第208話 魔王と勇者と聖女の狂詩曲<ラプソディア>⑤
魔王はメルと共に玉座の間からさらに奥、一見壁にしか見えない場所を開き階段を下りていく。
光石の灯りが照らす廊下の先には、一つの広い部屋があった。
部屋に入った正面には、白い燭台のようなモニュメントから、絶えず清涼な水が流れ、部屋の両脇へと流れている。
左右の壁には、数メートル上の天井まで均等に棺を納める穴で区切られており、そこには青く透明な水晶が納められていた。
ここは過去の魔王たちの魂が封じられているとされている霊廟で、魔王以外が立ち入ることは基本的にはない。
それどころか、この部屋の存在を知っているのは側近の中でもごくわずかだった。
「魔王様……お話とは一体」
メルは少しばかりの困惑を表情に浮かべて魔王の後へと続く。
メルもこの部屋に入るのは初めてだった。
青く仄かな明かりで照らされた美しい部屋に圧倒されながら、魔王の言葉を待っている。
「その前に、これを取りにきた」
正面の白い台座には、深紅の槍が鎮座している。
魔王の身長よりもやや大きく、禍々しい雰囲気を持つ長槍だった。
それは代々魔王が受け継ぐ『神槍アレクト』。
神の骨格から作られたと言われ、魔王が生まれるより遥か昔から伝わる神器だ。
魔王の称号を継承したときに使われる儀礼用の祭具だが、同時に神秘を宿し決して折れないとされている。
「美しい槍です……」
メルは囁くように、その槍を見て声を零す。
槍からは紅の光が脈動し、まるで生きているような存在感だった。
同時に、魔王が神器を手に取る意味を理解してそっと目を伏せた。
「魔王様は、勇者と対峙されるおつもりなのですね」
「……まだ同胞たちが戦っている。だが……」
魔王は言葉を最後まで口にはしなかった。
その瞬間が来るということは、魔族がおおよそすべてが死に絶えた時なのだから。
「魔王様、メルも最後の瞬間まで……お供いたします」
メルは優しい面持ちで、魔王に微笑みかけた。
彼女はよく尽くしてくれた。
出会ったのはいつからだったろうか。
100年近くも昔だったかもしれない。
ダークエルフは悪魔族とエルフの血を引く者達だ。
彼女は魔王と同族の血を引いており、その中でも特異な『魔女』と呼ばれる者たちだった。
「メル、お前がそこに在ることを、私は嬉しく思う」
シェオルの奥地にあるダークエルフの里が種族間の争いで滅びたとき、彼女と出会った。
生まれつき魅了の能力や未来を見通す力を持っており、それが元で争いが起こったと言う。
瓦礫の山の中で一人佇む彼女を、当時まだ魔王でなかったネメシスは保護した。
彼女は若く聡明な魔女で、ネメシスは彼女を重用した。
それから数十年経った今、彼女は魔王の治世において無くてはならない秘書官だ。
公私ともに支え続けてくれた忠臣に、魔王は心からの感謝を捧げた。
魔王はメルと出会ってからのことを思い出し、目を細めて彼女に笑いかける。
「……魔王様?」
慈しむような魔王の表情に、メルは少しの違和感を持ったらしい。
首を傾げる彼女の頬に、魔王はそっと触れた。
「……メルよ」
「はい……」
魔王はメルを見つめ、心苦しさを感じた。
これからその美しい顔を、絶望に歪めなければならないことに。
「……ここから先、お前が伴をすることを私は許さない」
魔王は、メルの首を掴んだ。
「…………え?」
メルは普段出さないような、呆けた声を出した。
そして彼女の白い貌が、見る見る青ざめる。
魔王の赤く鋭い指が首に食い込む。
そして魔王は、メルの華奢な身体を壁に開けられた納棺場所へと放り投げた。
ドンッ!
