第213話 最後の夜
「フガクくん……今夜は一緒にいてもいいですか……?」
ミユキからのそんな申し出を断れるほど、俺の『精神力SS』は強くない。
俺の首筋にしがみつくミユキの髪からはフローラルな香りが漂ってくる。
甘い声を出す彼女に、ミユキは意外と恋人に甘えるタイプなのかと胸がときめいた。
「も、もちろんいいよ……?」
俺はそっとミユキの背中に手を添える。
首回りには、痛々しく巻かれた包帯が見えた。
エリエゼルと一戦交えたようだが、ティアのヒーリングのおかげもあって一応平気そうだ。
詳しくは聞いていないが、ミユキの首を斬るというだけでエリエゼルの超人っぷりが想像できる。
シルビアといいエリエゼルといい、いつの時代も怖い女がいるものだと思った。
さて、そんな傷を負った彼女に対して本当に申し訳ないが、俺も男だ。
恋人同士の二人が部屋で一夜を過ごすことの意味が分からないほど、俺は鈍感キャラでやってない。
服越しに感じる下着の手触り、俺の身体に当たるミユキの柔らかな胸の感触。
俺の神経は過去最大級に研ぎ澄まされ、「え?これってそういうこと?」と否が応でも期待が膨らんでしまうのだ。
「ミユキさん……その……当たってるかも」
とはいえ、俺はミユキが男性と付き合った経験がまるでないどころか、初恋すら危ういピュアな女性だということも知っている。
いきなり刺激物を食らわせるような真似は、断じてしない。
俺は紳士なのだ。
「……はい、駄目ですか……?」
俺にしがみつきながら、そんなことを言う。
これ誘ってるよね?
だが騙されてはいけない。
俺は鈍感系主人公ではないが、ミユキは鈍感系ヒロインを名乗れるほどにそういったことに免疫が無い。
ここで変なスケベ心を出すと、「キャー! フガクくんのエッチ!」と国民的アニメのお風呂大好きヒロインばりの台詞を吐かれそうだ。
それでお湯がぶっかけられる程度ならいいが、生憎と彼女は恐竜も黙るような怪力の持ち主であり、照れ隠しで突っ込まれるだけでも俺のあばらは砕け散るだろう。
なので、ここは慎重に行く。
「ミユキさん……その、いいの……?」
「……何がですか?」
これはどっちのパターン?
本当に何のことか分かっていないのか、「言わせないでよバカ……///」のどっちだ。
俺の背中をダラダラと汗が流れていく。
いやちょっと待て。
汗で思い出したが俺シャワー浴びてない。
今朝フレジェトンタに着いたのだから、ツェリナを出てからもうすぐ丸2日くらい風呂に入っていないことになるぞ。
この部屋にはシャワーが備え付けられているが、浴びてきてもいいでしょうか?
ミユキだけシャワーを浴びて身を清めてきているなんてズルい。
「ミ、ミユキさん……シャワー浴びてきてもいいかな……?」
浴びるよ?
もうそうなったらそういうことだよ?
俺はしどろもどろになりつつ、ミユキに尋ねてみる。
彼女も察してくれたらいいのだが。
「あ、はい! そうですね、すみません気が付かなくて」
ん?
「え、あ、うん……」
「どうぞ行ってきてください。私は部屋で入ってきたので、汚くないと思いますっ!」
爽やかないい笑顔でそう言ってくれている。
いやこれ察してないな。
そんなつもり欠片も無いどころか想像すらしてないという顔だ。
「はーい……」
危ないところだった。
勢いに任せて色々と触ったりしてしまうところだった。
俺は自分が命の危機を脱したことを知りつつ、シャワーをさっと浴びることにした。
ただ、俺たちはこれから一緒のベッドで寝るのだろうか。
確かにノルドヴァルトのミユキの部屋で、やむを得ず一晩同じベッドで眠ったことはある。
ただあの時は恋人同士じゃなかったし、お互い端と端に寄ってできるだけ触れ合わないように眠った。
今回はもう、触れ合ってもいい関係のはずだ。
俺は冷たい水で頭を冷やし、何とか自分の煩悩を鎮めることにした。
ミユキはきっと、そんなつもりで俺のところには来ていない。
先ほどまで眠りにつき、いつ目覚めるともしらない俺のことを心配して来てくれているのだ。
それをいかがわしい、いやもうはっきり言うがエロいことしたいと思うのはよくないと思う。
よくないとは思うのだが……好きな人とそういう関係になりたいと思うのは、よくないことではないとも思う。
俺はシャワー室内で無駄にスクワットをしてどうにかミユキへの煩悩を断ち切り、大急ぎで歯磨きも行って、あまり待たせるわけにもいかないと部屋に戻った。
「おかえりなさい。ちゃんと温まりましたか? ゆっくり入っていただいていいんですよ」
そう言ってミユキは、裸足になって俺のベッドの上に座っていた。
脱ぎ捨てられた靴下と、いつも履いている白いショートブーツが生々しくベッド脇に鎮座している。
しかも彼女は、一度部屋に戻ったのか柔らかそうなショートパンツにシャツという寝間着姿だった。
おまけにポニーテールが解かれ、艶やかな髪を下ろしている。
