第135話 ノルドヴァルトにさよならを②
「それじゃみんなー! かんぱーい!!」
カーラの高らかな号令により、俺たちはお茶やらジュースやらが入ったグラスを掲げて乾杯をする。
寮談話室の中央には、大きな丸テーブルがいくつも並べられ、上には学院の食堂で用意された色とりどりのオードブルがぎっしりと並んでいた。
香ばしく焼かれたチキンや、色鮮やかなサンドイッチ、湯気を立てるスープの鍋まで用意されていて、部屋いっぱいに食欲をそそる匂いが広がっている。
窓の外は茜色の夕暮れが広がり、ガラス越しに差し込む柔らかな光が、テーブルクロスや飾り付けられた紙の花を淡く照らしていた。
「カーラ、そっちのポテトとってー」
「はいレオちゃん」
何故こんなことになっているかと言うと、ヴァルターたちとの話を終えた俺たちが寮に戻ったときのこと。
どこから聞きつけたのかカーラは俺たちが学院を去ることを知っていた。
そして、急遽俺たち4人のお別れ会をしてくれるということになったのだ。
現在は夕方17時。
準備してくれている間に荷造りなども終え、俺達は寮1階のロビー兼談話室に設えられた即席のパーティへと参加している。
クラスメイトは全員参加で、ジェフリーやラルゴ、なんとエフレムまで来てくれていた。
「ミユキ先生……私、先生がいなくなるの嫌です!」
そう言ってミユキの隣に座り、泣いているのはレオナのルームメイト、クラリスだ。
レオナとカーラも隣に寄り添っている。
この前までクリシュマルド先生だったのに、いつの間にかミユキ先生になっているのも関係性の進展を感じられた。
聞けば、クラリスはミユキに憧れているらしく、ランチなどを一緒にしたこともあるらしい。
にも拘わらず、明日には学院を去ると聞いて感極まってしまったようだ。
「ありがとうございます、クラリスさん。ですが、もう会えなくなるわけじゃありませんよ」
ミユキは優しくクラリスの頭を撫でながら語りかける。
クラリスは膝の上にポロポロと涙をこぼしながら、鼻をすすってしゃくりあげている。
「ありゃりゃ、クラりん泣かないで。そうだ、レオちゃんたちはウィルブロードに向かうんだよね? クラりんの実家があるんだし、長期のお休みになればまた会えるかもしれないよ?」
「そーそー。またすぐ会えるって」
レオナともすっかり仲良くなったようで、慰めてやっている姿は新鮮だ。
一番しっかりしていそうなクラリスが、一番取り乱しているのも意外だったが、それだけミユキを慕っていたのだろう。
「私たちは聖庁に向かうから、クラリスも休みになったらおいで」
フォローするようにティアもそう言った。
「……うん。ミユキ先生、私のこと忘れないでくださいね……」
クラリスは眼鏡を外して涙を拭いながらミユキを真っすぐ見つめている。
ミユキも、慈しむように微笑み返して頷く。
「もちろんです。またお会いできるのを、私も楽しみにしていますね」
「ミユキー、約束のハグしてあげて。ギューッって。潰れない程度に」
「ちょ、ちょっとレオナ! 何言ってるの、先生に迷惑でしょ」
レオナの煽りに、クラリスは慌てた様子で手を顔の前で振っている。
しかし、その横でミユキは両手を大きく広げた。
「どうぞ! ぎゅーしますか?」
「う……」
頬を赤らめるクラリスに、ミユキは笑いかける。
唇を噛み締めてどうしようか迷う素振りを見せたクラリスだったが、最後はミユキの大きな胸に飛び込み、思い切り抱きしめた。
「先生……っ! ありがとうございました!」
「はいっ! また一緒にご飯行きましょうね」
「はいっ……!」
「よかったねクラりん」
微笑ましい4人のやり取りを、ジュースをすすりながら見ている俺。
さすがに寮ということと、未成年も多いということで酒は出なかった。
食堂で作ってもらったオードブルを、他の男子生徒みんなでつついているところだ。
「俺も参加してよかったのか? 俺はあの化け物に操られてただけだってのに」
コップに口をつけながら、ジェフリーが困ったような顔でそう言った。
彼はミューズの眷属にされてしまっていたことを後ろめたく思っているようだ。
「んなこと気にすんなってジェフリー! お前は可愛いもんだぞ? バロックなんか校舎に爆弾投げまくってるから。俺は死ぬとこだったんだぜ」
その彼の隣でアギトがポンポンと背中を叩いてフォローしてやっている。
言われているバロックも苦笑いする他なく、アギトをたしなめていた。
「お前鬼の首取ったように言ってくるよな。事実だから何も言えねえけど」
「まあ、誰がそうなってもおかしくなかったわけだし、本当に気にしなくていいよ。むしろ最後にこうしてみんなで集まれて嬉しいしね」
「そ、そうか? まあお前がそう言うなら」
俺もバロックとジェフリーをフォローしておく。
ちなみに、何故ジェフリーが操られたかと言うと、初日の夕方時計塔に入っていく上級生を見かけて後をつけたら、いつの間にか操られていたらしい。
そうやってミューズは少しずつ学院内に眷属を増やしていたのだろう。
「ユリウス、ラルゴ、エイドリック。君たちもありがとう。ティアが助けられてたって言ってたよ」
「なに、ノブレスオブリージュというやつさ。僕がいてラッキーだったね君たち」
髪をかきあげながら大げさに語るユリウスも、もう見慣れたもんだ。
「別にお前らのためじゃねえよ。学院が無くなっちまったら折角入った意味がねーだろうが」
