第136話 ノルドヴァルトにさよならを③
「アルカンフェル先生!」
夕焼けが校舎を照らし、間もなく日が沈む時刻。
俺は校舎の前庭をのそのそと歩くアルカンフェルの姿を見つけ、声をかけた。
獲物を探して徘徊する熊のような佇まいだが、手には模擬専用の木剣や槍を数本持っていたので、生徒何名かの相手でもしていたのかもしれない。
アルカンフェルは俺の声に振り返る。
「お前か。明日ここを発つようだな」
俺の後ろからミユキも着いてくる。
俺は生徒として、ミユキは教員としてアルカンフェルには世話になった。
彼にも礼を伝えておきたいと思ったのだ。
「はい。……あの、先生」
「なんだ」
「ありがとうございました。先生のおかげで、新しい力を得ることができました」
俺はしっかりと45度の角度で礼をする。
彼は俺の『神罰の雷』に新たな可能性をくれた人だ。
そりゃボコボコにもされたが、彼の指導無くして俺は『神罰の迅雷』を会得することはできなかっただろう。
頭を下げた俺を、アルカンフェルはジッと見下ろした。
「顔を上げろ。お前は俺に勝ち、技を完成させた。お前の成果だ」
言われ、俺は頭を上げてアルカンフェルを真っ直ぐに見つめる。
相変わらずの愛想の無い表情だが、冷たさも感じない。
淡々と、仕事を果たしただけだとでも言いたげに俺を見据えている。
「先生は、どうして僕を指導してくれたんですか?」
数日前、訓練場で気まぐれのように俺の技を受けてくれたアルカンフェル。
俺があの日ミユキを待ってあの場所にいなければ、もしかすると今の状況も無かったかもしれない。
運命とまでは言わないが、俺はあの偶然に本当に感謝している。
「……俺にも戦う目的はある。戦士として”完成”することだ」
俺の質問には答えず、アルカンフェルはポツリと呟く。
「完成?」
首を傾げた俺にアルカンフェルは首肯する。
「そうだ。俺は幼きころから、俺という人間がどこまで強くなれるのかを試したかった。立ちはだかる障害の全ては、俺を"闘争の高み"へと導く者だと信じている。それは俺の兄も、ヴァルターも同じ俺の糧だ」
アルカンフェルの言葉を、俺は黙って聞き入っていた。
「実技試験でお前を見たとき、お前もその一人になり得ると思った。全ては俺の目的のためだ。故に礼はいらん」
彼はつまり、ただ純粋に強くなりたいという目的のためにここにいて、俺を強くしたいと考えたのもそのためだと言いたいのだろうか。
俺が強くなり、彼と死闘を演じることができるようになれば、自分の強さを高めることに繋がるのだと。
「……僕は、強くなれましたか?」
俺は彼の敵として、不足ない力を手に入れられたのだろうか。
アルカンフェルのお墨付きはきっと俺の自信になるだろう。
だが、そんな俺の甘えを見透かすように、アルカンフェルは答える。
「俺に勝ったという事実は覆らず、それだけが真実だ。答えはお前の中にしかなく、それでもなお迷いがあるなら、まだこれからということだろうな」
俺は自分の強さを確かめたかった。
フェルヴァルムからミユキを救えるだけの力を得られたのか。
ティアの復讐を最後まで併走する力が俺にはあるのか。
俺の中にある迷いと、答えを欲する弱さを真正面から指摘されたような気がした。
「わかりました……! ありがとうございます」
アルカンフェルは頷き、踵を返してその場を去ろうとする。
俺は何も答えることができなかった。
確かに俺はアルカンフェルに勝った。
だが、彼より強いとは思えなかったのだ。
あれはまるで真剣を使った指導試合だ。
彼は確かに俺を殺そうとしていたが、それでも本気で戦っていたとは思えない。
まるで俺を強くするための戦いのようだったから。
「フガク、次は俺がお前に挑もう。お前が強くなれたのか、その時に答えを聞かせてもらう」
アルカンフェルは俺に答えを教えてはくれなかった。
お前が自分で考えろと、そう言って突き放す冷たさは、まだ上を目指せという最後の指導のようにも思えた。
「アルカンフェル先生」
ミユキが隣で、こちらに背中を向けて歩いていくアルカンフェルに声をかけた。
アルカンフェルは足を止め、顔をミユキに向ける。
