第142話 ジェラルド王の謁見③
「うむ、実はな……――」
「恐れながら、我が王。些か彼らの耳に入れるのは性急かと」
重くよく通るヴァルターの声が、まるで水面に石を落としたように部屋の空気を震わせた。
今、王の口から出ようとしていた“何か”は、俺たちの知らない領域の話――それを直感で悟った瞬間、彼が遮った。
ジェラルドは振り返り、ヴァルターを静かに見据える。
その瞳は、友に諫められた怒りではない。
むしろ「何を考えて止めた?」と探る商人のような眼差しだった。
「我が友、ヴァルターよ。其方は彼女らが信ずるに足らぬと言うのか?」
俺たちが信用できないから話すべきではない、そうヴァルターは言っているのかもしれない。
学院で共闘こそしたが、俺たちは彼らにとってみれば素性のよく分からない冒険者集団だ。
その懸念はもっともだと思ったが、ヴァルターは後ろ手を組んだまま首を振る。
「そうではありません。折角の陛下の晩餐会、話してしまわれれば彼らも楽しめなくなるのではないでしょうか」
「は……?」
俺は思わず口から呆けた声が出てしまった。
すかさず隣のティアから脇腹めがけて軽めの肘打ちが飛んでくる。
晩餐会が楽しめなくなるとはどういう意味か分からないが、想像は全く異なる方角からの進言だったのだ、
「ふむ……確かにそれもそうだ」
ジェラルドは軽く頷くと、俺たちに向き直った。
口許には微笑み。
だがその笑みの奥にある、引き出しに戻された“何か”の存在が、頭の中から消えてくれない。
「すまないが、今のは忘れてくれ。後日改めて会談の時間を設けさせてもらいたい」
「は、はい……」
ティアもとりあえず頷く。
何だったんだという雰囲気が流れるが、晩餐会が楽しめなくなるということは、晩餐会に関係あることなのだろう。
逆に気になるんだが。
「それとは別件だが、其方らは各地のミューズとやらを討伐して回っていると聞いている。彼奴らは何が危険だ? 今後の我が国の防衛の観点からも教えてもらいたい」
『ミューズ』という呼称は、既に大陸各地で知られるところとなり、その危険度についてもギルドから情報発信されている。
先日のゴルドール帝国における『神域の谷』でのクエスト以降、各国の王や政府もその動向を探っているのだろう。
俺たちが討伐したミューズの数は既に4体。
ティアとミユキが倒したものを含めれば6体だ。
そろそろミューズ討伐のスペシャリストも名乗れるのではないだろうか。
「そうですね……魔獣との一番の違いは、"人を殺すために行動する"ところでしょうか。魔獣は凶暴ではありますが、大半は食べるためや縄張りを守るために襲ってきます」
ティアが淡々と答える。
「なるほど、ミューズは生存本能のためではなく、”人を襲うこと”自体を存在意義とする怪物というわけか」
ティアは頷いた。
俺たちも身に染みて分かっていることだが、この違いは大きい。
奴らは悪意を持って人を襲う。
いや、悪意というよりも、人を殺すことこそがミューズの生存本能と呼んでもいいのかもしれない。
「ただ個体数は多くないはずです。恐らくは私たちが討伐したものを含めても、30体はいないかと。既に他の冒険者に討伐された個体もいるはずなので」
「言い切れるかね?」
「いえ。正直懸念もあります……」
俺もティアに訊いたことがある。
ミューズは残り何体いるのかと。
その時のティアの回答は「残りは分からないが、個体数は全部で約30体」というものだった。
それは、フランシスカの研究所解体後にも、遺体や行方が確認されていない少女たちの数がそれくらいだからとのこと。
しかし、ティアの懸念は、既に俺たちもロングフェローへの道中で聞かされていた。
それは。
「懸念とは?」
「新しいミューズが”産まれる”ことです」
その瞬間、部屋に張り詰めた糸が一本、きしむ音を立てた。
ジェラルドも、ヴァルターも、微かに眉を動かす。
その微細な反応が、やけにゆっくりと俺の目に映った。
「新しい……あり得るのか?」
「学院に出現したミューズは、人の言葉を解していました。これまでには無かった特徴で、それがあの個体の特性によるものなのか、人の手によるものなのかは判明していません」
「何者かがミューズを創造したと?」
「はい陛下。いえ、あるいは……」
「人の手でミューズに学習をさせた可能性があると言いたいのかい?」
思わずといった感じで、ヴァルターが王の後ろから声を発した。
本来なら王の前でそれはあり得ないことなのだろうが、それほどまでに重大な事項と認識したようだ。
ジェラルド王も気にする様子もなく、ティアの回答を待っている。
「これまでには無かった兆候なので、もしかしたらですが」
ティアはあえてアストラルのことは伏せているのだと考えた。
ミューズの研究に関する資料はティアが持っているが、学院から持ちだしたものだ。
アストラルのことを話せば、必然その資料を渡すことになる。
ティアとしては、ともすれば兵器としての利用すら視野に入るミューズの研究資料を、易々と他人に渡すことは避けたいのだろう。
「……その予測に至った経緯は?」
王の口調は穏やかだが、その眼差しは鋭く細められ、言葉の裏側まで引きずり出そうとしてくる。
ティアは笑みを浮かべたままほんの数秒沈黙し、言葉を返した。
「……と、仰いますと」
