第18話 帝都に向けて
日が昇るよりも早く、俺たちは馬車屋で小さめの荷馬車を借りた。
代表者としてミユキの冒険者カードを提示し、いくつかの書類にサインする。
また、レンタルした馬車は帝都にある系列の荷馬車屋に返却することになっている。
なおティアではなくミユキのカードを提示したのは、冒険者ランクが高いと割引で安くなったり、荷馬車も良いものを回してもらえたりするからだそうだ。
ミューズの一件で森を訪れたときは御者も手配してもらったが、今回は自分たちで操縦する必要がある。
御者を手配するとその分費用も高くつくため、今回は削ったからだ。
ティアもミユキも馬車を御するのはお手のものなようで、俺もこの後教えてもらう予定をしている。
俺たちはしめて5,000ゼレルを支払った。
ゼレルというのは、この大陸における通貨単位らしい。
日本円に換算するといくらくらいだろうか。
日本でレンタカーを2泊3日借りると25,000円くらいだから、大体1ゼレル5円くらいか?
いや、自動車がなく移動手段が貴重なこの世界では、荷馬車を借りるのも高いはずだ。
昨日の公衆浴場が1回25ゼレルで、道具屋で買った包帯が13ゼレルだったので、多分1ゼレルは20円から30円くらいだろう。
現代日本とは価値観も物の価値も違うので考えても意味がないのだが、俺は何気なくそんなことを考えながら、馬車に荷物を積み込んでいく。
「これで荷物は全部かな」
俺は荷台から荷物を受け取ってくれていたミユキに確認を取る。
「はい! ご苦労様です。フガクくんも乗り込んじゃってください」
荷台から笑顔を返してくれるミユキに癒されながら、俺は改めてまじまじと馬車を見る。
キャラバンと呼ばれる4輪タイプの馬車の荷台は2畳ほどのフラットなスペースで、布製の幌が取り付けられている。
個人の荷物は革張りのトランクが3つ分程度と少ないが、他にも共用の水や食糧諸々を積んでいるので乗るとそこそこ窮屈だった。
ただ、帝都に行くための街道沿いには宿場があり、馬の餌や人馬どちらも対象とした水飲み場なども用意されているらしい。
客は自前の荷物だけを持ち込めばよいため、荷馬車の利用者は冒険者を中心にそれなり多いとのことだ。
「じゃあ出発するけど、忘れ物はないよね? 当分エルルには戻れないよ」
「大丈夫……よっと!」
先に荷台に乗り込んで荷物のチェックをしていたティアが、俺に手を伸ばす。
俺はティアの柔らかい手を握り、勢いよく荷台に飛び乗った。
「では出しますね」
御者台に座ったミユキが、手綱を握って馬を歩かせる。
馬車の速度は平均時速7kmほどで、途中途中で休ませながら移動しなければならない。
俺たちはひとまず、街道で15kmごとに用意されている簡易な休憩場所を目指してゆったりと歩を進めることにした。
「エルルともお別れかー。何だか感慨深いね」
「なんで。フガクなんか3日といなかったでしょ」
街から出てて、馬車の荷台から背後を振り返ると、外壁に囲まれたエルルの街並みが少しずつ遠ざかっていく。
間も無く夜明けが近いので、俺たちの左側、東の空はうっすらと明るくなり始めている。
「いいんだよ。僕には旅の始まりの場所なんだから」
「はいはいお好きなだけ浸ってなさい。まあでもエルルは活気もあるし、良い街だったね。人も親切だったな」
「そう言われればギルドのお姉さんさんも親切だったかも」
「そうだね、なかなか美人だったもんねー」
ジト目でティアが俺を見ている。
何か変な誤解をされているようだ。
街道の石畳を叩く馬の蹄の音が辺りに響いている。
ふと御者台の後ろから顔を出すと、ちょうど朝日が顔を出すところだ。
辺りを金色に照らす太陽の光を、馬を御するミユキと共に眺める。
「綺麗ですね」
「うん……」
街道が敷かれた広大な草原を朝焼けが照らしている。
異世界に来なければ、こんな牧歌的な景色の中で朝陽を拝むことも無かっただろう。
俺はミユキの横顔を眺めながらそう思った。
「そうだフガクくん、手綱握ってみますか?」
微笑みながらミユキが御者台に俺を誘ってくれる。