「私たちにも、強くならなければならない理由があります。私たちが強くなるには、何が必要ですか」
ミユキもまた、俺と同じ迷いを抱えているのかもしれない。
二人で強くなると誓ったあの日から、俺たちはもう戦いからは逃げられない。
それはティアの復讐の旅路を共に歩くからでもあり、血塗られた運命とやらを終わらせるためでもある。
「お前たちの道から戦いを切り離すことができないならば、迷いを抱えたまま進むしかない。その迷いこそが、お前たちを”闘争の高み”へと連れていく」
そしてアルカンフェルは再び振り返って去っていった。
ミユキは彼の背中に向けてペコリと礼をする。
俺ももう一度それに倣った。
迷いを抱えたまま進み、悩み苦しみながら強さを求めろ。
そんなメッセージと受け取ることにした。
彼は最後まで、俺の指導者であり、俺達に”強さとは何か?”という問いを突きつける者だった。
―――
俺とミユキはアルカンフェルと別れ、無言で校舎を通って寮に戻っていた。
アルカンフェルの問いは、俺とミユキの中に己の強さに対する疑問を生じさせ、同時に強くなるためには何が必要なのかを考えさせるものだ。
この葛藤こそが重要なのだということは、俺にも何となく分かる。
いつかきっと、その答えをアルカンフェルに返そうと思った。
「……学院とももうお別れですね」
ミユキが、窓から差し込む夕日に目を細めながら言った。
静寂に包まれた校舎の廊下。
ところどころ戦いの跡が残るが、静けさは俺たちに旅立ちの時が近いことを自覚させる。
「ちょっと寂しいよね」
「はい……」
騎士学校に入ってまだ1週間だが、濃密な日々を過ごした。
困難で危険なクエストではあったが、ここで出会ったみんなとの記憶はかけがえのないものだと思えた。
「ミユキさん。ちょっと寄り道しない?」
「寄り道、ですか?」
「こっちこっち」
俺は自然にミユキの手を取り、寮へと続く廊下を進まず2階の教室へと昇っていく。
俺が手を握ると、少しミユキは驚いた顔を見せたが、すぐに握り返してくれた。
夕日が差し込む教室に入り、俺は自分の席へと座る。
「教室ですね、何かするんですか?」
ミユキも俺の隣の席、普段ティアが座っている席へと腰かける。
「特に何も? でもミユキ先生の個別指導をまだ受けてないなと思って」
「ふふっ、なんですかそれ」
ミユキは俺の言葉に、口元に手を当てて小さく笑った。
彼女の笑みを浮かべるときのこの上品な仕草も、俺は好きだった。
俺は机の中から、このまま置いていく予定だった歴史の教科書を取り出して広げる。
「じゃあミユキさん……先生! ロングフェロー王国の貴族制について教えてください!」
「……なるほど、仕方ありませんね。じゃあ、隣失礼しますね」
先生を演じるのが少し気恥ずかしそうに、ミユキは俺の隣に椅子を寄せた。
肩が触れ合う距離で、1冊の教科書を覗き込む。
「ロングフェロー王国に限りませんが、特にこの国は貴族制の強い国です。ではフガクくん、貴族には大きな役割がありますが、何か分かりますか?」
「分かりません!」
何となくは分かるが、ここはあえてそう答える。
すると、ミユキもノってきたのか俺の頭を指で突いた。
「まあ。お勉強が足りませんよ。めっです」
欲しかったやつをいただいた。
なぜこういちいち無意識にあざとくて可愛いのか。
俺はテンションが上がってくるのを感じた。
「貴族には領地を治めるという役割があります。それは領民から徴収した税を国に納めたり、戦争時に軍事力を提供するなどさまざまな目的があるんです」
「私腹を肥やして、なんか偉そうにしてるだけじゃないんだね」
子供向け教養番組みたいな口調で俺はミユキに問いかける。
どうせこの後貴族社会真っ只中の王都に行くのだから、実益を兼ねてこの科目を選んでよかったと思った。
「領民からの支持、稼ぐお金、戦力など各貴族にはさまざまな背景があり、それが政治的な影響力を持ちます。王家は自分たちだけで広大な国を治めるよりも、信頼できる人に代わりに領地を治めてもらった方が効率がよいというのもありますし」
「でも問題も起きるよね? 貴族が権力を持ちすぎちゃったりとか」
