第148話 恐るべき公爵令嬢
「君との婚約は破棄させてもらう……!!」
豪奢なシャンデリアが無数の光を照らす王宮のダンスホール。
正式な婚姻を結ぶためのお披露目の場で、男は額に汗を浮かべながらそう高らかに宣言した。
周囲の賓客たちはその言葉の意味を理解できず、場は静けさに包まれた。
突きつける指先は震え、隈の浮かんだ目元には怯えの色さえ浮かんでいる。
その指の先には、一人の公爵令嬢がいた。
「……」
ふわふわとしたウェーブがかった長い黒髪に、薄紫のリップが艶やかに美貌を彩る。
黒いドレスを身にまとい、小柄ながら確かな存在感を示すその女性。
彼女は生来左目を失っており、金の刺繍が施された黒い眼帯をしていることで知られていた。
残された右目が、薄く細められて男を見ている。
彼女は影が差すように静かに笑うだけで、その場が凍り付くように空気が張りつめた。
「な、なにも言わないのか……!」
彼女の目からは表情が読み取れなかった。
ただ口元には薄く微笑が滲んでいるばかりだ。
「……一応、理由をお聞かせ願えますか、アレクシス様」
凛と鳴る鈴の音のような声が、無音のダンスホールに小さく響く。
その言葉に、男はたじろぎ歯噛みした。
本当に、彼女には何の感情も無いのかと。
まるで予定調和をなぞるだけのように、淡々と放たれた言葉に、周囲の賓客たちも騒めきを呑み込みながら聞き入っていた。
誰も声をあげられないばかりか、グラスに入った氷が崩れる音すら立てられない雰囲気だった。
「あら……わたくしの言葉が聞こえなくて? 婚約は貴方のお父様、辺境伯とわたくしのお義母さまがお決めになったこと。貴方の一存で変えられることではなくてよ」
責める意図も、理由が知りたいという色も、何も感じられない。
彼女はきっと興味がないのだと思った。
親同士が決めた婚姻も、それに気を使って参加してきた夜会の思い出も、偽りの愛情も、きっと彼女には意味の無いものだ。
ジッとこちらを見据える深い紫色の瞳に映る自分の姿は、酷く怯えているように見えた。
冷たい右目が心を抉るようで、今すぐここから逃げ出したいのにその眼を逸らせない。
そして――
「―――だって君は」
婚約を破棄すること宣言しているのは自分であるはずなのに、男は追い詰められ、口にしたくなかった真実を吐き出した。
彼女の静かな微笑は、艶やかな冷笑へと変わって男の脳裏に突き刺さった。
―――
「婚約破棄……ですか」
俺はティアのそんな呟きを聞きながら、カスティロ侯爵に怒鳴られているアレクシスと呼ばれた辺境伯に視線を移す。
ティアは隣にいるマダムから、彼についての噂を聞いているようだ。
「そうなの。アタクシもその場にいたけど、まあ酷い言い様だったわ。”君は僕を愛していない、人を斬ることにしか興味が持てない狂人だ”って」
それはまた随分な言い方だなと思うが、何の根拠もなくそんなことは言わないだろうとも思う。
「婚約破棄の件があったから、社交界じゃ嫌われ者なのよ。辺境伯だから、陛下も無碍にはできないのでしょうけど。公爵のご息女が人を斬ることにしか興味が無いなんて、そんなわけがないじゃない。ねえ?」
「そう……ですね」
ティアは曖昧に頷く。
カスティロからしばらく怒られていたアレクシスだが、やがて周囲の貴族が取りなして事なきを得たようだ。
ため息をつきつつ、アレクシスはこちらへと歩いてくる。
「あらやだ、こちらにいらっしゃるわ。それじゃあティアさん、またお話聞かせてちょうだいね」
「はい。ありがとうございました」
アレクシスが近づいてくると見るや、マダムはそそくさとその場を去って行く。
他の貴族たちも足早にどこかへ散っていった。
本当に社交界の嫌われ者らしい。
「……やあ、お初にお目にかかる。アレクシス=レイヴンスカヤだ。辺境伯の爵位を賜っている」
寝不足なのか知らないが、目の下の隈がすごい人だというのが第一印象だ。
ただ、不健康そうな印象とはうってかわって、意外にも体格は悪くない。
しかもフロア内の貴族としては珍しく帯剣している。
「初めまして。ミユキ=クリシュマルドと申します」
ミユキはお辞儀をして答える。
全然どうでもいいのだが、この世界ではハンドキスの文化は無いのだろうか。
ミユキがパーティメンバーの俺たちを紹介してくれたので、俺たちも頭を下げる。
「すまないが、挨拶だけにさせてもらうよ。君達も僕と話しているところはあまり見られない方が良いだろうし」
卑屈そうな薄笑いを浮かべたアレクシス。
先ほどのマダムが言っていた噂話の所為なのだろう。
「お気遣いいただかなくても大丈夫ですよ、私たちのことを良く思っていない方々も大勢いらっしゃるようですから」
ティアは笑顔を浮かべてそんなことを言っている。
まあカスティロやダリオなど、俺たちが冒険者だからなのか新参者で貴族でもないからなのか、悪態をついてくる者も中にはいる。
直接声こそかけてはこないが、ヒソヒソと噂話の対象になっているような気配もあるし。
