第209話 魔王と勇者と聖女の狂詩曲<ラプソディア>⑥
聖女アウラは何度目かの会談の際、勇者のことをこう語っていた。
「シルビアは、かつて魔族に家族や仲間を殺されています……ネメシス様とお会いできるまでは、もう少し時間がかかるかもしれません」
魔族に対する恨みがあり、それをまだ割り切れなかった女だという。
だが、彼女にとってアウラは特別だったのだろう。
アウラの願いに反対もしなかった。
それを裏切られたと感じた時の、勇者の心境はどんなものだったのだろうか。
俺はここに至るまでの一連の流れに思わず見入ってしまったが、俺が見てきたのはあくまでも魔族側の視点だ。
勇者が全ての魔族を殺すに至るまでの怒りと悲しみは、はっきり言って分からない。
だが、アウラはこうも言っていた。
「でも、シルビアは一度決めたことは必ず最後までやり遂げる人です。いつかネメシス様と……魔王と勇者が手を取り合えたなら、きっと最後の瞬間まで共に歩んでくれるはず」
アウラが信じていた勇者シルビアは、きっとそういう人間だったのだろう。
アウラの理想のために、いつか恨みも憎しみすらも越えて、復讐の連鎖の先に共に行けたかもしれない相手だった。
「きっと仲良くなれる」なんて、そんな風に言っていたことを思い出す。
だが現実は、そうはならなかった。
「……」
魔王は、半分瓦礫と化した魔王城の城壁へと叩きつけられ、ぐったりと倒れ込んでいた。
頭からは血を流し、槍を持つ手の感覚が徐々に無くなってくるのを感じながら、眼前に立つ勇者を睨みつける。
「……満足か」
辺りには、もう生きている者は誰もいない。
勇者は20万の魔族と魔獣で構成される軍団を、本当に一人で屠り切った。
残すは、場内に残る100名程度の避難民、バルカスやわずかな民を守る兵、そしてメルだけだ。
「ああ」
勇者は煙草を咥え、感情の見えない瞳で魔王を見下ろしている。
「何故だ」
魔王は槍を杖代わりに立ち上がりながら、勇者に問いかける。
勇者は、ごくわずかに首を傾げた。
「何がだ」
「……アウラは……貴様と私が手を取り合うことを望んでいたぞ」
「……別にどちらでもよかった」
「何……?」
勇者は淡々と言葉を放ったが、その目にはわずかな揺らぎがあったように思えた。
アウラのことを思い出しているのか、あるいは……。
「復讐か、お前と共に行くか。確かにアウラの願いは後者だったのだろう」
荒野に吹き荒ぶ風が、勇者の黒い髪を揺らす。
人間とは思えないほど、恐ろしく、美しい貌。
その瞳には感情が無いのではない、零れ落ちそうな怒りと憎しみと、そしてアウラへの想いを、その鋼の理性が覆い隠しているのだ。
「だったらなぜ!!」
「……復讐は、正しく行われなければならない」
「……」
押し黙る魔王。
だが俺は戦慄した。
彼女の、勇者シルビアの語った言葉は、ティアの哲学そのものだったから。
――復讐は、正しく行われなければならない。
それが意味するところは一体何なのか、俺は魔王同様にシルビアの言葉に聞き入った。
「ここから始まる人間と魔族の永きに渡る報復の連鎖を、終わらせるためだ」
「お前はそのために……魔族全てを滅ぼしたというのか……! アウラの理想が叶わぬと知りながら……!!」
魔王が激高し、叫び声をあげた。
もはやアウラと魔王が掲げた理想、人と魔族が共存する世界は叶わない。
魔族がいないのに、共存も何も無いだろう。
残された100人足らずで辿り着ける世界ではない。
「そうだ。私は私の怒りと怨嗟のために、お前たちの理想を踏みにじった」
「ふざけるな!!!」
魔王の全身から、禍々しいプレッシャーが迸る。
そして、雷鳴が辺りに轟いた。
魔王は一筋の雷と化し、勇者に向かって奔る。
神槍アレクトを薙ぐと、辺りを業火が焼き尽した。
勇者はそれよりも早く、魔王の肩口に剣を突き刺し、瓦礫の中へと吹き飛ばす。
魔王の力をもってしても、勇者には敵わないことを悟った。
「魔王、お前を今から殺すが、私に何か言い残すことはあるか?」
地面に突き刺さった無数の剣の1本を引き抜いて、魔王の首に刃の切先を押し当てる。
俺は、この光景を知っている。
エフレムと戦ったとき、フェルヴァルムと戦った時、垣間見た過去の光景だ。
これは、やはり魔王が最期に見た景色だったのか。
そして魔王は、勇者を睨みつけ、最後の咆哮をあげた。
「私は貴様を許さぬ……! 未来永劫貴様を……我が同胞を皆殺しにした勇者を呪い続けるだろう……!!」