「よくできました。そのとおりですよ。偉いです」
そう言って小さく拍手をして褒めてくれるミユキ。
これはヤバい。クセになりそうだ。
「王様より一部の貴族の方が力を持ってしまったり、国民に対する影響力を持ってしまったり、そんな問題が起きてくるのです」
つまりそれが、この国で問題になっている王家と貴族の対立ということだ。
ただ、王の側にいる”三極将”が恐ろしく強いからこそ、この国は表面上バランスが保たれているというのが、ティアの以前の説明だった。
「……あの、フガクくんこんな感じでいいんですか?」
プレイ、否、次なる王都に向けた予習を楽しんでいたが、さすがにいつまで続けるのかとミユキが困惑している。
「うん、いいよ。これで思い残すことなく逝ける」
「逝かないでください!」
天に召されようとしている俺に苦笑するミユキ。
何をやらせてんだかと自分でも思うが、せっかく学校に教師と生徒という立場で入ったんだからいいだろ。
最後の思い出作りと、寂しそうだったミユキの顏に笑顔も浮かんだので、俺たちは席を立った。
「ミユキさん、学校は楽しかった?」
学院に入る前、俺はミユキたちに「学校は楽しいこともあるものだ」と説明したことを思い出す。
何だかんだで、俺はそれなりにこの学園生活を楽しんでいた。
彼女もそうであってくれたら嬉しいと、そう思っていたのだ。
「はい! とても!」
ミユキは優しい微笑で応えてくれた。
生徒としては入学できなかったが、ミユキも多くの生徒と交流を持ち、同じ学校で過ごすことができた。
学校に通ったことが無いという彼女に、少しでもその醍醐味のようなものを感じてもらえたのであれば、俺も満足だ。
「よかった。僕もミユキさんと一緒に通えて……」
「そりゃ楽しいでしょうねー。ミユキさんに念願の”めっ”までしてもらえたしね」
「うわぁっ!?」
気が付くと、俺の隣にティアが立っていた。
俺だけでなくミユキも驚いてる。
「テ、ティアちゃんなんでここに?」
「二人がまたコソコソ抜け出したから、探しに来たんだよ。校舎内で不純異性交遊は厳禁だし?」
腕を組み、ニヤニヤと笑っているティア。
先ほどまでの恥ずかしすぎる女教師と男子生徒のロールプレイを見られていたようだ。
俺は顔が耳まで熱くなっていくのを感じた。
「あ、ちなみに私だけじゃないから」
ティアが親指で教室の入口を指差すと、そこにはレオナやアギト、カーラにクラリスなどクラスメイトたちがさまざまな表情でこちらを見ていた。
「げぇっ」
「フガク……私もミユキ先生に怒られたいのにぃぃ」
「フガくんも男の子なんだねぇ……でもちょっとないかなー」
「フガクー、だいぶニヤついててキモかったよ」
俺に恨みの視線を向けるクラリスと、若干引きつった笑みを浮かべるカーラ。
そして直球で俺の心臓を抉ってくるレオナと、女子たちはドン引きしている。
「フガク、お前すげーよ。俺も女の子にそこまではさせないぜ?」
「実際知り合いのこういうの目の当たりにするのキツいな……」
女子たちだけと思いきや、アギトやバロックも引いている。
「で、どうする? そのいやらしい遊び続けたいなら出てくけど?」
ティアの若干怖い笑顔に、ミユキも顔を真っ赤にさせた。
「す、すぐに戻りますっっ!!」
「け、健全に楽しんでただけだから!」
「楽しんでんじゃん」
「ちょっと目を離すとこれなんだから」
レオナとティアに茶化されながら、俺とミユキはみんなと共に寮へと戻る。
その後俺たちは寮でも散々いじり倒された。
女教師を口説く男として不名誉な伝説を賜った俺は、その後も話のネタとして長くみんなの間で語り継がれることになったらしい。
こうして、俺達のノルドヴァルト騎士学園におけるクエストは終わった。
ゼファー=アストラルや赤光石、神の骸など新たな謎も残しつつ、俺達の旅は続くのだった。
そして、新たなるステージ、ロングフェロー王都へと舞台は移っていく。
お読みいただき、ありがとうございます。
モチベーションにもつながりますので、もしよろしければぜひ評価や感想などいただけると幸いです。
評価は下の「★★★★★」から行えますので、よろしくお願いたします。