「ギルドの報告書には目を通している。これまで同一個体は無く、それぞれが特異なスキルを駆使しているのがミューズの特徴だ。例えば其方らがゴルドールの地下水道で遭遇したミューズはどんなスキルを使っていた?」
俺は思わず生唾を飲み込んだ。
一気に空気が変わった。
このジェラルドは、人好きのする柔和で気さくだけの王ではない。
俺たちの言葉の端々から情報を集め、敵の輪郭を明確にしようとしているのだ。
果たしてそれが俺たちの嘘を見抜くためなのか、本当に国防のためなのかは分からないが。
「……分身し、私たちの姿に擬態する能力を持っていました」
「そこだ。ミューズは既に人語を解していたはず。アルヘイム嬢、其方は今回のミューズが人の言葉を解したことに違和感を持ったのだろう。しかしそれは、他の理由があってのことではないか?」
「……」
確かにそうだ。
そもそも人の言葉を解したことは俺たちの中で大きな問題ではない。
ミューズの中にある『赤光石』の、情報やエネルギーを蓄積するという能力。
それこそがミューズの本当に恐るべき点なのではないかと、俺たちは思っていた。
「詰問している訳ではない。気になったことは尋ねなければ気が済まない性質なものでな」
口角を釣り上げ、ジェラルドは笑った。
俺は、隣でティアが一瞬のうちに思考を巡らせることに気づいていた。
ミューズが徐々に情報を集約して強くなる生命体だということは、話してもいいかもしれない。
だが、赤光石についてはどうだろうか。
俺たちにも全貌は分かっていないが、かなり危険な代物の可能性が高い。
赤光石の情報自体はギルド側も把握しているが、その効果や性質についてはまだ知られていないはずだ。
この王を信じてもよいのか、石を提供してほしいと言われたらどうするか、あるいは彼らがそれを軍事利用しないという保証は?
そしてティアは、ふっと笑って口を開いた。
「すみません。これまでミューズと戦ってきた勘でしかありません」
「ふむ……そうか」
ティアの笑顔での回答に、ジェラルドも言葉に詰まった。
現状、彼らに赤光石の危険性について話すのは避けようという判断なのだろう。
ジェラルドは特にそれ以上踏み込んではこなかった。
「ふ、何にせよ、其方らの活躍は揺るぎない。学院を危機より救った英雄として皆に紹介するゆえ、晩餐会をゆるりと愉しんでいくがよい」
「このくらいにしといてやるか」とでも言いたげに、ジェラルドは小さく笑う。
俺は会釈しながらも、心の奥底で思っていた。
晩餐会が、本当に“楽しむだけの場”だったらいいのだが。
「恐れ入ります」
最後にティアが頭を下げたので、俺たちもそれに倣う。
これにてジェラルド王との謁見もとい会談は終了となった。
結局ジェラルドが言いたかったことは何だったのだろうか。
ミューズについて妙に探りを入れて来た印象もある。
ジェラルド王の退室を立ち上がって見送り、ヴァルターとシュルトもそれに付き従う。
すぐに別の係の者が来るからと、それまで貴賓室で待つように言われた俺たち。
「あー……疲れたー……」
貴賓室内には一気に弛緩した空気が流れる。
ティアは珍しく深く息を吐き、どっかりと椅子に座り込んだ。
「お疲れ様です。途中変な空気になりましたね」
「ミューズのことそんなに気になるのかな」
ミユキと俺がティアに声をかけて労いつつ、状況を整理する。
「なるでしょうね。個体数自体が少ないから情報もあまり無いだろうし、私たちがこれだけ立て続けにミューズを討伐してるのも不自然といえば不自然だしね」
俺たちとミューズの関係性などについて怪しまれていたということだろうか。
もちろんティアとは無関係ではないが、なかなか慎重な王様のようだ。
「『赤光石』とかアストラルのことは黙っとくんだ?」
レオナの問いに、ティアは天井を見上げる。
額に手を当て、ティアは唸り声を上げた。
「それ迷ったんだよねー。『赤光石』自体はギルド側も認識しているし、言ってもよかったんだけど……アストラルが絡んでるからね」
「どういう意味?」
レオナが首を傾げる。
「アストラルとこの国の誰かが繋がってる可能性もあるってこと。例えば、王様とか」
俺は背筋に悪寒が走った。
あのジェラルドが、実は裏でゼファー=アストラルと繋がっていたら、何らかの理由を付けられて『赤光石』を奪われることにもなりかねない。
王が信頼できるか分からないから、詳しくは知らないということにして様子を見たといったところだろう。
「”晩餐会を楽しめなくなる”……というのも気になりますね。楽しめなくなるような話とは何なのでしょう」
ミユキも顎に手を当てて考えている。
俺もそこが一番気になっていた。
というか、もう既にだいぶ楽しみにくくなっているのだが。
「ヴァルターさんの配慮なのか、別の意図があるのか……何にせよ出てみないことには分からないか」
ティアの言葉に、俺たちの間にも緊張が走る。
真意の読めないジェラルド主催の晩餐会。
多くの貴族が訪れるその場所で、一体何が待ち受けているのか。
あるいは、本当に俺たちを労う以上の意味はないのか。
俺たちはとんだ伏魔殿の中へと足を踏み入れてしまったのかもしれない。
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