流れ込んでくる魔王の心は怒りと憎しみに溢れ、アウラの理想を完遂できなかった悲しみに満ちていた。
瞬間、俺は魔王の中で何かの力が発動するのが分かった。
『報復輪廻』。
それは魔導王ネメシスが持つ最後のスキルにして秘奥。
対象を未来永劫呪い続ける、怨嗟の牢獄だ。
対象は、『勇者』。
遥か未来に至るまで、”勇者という概念”そのものにかけられる”呪い”だった。
魔王の赤い瞳が光輝き、勇者の周囲を禍々しい気配が包み込む。
「そうか。だが案ずるな、私は未来へは行かぬ」
だが勇者は気に留める素振りもなく、そう言って魔王の首に刃を躊躇なく突き刺した。
口から血を流しながら、魔王は言葉をもう吐くこともできぬまま、勇者を睨みつけながらその命を絶たれる。
絶命の瞬間、彼女の中にはさまざまな想いがあった。
すべての同胞を失った恨みと悲しみ。
アウラと共に理想を叶えられなかったことへの無念。
勇者への怒りと、哀れみにも似た何か。
そして……メルとわずかな残された者達への想いだ。
願わくば、彼女らが勇者に殺されぬまま、未来へたどり着けるように。
氷の牢獄に閉じ込めたメルの涙が、瞼の裏側に焼き付いていた。
魔王の視界は憎しみの中でわずかな希望の光を見たまま、暗く閉じられた。
―――
話は、そこで終わる筈だった。
俺の知る結末の通り、魔王は死んだ。
魔族も滅んだ。
残された避難民はどうなったのか、勇者に殺されたのだろうか。
だが、これは魔王の記憶だ。
魔王が死ねばそこから先に記憶も何もあったものではない。
そう思っていると、俺の視界は魔王城の城壁における戦場から急に切り替わる。
ここは、先ほど魔王がメルを封じた霊廟だ。
「……魔王、様……」
メルは泣き腫らした目と、叫び過ぎて掠れた声でポツリと呟いた。
彼女を封じていたはずの氷が消えたことで、魔王の死を悟ったのだ。
メルの両手の指は、氷を叩きすぎてほとんどが折れていた。
脱出を試みて放った雷魔法の所為で、皮膚の一部は焼け爛れ、艶やかだった黒髪も乱れている。
噛み締めた奥歯は砕け散り、メルの口からは血が溢れていた。
メルは這うようにして壁の穴からモゾモゾと出てくる。
立ち上がろうとするが、足が震えてすぐに膝をついて倒れてしまう。
「魔王様……」
壊れた人形のように、ただ魔王の名を呼ぶメルの目は虚ろで、壁によりかかって何とか立ち上がる。
見届けなければならないと言うかのように。
メルは項垂れたまま、歩き出そうとしたその時だった。
コツコツと、何者かが霊廟に向かって降りてくる音が聞こえた。
「!」
メルは慌てて先ほどまでいた壁の穴の中に身を隠す。
やがて霊廟の扉が開かれ、そこからは勇者が入って来た。
「待ちなさいよシルビア! 何勝手なこと言ってるの!!」
その後ろから、ヒステリックな声をあげて追いかけてくるのは魔法使いのアリシアだった。
「言ったはずだ。私は未来に呪いを残さない。復讐対象である私が消えるのが最善策だ」
メルは初めて勇者の声を聴くが、胸の奥から沸々と黒い感情が沸き上がっていた。
勇者がここにいるということは、彼女が魔王を殺したということだと理解したのだ。
メルは殺意のこもった視線をシルビアに向けるが、その時魔王の言葉を思い出した。
――生きよメル……私が死んでも、私の後を追うことも、報復に人生を捧げることも禁ずる。
メルの両の目から、涙が溢れて止まらなかった。
メルは折れた手で自らの口を必死に塞ぐ。
吐息一つ、すすり泣く声一つ漏らさぬように。
「……」
シルビアはジッと壁際の青白く輝く水晶を見つめている。
「これが『時の石』……」
アリシアの呟きに、シルビアはフゥ……と紫煙を吐く。
「そうだ。私はアウラの理想と共に、ここで終わる」
シルビアの言葉に、アリシアは目線を落とす。
その目には明らかに悲しみが浮かんでいた。
メルはその様子を、訝し気に覗き見ていた。
俺も同じ疑問を持つ。
彼女たちは一体、何をしようとしているのか。
そしてシルビアはアリシアの方を見ず、ただ霊廟の穴に納められた『時の石』を見上げながら言った。
「――私を、ここに封印しろ」
魔王と勇者の戦いは、魔王の死と魔族の絶滅で終わる。
だが、アリシアは先日こうも言っていた。
勇者はシェオルに封印されている、と。
そして俺は思った。
これは魔王の記憶ではない。なら俺は今、誰の何を見ているのだ?