ミユキからその笑顔で誘われて断れる男なんかおらんやろと思いつつ、俺は彼女から手綱を受け取りながら御者台に座る。
人間の徒歩より少し早いかどうかという程度だが、左右の景色がゆっくりと流れていくのは気持ちが良いものだった。
頬にそよぐ風と草の香りを感じながら、俺はどこまでも続く街道の向こうを真っ直ぐに見つめる。
数時間もすれば見飽きるのだろうけど、今はこの新鮮な体験に浸ろう。
この景色を仲間と見ていると、この先の不安や色々な煩悩が吹き飛んでいくようだ。
すると、ぼんやり座っていた俺の背中に、何かやわらかくズッシリとした感覚がのしかかった。
「ちょっと失礼しますね。馬車は馬が勝手に走ってくれますので、基本的にはお任せで大丈夫です」
ミユキが手綱を持つ俺の腕を、後ろから抱きつく形で取っている。
「ミッ……!」
言葉にならない俺。
ミユキは俺より背丈も高く手足も長いので、まるで大人が子供に教えるような形になっている。
「馬に早く走らせる場合は上から下に叩くように、止まる場合は強く手綱を退いてください」
実際に手を動かしながら俺に馬の御し方を教えてくれている。
もうお察しだろうが、ミユキの話など一切頭に入っていない。
耳元で囁くミユキの吐息、鼻腔をくすぐる花のような香りで俺の思考は完全ストップしていた。
おまけに、俺の背中で存在感を示す柔らかな感触は、もしかしなくても……
「曲がりたいときは行きたい方向に手綱を引きましょうね。それから……」
「も、もう大丈夫。ありがとう……! 少し自分でやってみるよ」
これ以上は耐えられない。
これから2日間、この距離感で過ごして大丈夫なんだろうかと一抹の不安が頭を過ぎる。
数分前に浄化されたはずの俺の心が煩悩まみれになったところで、心臓の鼓動を抑えつつミユキにやんわり断りを入れた。
「そうですね。では後ろにいますので、何かあればいつでも訊いてくださいね」
心からの親切心であろうミユキは、特に気にする様子もなく俺の後ろに席を移した。
こんなに優しく善意でしてくれているのに、俺と言うやつは。
俺は心の中で念仏を唱えて平常心を装いつつ手綱を握る。
「ミユキさんってさー、あざといって言われない?」
「? いいえ?」
後ろから聞こえてくるティアの笑いをこらえたような声を無視しつつ、俺はしばらく馬車の操縦を楽しむことにした。
帝都への街道は国軍の警備隊が昼夜問わず巡回しているようで、野盗や魔獣などもほとんど出ないらしい。
平和な旅路だ。
このまま何事もなく、帝都に辿り着けるのではないかと思えてきた。
ーーー
なんて思っていた俺の希望的観測は、ものの数時間で打ち砕かれた。
1度目の休憩を挟んで小一時間ほど馬車を走らせたころだろうか。
周囲に岩場も多い荒野に差し掛かったときのこと。
現在御者台に座るティアから、鳴き声ともぼやきとも取れる声が聞こえた。
「ぐぬぬ……」
「どうしたのティア変な声出して」
いつも冷静なティアにしては珍しく唸り声をあげていたので、驚いて声をかける。
ティアは親指で右側の方向を指差したので、俺とミユキは荷台で立ち上がり、幌から顔を覗かせてそちらを見た。
「あれは……」
街道から少し外れたところの岩場の影、一人の女性が数人の男達に囲まれていた。
なるほど、トラブルの匂いがする。
「あれを抱え込むか迷って唸ってたのよ」
「いやいや、さすがに放っておくはないでしょ。よっと!」
「そうですね、行きましょう」
俺とミユキは荷台の後ろから飛び降りてそちらに走っていく。
「だよねー……ああ、旅程に遅れが出るんだろうなあ」
背後からはティアの頭を抱える声が聞こえたが、まあ仕方ない。
旅にトラブルはつきものだ。
俺は未だ使い道の分からないスキル「精神力」SSに由来するのかは分からない前向きさで、トラブルに自ら飛び込んでいった。
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本日から新章開幕となります。
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