俺たちを紹介する晩餐会を訪れて、わざわざ文句や陰口を言っている連中は随分お暇なことだ。
「なるほど。まあ、特にこの国の貴族は派閥が第一だからね。君達を獲得したい者と、冒険者なんてと煙たがる者に分かれるのは致し方ないことだ」
「僕たち、というより冒険者を獲得してどうするんですか?」
ここに来て微妙に気になっていたことを聞いてみる。
アレクシスも立ち去ろうと思っていたのに質問が飛んできたからか、一瞬驚く素振りを見せたが普通に応えてくれた。
「理由は色々あるが、分かりやすいものでいえばダンジョンなど珍しい宝を集めてもらったり、道中の信頼できる護衛にしたりかな。最近は物騒だしね」
確かに、ある程度心得が無ければダンジョンなんかには潜れないだろう。
そもそも戦う力やスキルだって全員が持っているわけでもないし。
「君達も物好きだな。僕の婚約破棄の件は知らないのかい?」
アレクシスは苦笑してそう言った。
知っているが、全くどうでもいいだけだ。
ただ、どちらかと言えばここまで幾度も名前を聞いてきた、エリエゼルという人物の方が俺としては気になる。
「知ってるけど、アタシらには関係ないですし」
「まあそうだね。社交界は君らとは無縁か」
レオナの言葉に、アレクシスは優しく笑った。
先ほどからの穏やかな態度から、いきなり婚約破棄をしそうな人物には見えない。
男女が別れる理由なんて、人の良さとはまた違った問題もあるのだろうけど。
「……不躾ですがエリエゼルさんとは今は……? あ、その、ゴシップ的な意味ではなく、著名な方なので……」
エリエゼルは俺たちにとってはロングフェローを渡るうえで重要な人物の一人だ。
できるだけ出くわさないためにも、情報は集めておきたい。
ミユキが思い切って質問してくれた。
「さて、今頃何をしているやら。彼女とは15年以上婚約者をやっていたが、最後まで何を考えているか分からなかったよ……」
遠い目をしているアレクシス。
彼の額には汗が浮かんでいる。
あれ? これ本当に怯えているんじゃないか?
「すみません……出過ぎた質問でした」
「いいさ、冒険者なら彼女の強さに憧れるだろう」
ノルドヴァルトを首席で卒業した、ヴァルターも認める天才にして三極将の一角。
エフレムが畏れ敬愛する義姉であり公爵令嬢。
ティアの義姉の墓に毎年花を手向けてくれる淑女。
そして、”人を斬ることにしか興味がない”。
今のところ俺たちが知っている情報はこれくらいだ。
「普段の彼女はそうは見えないけどね。戦いとなればあまりにも……いや、やめておこう。僕と彼女は既に他人なのだし。それじゃ」
そしてアレクシスは一人でダンスホールの出口へと向かっていった。
王から招待状をもらい、俺たちに一言挨拶だけして帰るつもりだったのかもしれない。
「そんなに悪そうな人じゃなかったね」
「どっちかというと、そのエリエゼルってのがヤバいんじゃない?」
「これでようやくひと段落でしょうか。少しずつ帰って行かれる方もいます」
ミユキの言葉にダンスホールの入り口を見ると、徐々にだが人が出ていく姿が見える。
時刻はもう21時になっており、そろそろ宴もたけなわというやつだろう。
「僕たちも帰る?」
「勝手に帰るわけにもいかないし、シュルトさんに声だけかけていきましょう」
俺たちの労いのための晩餐会という体だが、俺たちがそそくさと帰っていいものだろうかと思うが、まあいいだろう。
さすがに知らない人と会いすぎて俺も疲れたし、ミユキの顔もどこか疲労の色が見えた。
魔獣と戦った時の方がまだ楽だ。
元気なのはたっぷり飲み食いしたレオナくらいのものだ。
「あっ……」
そこで俺はあることを思い出す。
「どうしました? フガクくん?」
「結局ご飯ほぼ食べてない……」
「確かに……ほとんど人に取り囲まれていましたもんね」
晩餐会とはよく言ったものだ。
結局俺は宮廷料理の数々に舌鼓を打つこともなく、夜会から去ることになるらしい。
「いいよ、二人とも食べておいで。私がシュルトさん探してくるから」
「えっ、いいの?」
「ティアちゃんも食べてませんよね? 大丈夫ですか?」
「喋り過ぎてお腹空いてないの。あと飲み物でお腹がチャプチャプ。レオナは一応来て、護衛護衛」
「えー!? アタシまだデザートもう一回……!」
「食べすぎ! 最初っからずっと食べてるでしょ」
レオナの腕をつかみ、子連れのママみたいな言い方でティアが去って行く。
というわけで、俺とミユキは最後の15分ほどでようやく食事にありつくことができたのだった。
これにて、ジェラルド王主催の晩餐会は終了となる。
顔も覚えきれないほどの数の人と喋り、俺たちは完全に疲れ果てた。
貴族だからなのか知らないが、何だか癖のある人物ばかりだったのも疲労に拍車をかけているのだろう。
もう会うこともありませんようにと、最後はミユキと共に食事を楽しむことにした。
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