると、続いて近くにあった人間の白骨死体に近寄って行く。
「一応言っておくけど、死体剥ぎじゃないからね」
作業を黙って見ていた俺に何を思ったのか、ティアが金色の長い髪を揺らしながら、こちらを向いてそう告げた。
「思ってないよ。何してるの?」
ひり出した俺の声は、先ほどまでとは異なり震えは無かった。
それよりも、元の自分の声とは違いやや高めなのが気にかかる。
まさか美少女にでも転生したのではあるまいな。
まあ、両脚の間に男のそれが「ある」のでその線は無さそうだが。
視界の端にちらつく長い髪は、左右で白黒が分かれたふざけた色で、なんとも不安になる。
「身元の分かるものを調べて、ギルドに報告するんです。ご遺体を後から街の方々が回収に来られるので」
そう言いながら俺に近づいてきた長身黒髪ポニーテールの美女。
先ほどミユキと名乗ったその女は、手持ちの水を布に浸し、髪や肌に付着した獣の返り血を拭い取っている。
血と肌のコントラストが妙に艶かしく、俺は思わず目を逸らした。
「彼らは街から出たベヒーモスの討伐隊だと思います。返り討ちにされて、そのまま食べられたのでしょう」
ベヒーモス。
なるほど聞き馴染みが無いようで有る言葉だ。
虎のような猛獣の顔と巨体に、バッファローを思わせる鋭く太い角。
確かに俺がゲームなんかで見たことのあるベヒーモスのイメージそのものだ。
割と強い魔獣というイメージがあるが、彼らを縦横無尽に斬りまくっていたこの女は何者だろうか。
「そういえば、助けてもらってありがとうございます。ええと、ミユキさん?」
「いえいえ。まさか生存者さんがいるなんて、私も驚きました。フガクさんでしたっけ? あなたも街に戻りますか?」
涼やかに話すミユキの声色は、ずっと聴いていたくなるほど心地よい。
ただ、俺にはまだ分からないことがありすぎる。
「すみません、僕はどうも記憶を無くしてるみたいで……。街どころかここがどこかも分からなくて」
とりあえず記憶喪失ということにしておく。
別に嘘はついちゃいない。
本当に記憶がないし、何なら俺のスタート地点がここなのだから。
どう頑張ったって戻ることのない記憶だが、今必要なのは情報収集だ。
しかし周囲は何もないだだっ広い荒野。
またベヒーモスのような恐ろしい獣たちに出くわさないとも限らないので、できれば安全なところまで一緒に行きたい。
「まあ、記憶を? それは困りましたね……」
丁寧な口調で、心配そうに見つめてくるミユキにチクリと胸が痛む。
再三言うが嘘はついてない。
だが、なぜここに現れたのかなんて、自分でも分からない以上、説明できるはずもない。
「じゃああなたもギルドに預けることにするわ。あとはそっちで適当に保護してもらって。記憶、早く戻るといいね」
黄色がかったザラ紙のようなメモを持ち、遺体の身元確認作業を終えたティアが戻ってきた。
若干淡白な物言いだが、嫌な感じはしないし女性二人なら警戒して当然だろう。
最低限の救助はするが、俺にこれ以上関わる気はないという明確な意思を感じた。
「じゃあそれでお願いします」
「では街までお送りしますね」
ミユキもあっさりしたものだが、まあそりゃそうだ。
正直彼女とはもう少し話してみたかったが、同じ世界にいればまた会うこともあるだろう。
二人に、厚かましく俺のこれからの生活を一緒に考えてもらえるとはさすがに思ってない。
命を救ってもらえただけでも十分だ。
俺は曖昧に首肯し、ひとまず身の安全が確保されそうなことに安堵する。
「ん?」
そのとき、ティアの顔の右側に「ー」の記号のようなマークが輝いていた。
正確には、俺の視界の中にだけあるようで、ティアやミユキには見えていない様子だ。
この記号、どこかで見た覚えがある。スマホのスワイプ操作のような――。
俺にしか見えない「ー」に指をそっとかざし、おそるおそる上下にスワイプしてみる。
すると、下に向かって文字列がスクロールされて現れた。
――――――――――――――
▼NAME▼
セレスティア=フランシスカ
▼AGE▼
24
▼SKILL▼
・■■■■ SS
・聖女のカリスマ A
・ヒーリング D
・精霊召喚 D
・ポーション作成 D
・ホーリーフィールド E
・騎馬 B
――――――――――――――
情報量は多くないが、名前、年齢、スキルが表示されているステータス画面のようだ。