メルの軽い身体は、その場所にいとも簡単に収まった。
そして魔王はメルに向けて手をかざす。
「メルよ。これまでのお前の献身、私は忘れることはないだろう。お前が傍らに在ったこと、それこそがこのネメシス最大の幸運であった」
メルが身体を起こしその場所から出ようとする前に、その場所には氷の華が咲き、彼女を閉じ込めた。
「魔王様!! おやめください!!! 何を……! メルを、メルを置いていくと言うのですか……!!!」
ドンドンと、拳が砕けても構わないと言うかのように、メルは内側から氷を叩く。
だがそれは、魔王の権能の一つだ。
より上位の力をぶつけるか、魔王が”死なない限り”砕けることはない。
「魔王様……! どうか……! どうか!!!! ここを開けてくださいませ……!!」
「メルよ。貴様に最後の命令を下す」
「……!!」
魔王の”最後”と言う言葉に、メルは目に涙を浮かべて声を失った。
「――生きよメル……。私が死んでも、私の後を追うことも、報復に人生を捧げることも禁ずる。これは……神命である」
魔王は深紅の神槍アレクトを携えたまま、踵を返し部屋の外に向かって歩いていく。
「そ……んな……」
無論、魔王とて死ぬつもりは無い。
だが、万が一の時、きっとメルは何の躊躇いもなく自らの命を絶つだろう。
魔王は、メルが自分の何をそんなに慕っているのか分からなかったが、きっと彼女はそうするだろうと知っていた。
だから、メルを生かさねばならない。
彼女ならきっと、魔王の命令に最後まで従うだろう。
「魔王様!!! 魔王様嫌です!!! お願いここを! ここを開けて!!! ネメシス様!! メルを! メルを一人にしないでください! 魔王様ァァアアッッ!! ァァアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
メルの絶叫が背中に届く。
悲痛な、喉が千切れんばかりの叫びは魔王の胸を打つ。
最後まで共に生きて死ぬのは確かに美しいだろう。
メルはきっとそれを望むだろう。
だが魔王はわずかの希望を未来へ託すと決めた。
アウラと共に未来へ行くと決めたあの日から、覚悟は変わらない。
だからこれまでと同様に、魔王の決定は覆らない。
部屋の出口で足を止め、振り返らず魔王は口を開く。
「お前は賢い女だ。ステラでも……人間の世界でも生きられる。私を許すな、メル――」
魔王は、一度だけ唇を噛み締めた。
メルの悲痛な叫びが、霊廟に虚しく響き渡る。
「――お前が生き続けることが、私たちの理想の証明なのだから」
たとえそれが、裏切られた憎しみでも怒りでも。
ただメルが生き続けてくれるのならば、きっと希望は未来につながるだろう。
彼女は長命種、ダークエルフ。
未来に願いを持って行こうとした魔王やアウラと同じ、遥か悠久の時を生き続ける生命なのだから。
そして魔王は一度も振り返ることなく、霊廟を後にした。
静寂の霊廟、その扉の向こうからは、メルの絶叫だけが響き渡っていた。
―――
魔王は眼下の光景を見て、槍を握る手に力を込める。
メルと共に霊廟に赴いていた時間はせいぜい30分かそこらだろう。
にも関わらず、既に魔王軍の劣勢は誰の目にも明らかだった。
勇者シルビアの進撃は止まらない。
荒野を埋め尽くす軍の中に線を引くように、勇者の通り道は赤く染まり死体が積み上がってゆく。
勇者は腰に6本携えた剣のうちの一本を、おもむろに前方へと投げつけている。
ゴブリンリーダーの脳天に1本が突き刺さると同時に、勇者は跳躍してすれ違い様に両側のオークを6人斬った。
彼らの騎乗する魔獣も首を断たれ、勇者は相手が持っている槍を奪って背後に投げつけていた。
そちらを一瞥もしていないのに、槍は敵を2体も貫き絶命させている。
「鮮やかという他ないな……」
魔王は敵ながら、勇者のその無駄の無い動きに思わず感嘆の声をあげた。
最高効率で敵を斬り捨て、背中にも目があるのではないかという動きで全方位の敵を殲滅していく。