完全にこの部屋で寝る気の格好だ。
いつもよりも無防備な姿と、むき出しのおみ足が艶めかしく、先ほどぶっ飛ばしたはずの煩悩がすぐに戻ってきてしまった。
「う、うん……大丈夫だよ」
俺は着替えのシャツと寝間着用のパンツでベッドに腰掛ける。
「隣、来てください」
「は、はい……」
何故か敬語になる俺。
俺がベッドに腰を下ろすと、ミユキはすぐに俺の手を握ってきた。
その指先が俺の指の隙間に絡み合い、逃がさないように強く結ばれる。
「ふふ、恋人同士ですし、いいですよね」
そう言って微笑み、俺の肩に彼女の頬が触れる。
柔らかな吐息が首筋にかかり、背筋がぞわりと震えた。
俺の腕にしがみつき、彼女の豊かな胸が形を変えるほどに押し付けられている。
そして俺の心臓は、カートゥーンよろしく胸から飛び出しそうなほど脈打っている。
俺の情緒はもうめちゃくちゃである。
「ミユキさん……僕……もう……」
もし誰か俺の心を覗いているなら、ここまで耐えた俺に賞賛の言葉をくれ。
愛しい彼女からこんなに甘えられて、耐えられるほど俺は女慣れしちゃいないのだ。
「……フガクくん……」
俺の腕に身体を寄せたまま、穏やかな声でミユキが呟いた。
「う、うん……?」
俺の手が彼女の元へ向かおうとしたのを遮るように、彼女は言葉を続ける。
「……あの日、王都の舞踏会で、私のこと”特別”だって言ってくれたこと……覚えてますか?」
「も、もちろん覚えてるよ?」
まだそんなに日も経ってないし、さすがに忘れてたらヤバいだろう。
俺は上ずった声で答えた。
「……嬉しかったです。”私だけ”が、特別だって言ってくれたこと……嬉しかった」
彼女は俺にもたれかかったまま、吐息交じりにそう言った。
その言葉に、俺は少し冷静になった。
本当に心から、感謝にも似た響きを感じられたからだ。
「あなたと出会ってから……ただ逃げ続けて、戦うばかりだった日々が、私にとっても特別になった……」
普段の敬語交じりの丁寧な口調とは、少し違った。
本当に等身大の、26歳の女性としての言葉が、そこにあるように感じられた。
「こんなこと言っていいのか分からないけど……フガクくんがこの世界に来てくれたこと……良かったって思ってます」
少し照れたように、彼女はそう言った。
俺は、胸の奥にこみ上げてくるものがあった。
俺が彼女がそこにいてくれることを肯定するように、彼女もまた、俺の存在を肯定してくれる。
君がそこにいてくれるだけでいいと、俺が彼女にそう思っているように、彼女もそう思ってくれているのだと知ることができた。
「本当に……私は幸せになっていのかもしれないって……フガクくんが思わせてくれたんです」
「いいに決まってる。そんなの、当たり前だ」
彼女が幸せになっていく姿を、俺は誰より近くで見たい。
そしてできれば、俺が彼女を幸せにしたい。
いや、必ずすると誓ったのだ。
俺は、瞳を閉じて穏やかな表情を浮かべる彼女を横目に見ながら応えた。
「……私本当は冒険者じゃなくて、パン屋さんをやりたいんです」
「パン屋?」
初めて聞く話に、俺は呆けた声で聞き返す。
まあ、剣を振るっているよりよっぽど健全で似合っているとは思うが。
「パン屋じゃなくてもいい……道具屋でも、何でもいい。一つの街に根を下ろして、大切な人と……穏やかな日々を生きていきたいんです」
ミユキは微笑んだまま、俺を見つめていた。
――あなたと一緒に
そう言われている気がした。
俺は顔が熱くなってくるのを感じる。
「時々喧嘩をしても、その日の最後には必ず仲直りをして、手を繋いで眠るんです。そしてまた……日々を一緒に生きていく。そんな人生を」
俺は気が付くとミユキを抱きしめていた。
「あ……」
ミユキの吐息と、トクトクいう鼓動が聞こえる。
そんな普通の幸せを、普通の人生も選べないほどに、過酷だった彼女の生い立ちを想像していたたまれなくなった。
彼女の温かな体温が、感じられる。
どこに力があるのかと思うほど、細い身体。
ミユキは一瞬驚いたような素振りを見せたが、すぐに俺の背中に腕を回して抱きしめ返してきた。
「大丈夫だよ……ミユキさん」
きっと彼女は、今も不安で仕方ないのだろう。
覚悟を決めたと自分を欺いて、必死で虚勢を張って、俺たちに笑いかけてくれる。
俺は絶対に、これから先の人生で、彼女にそんな思いをさせたくない。
「……僕が必ず、そんな生き方を、君に贈る」
「はい……あなたとなら……きっと」
俺たちは、そのまま長い間抱きあっていた。
夜は更けていく。
きっといつか、この夜を越えて、彼女と一緒に笑い合える日を目指そう。
俺たちは気が付くと、寄り添い合って二人眠っていた。
朝まで一度も目覚めることはなく、悪い夢も悲しい夢も見なかった。
目覚めたときに隣で見たミユキの寝顔に、俺は確かな幸福を感じる。
彼女の指は、離れることなく俺の手を握りしめていた。