いよいよ異世界転移者っぽくなってきた。
NAMEに書いてあるのはティアの本名だろう。
そしてスキルに書いてあるのは。
「聖女……?」
そう俺が呟いた瞬間、ティアの薄桃色の小さな唇がピクリと動いた。
「ミユキさん!!」
ティアが叫んだ瞬間、俺の背中に衝撃が走ると同時に、地面に叩きつけられる。
腕を固められ、頭を地面に押し付けられたことに気づいたのは、一寸遅れてからだった。
俺を取り押さえるミユキの力は、わずかな挙動も許さないほどに強く、彼女の恐るべき力がどこから出ているのかまるで分からない。
「ティアちゃん……これは……」
俺を秒で制圧しておきながら、戸惑いの言葉を発するミユキ。
思考を飛び越えるその無駄のない動きに、戦慄が走った。
ミユキは、ティアが命じれば考えるよりも先に俺を殺すんじゃないだろうか。
確証はないが、軋む俺の骨と肉がそう訴えている。
「あなた、私を追ってきた?」
「何を言って……るか分か……らない……!」
顔を地面に押し付けられているので喋りにくいことこの上ないが、必死で声を張り上げた。
それにしたってミユキのこの力は何だ。
俺はさっき、5mもあるベヒーモスの巨体を拳でぶっ飛ばしているのだ。
なのに、ミユキに背中から一寸たりとも動けない。いくら何でも強すぎる。
女性どころか、人間の力ではない。
「そう。じゃあ質問を変えましょう。フガク、あなたなぜ『聖女』と言ったの?」
俺を見下ろすティアの口元には、貼り付けたような笑みが浮かんでいた。
だが、こちらに向けられる赤い瞳の奥はまるで笑っていない。
「スキルが……! スキルが見えた……!!」
「何言ってるの? ミユキさん、腕か足2、3本折ってくれる?」
軽々しく言ってのけるティア。
勘弁してくれ、俺の手足は合計4本しかないんだぞ。
何がそこまで彼女を駆り立てたのか――もしかして、地雷を踏んだのは俺か?
「ティアちゃん、さすがにそれはまだ……」
思ったより話が通じるのか、ミユキはティアを諫める言葉を放つ。
まだとか言ってるのが気になるが。
しかし、彼女の腕から力が抜けることはない。
「本当だ! 嘘じゃない………! 君の横に……名前とスキルが見えるんだ……!」
「じゃあミユキさんの名前とスキルは?」
俺は視線だけを動かして、かろうじてミユキを見る。
確かに、彼女の横にも「―」が見える。
腕を動かせないので、できるか分からないが舌を突き出してそのバーを下にスワイプした。
――――――――――――――
▼NAME▼
ミユキ=クリシュマルド
▼AGE▼
26
▼SKILL▼
・怪力 SS
・■■の武技 A
・■■の瞳 B+
・対■■■■■■適正 B
・■■■■肉体 B
――――――――――――――
なんとか表示できたようだが、隠れている部分が多すぎる。
とにかく俺は、見えた部分だけを必死に読み上げた。
「ミユキ……クリシュマルド……! 26歳! スキルは……怪力! ごめん、あとは読めない部分が多すぎる……!」
「ティアちゃん、私は彼にフルネームを名乗っていません。年齢も言ってません」
俺の背中にズッシリとした尻を乗っけているミユキの力が、少しだけ弱まった。
こんなにも柔らかく、しなやかな肉体を持つ彼女が、なぜ人一人を楽々拘束できる力を秘めているのだろうか。
「……もう一度私を見て。私のスキルはいくつ見える?」
「7つだ! 一番上だけは見えない……! SSとだけ書いてある……!」
「私の本名」
「セレスティア……! セレスティア=フランシスカ!」
それを聞き、ティアはため息をついた。
「いいわ、悪かったわね。ミユキさん、離してあげて」
その言葉を境に、俺が地面と抱き合う時間はようやく終わりを告げた。
呼吸を整えながら、体を起こす。
そして、よく通る鈴の音のような声でティアは告げた。
「フガク、あなたに選ばせてあげる」
俺は立ち上がることもできないまま、ティアを真っすぐに見つめた。
彼女の赤い血の色をした瞳が、俺に言葉を発することを許さない。
「私と来るか、あそこの死体と一緒に大地に還るか。さあ、どっちにする?」
横たわる獣たちの死体を指差しながら、微笑みを浮かべてそう告げる。
ティアの有無を言わせない物言いは、件の女神のそれよりもよほど女神の神託のようだった。
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