広範囲を焼き尽くすような魔法も無く、奇策によって敵を一網打尽にするのでもない。
勇者はただ、その両手に持つ剣と、戦場に数多ある武器だけで数千の敵を既に葬っているのだ。
魔王は、戦場を見下ろす城壁に立った。
魔王軍の壊滅は、時間の問題だ。
城壁から弓を射る同胞たちも、もうかなりの数が減っている。
「ま、魔王様! このようなところへ……!」
「危険です! 城内にお下がりください!」
リザードマンとオーガの配下が、突如現れた王の姿に驚愕する。
魔王はそれを制し、勇者に向けて手を翳した。
「よくも我が同胞を……勇者よ、私はお前を許さん……」
魔王の呟きと共に、勇者の周囲に8本の氷柱が現れ、一斉に襲い掛かった。
突然のことに一瞬動きを止めた勇者だが、それを剣で捌きながら駆け抜けていく。
だが氷柱は勇者を追い続け、前後左右上下から縦横無尽に襲い掛かった。
しかし勇者を仕留めるには至らない。
勇者は、魔王を見ていた。
だが迫りくる様子は無い。
「お前はただそこで、同胞たちが死にゆく様を見ているがいい」とでも言うかのように、魔王の力をかいぐって周囲の魔族たちをひたすらに斬り捨てていく。
ただ一人の女を、残り数千の魔族で取り囲んでも、傷ひとつつけることができない絶望。
ガシュラが言っていたように、まさに歩く天災と呼ぶに相応しい強さだった。
魔王は、携えた神槍アレクトで投擲の構えを見せた。
スキル『魔導王の肉体』に宿る全身の魔力を注ぎ込み、それを勇者に向かって全力で投げる。
パンッ!!
という音速の壁をブチ破る音が辺りに木霊し、勇者に向かって空間を穿ちながら直進する。
バチッ……!!
魔王の身体から、青白い雷が迸った。
これは俺と同じ『神罰の雷』だ。
自らを雷と化して槍の後を追う。
「…………お前は後だ、魔王」
勇者の呟きが、はっきりと魔王の耳に届いた。
遠くから見るよりもずっと若く、美しい女だった。
だがその目は冷たく、何の感情も見えてこない。
勇者は飛んでくる槍の側面に、剣の刃を撫ぜる。
ギャギャギャギャ!!!!という、刃によって槍の勢いが殺される音が響いた。
剣は簡単に砕けたが、勇者は勢いを失ったその槍を手に取り、魔王に投げ返す。
「小賢しい!」
魔王は槍を『神罰の雷』で帯電させ、磁石のように自らの手に取り戻す。
同時に勇者に肉薄し、槍を振り下ろすと、勇者に向けて業火が降り注いだ。
周囲の兵たちも思わずのけ反る灼熱が、荒野を溶岩のように溶かす。
だが勇者は、急速なバックステップにより後ろに飛んでかわす。
その間にも背後にいた魔族を2体剣で突き刺し、持っていた剣を投げて魔王の後ろにいた者の脳天に突き刺した。
わずか5秒で、勇者は数十人の同胞を殺す。
あと1時間とかからずに魔王軍は全滅の憂き目に遭うだろう。
その破壊的な強さに、魔王は自らの胸が高揚してくるのを感じた。
怒りを超えて、その強さには敬意すら持てる。
「……勇者よ、お前は何がしたい。私の首が目的ではないのか!」
魔王は戦場に降り立ち、勇者は煙草を燻らせながら魔族を斬り続ける。
「……」
勇者は一瞬の逡巡を見せ、両手の剣で両側のゴブリンを突き刺し動きを止めた。
突然のことに、周囲を取り囲む魔物たちも一瞬攻撃の手を止める。
そして勇者は、魔王を見据えて言葉を放つ。
「見ての通りの復讐だ」
全身血みどろであったが、それは全て魔族の血。
息ひとつ乱さず、勇者はただ機械的に魔族たちを鏖殺していく。
そして再び、勇者は周囲の魔族を斬り刻む。
本当に感情の乗った報復であるとは思えぬほど作業的だった。
だが……。
「……お前が人類の……いや私の全てを奪った」
勇者が自ら言葉を紡いでゆく。
こちらを見ている暇も無いと言いたげに、だが確実に一人一人処理を進める。
「ならば魔王、私もお前の全てを奪ってから殺そう」
勇者の声には悲しみも、怒りも、憎しみも無い。
ただそうするのが当然であるかのようにそう言った。