骨付き肉にかじりつきながら、ぶっきらぼうにラルゴが言った。
何だかんだ言ってこいつも、逃げることもなく学院の危機に立ち向かった男だ。
もちろん、エイドリックやユリウスも。
ティアも言っていたが、結局彼らも騎士としての資質があり、それを見抜いて入学させた教員たちは優秀だったということだろう。
「まあ認めてやるよ。確かにお前は強ぇ」
最後には、ラルゴもそう言って俺の肩をポンと叩いた。
チキンの油がシャツに付くからやめて欲しいが、まあ褒めてくれているのだから甘んじて受けよう。
「ふん。確かに君の、いや君たちの力が本物だということはよく分かった。が、数年後には分からないぞ」
ツンデレ眼鏡2号ことエイドリックも、シュルトみたいな口ぶりでそう言った。
「ああそうだエイドリック。ティアも、みんなかっこよかったって褒めてたよ」
「ふ、ふんっ! 騎士として当然の振る舞いをしただけだ」
ティアの名前に耳を赤くして反応するエイドリック。
気になる子の名前を言い合っていたときに、そういえばティアの名前を出していたな。
勉強の仕方が気になるだけだとか言ってたが、案外本当に気になっていたのかも。
「何? 呼んだ?」
俺たちの近くにあった飲み物を取りに来たティアがひょっこりと俺の顔を覗き込む。
「な、なんでもないっ!」
「そう? でもありがとう。おかげでスムーズに時計塔まで辿り着けたよ」
ちゃっかり会話を聞いていたらしい。
「そうか……ならいいが」
耳を赤くしてそっぽを向いているエイドリック。
可愛いとこあるじゃないか。
何だかんだとこいつも悪いやつじゃなかったな。
「そういえば君たちは王都に行くんだったね。僕の父上は王都でホテルや飲食店を経営していてね。ぜひ行くといいよ、君たちには少し高いかも知れないが、何、安心するといい。僕の名前を出せばサービスしてくれるはずさ」
そしてユリウスは明るく言う。
実技試験で出会って以来、何だかんだと一緒にいる機会も多かったし、友人と言っても差し支えないだろう。
向こうもそう思ってくれているのか、少し表情を曇らせた。
「どうしたのユリウスくん?」
「君たちがいないと寂しくなるなと思っただけさ」
ユリウスも、俺たちのことは気に入ってくれていたようだ。
俺の胸に少しの寂しさが去来し、俺は右手を差し出す。
「ありがとうユリウスくん。また会おう。君のお父さんの店にもきっと顔を出すよ」
「ああ、ぜひそうしてくれたまえ!」
ユリウスは笑みを浮かべ、両手で俺の手を握った。
「まさかエフレムが来てくれるとは思ってなかったよ。改めてありがとう」
端の方でお茶を飲んでいたエフレムの隣に、ティアが座った。
何となく入りこみにくい二人の雰囲気に、俺は腕相撲大会を始めた男子を横目に耳をそば立てる。
「礼など不要です。あなたの言う通り、お姉さまの思い出が残るノルドヴァルトに、不名誉を残す訳にはいきませんから」
特に表情を変えないエフレム。
彼女はティアと共にシュルトを倒し、その後時計塔でレオナをサポートするという八面六臂の活躍をしたと聞く。
伊達に俺たちを苦しめた魔女をやってない。
「じゃなくて、お別れ会。こういう集まり好きじゃなさそうだから」
「あなた方の顔をこれで見なくて済むと思うと、嬉しくなってつい来てしまっただけです」
ティアに負けず劣らず皮肉を飛ばしているエフレム。
ただ、ティアは意外とエフレムのことを気に入っているように思えた。
エフレムの回答にもツボに入ったようにウケている。
義姉同士が学院の卒業生ということもあってシンパシーを感じているのかもしれない。
「ふふ、エフレムはこれからも学院に?」
「お姉さまに聞いてください。ただ……」
エフレムが、一瞬言葉に詰まった。
何かを思い出したように、飲み物を飲む手を止める。
「ただ?」
「いえ……お姉さまもこの学院で起こっていることをご存知のはず。だからもしかしたら、私に事態の解決を期待されていたのかもしれないと、そう思っただけです」
エフレムは「希望的観測に過ぎませんが」と付け加えた。
横でティアも考えこんでいる。
もしそれが本当だとしたら、エリエゼルもまたヴァルターのように学院で起きていた事態を憂いていたのだろうか。
俺たちには知る由も無いが、ティアは少し懐かしそうな顔で微笑んでいた。
「何ですか気味の悪い」
「ううん。義姉さんも、エリエゼル様はいつも気付かないところで手を差し伸べてくれてたって言ってたから」
「まったく、またお義姉さんの話ですか。あなたのシスコンぶりには呆れますね」
「どの口が言ってんの」
二人が互いの義姉の思い出話を始めたので、俺はそっと席を立つ。
ノルドヴァルト最後の夜は楽しく更けていく。
こうして全員が揃うことはもうないのだろうが、確かにこの時俺たちはここにいた。
きっとこの先も忘れることはないだろう。
ほんのわずかな期間のクラスメイトだとしても、確かに煌めくような青春がそこにはあった。
「あ、フガクくんどちらへ?」
俺が部屋を出て行こうとするのを目ざとく見つけたミユキが、後を追ってくる。
「うん、最後の挨拶にね」
もう一人、礼を伝えておかねばならない人がいる。
俺が強くなるきっかけをくれた師の元へ。
「では、ご一緒します」
ミユキは「誰に?」とは訊かなかった。
言わなくても、もう分かっているのだろう。
俺は特に断ることもなく了承した。
「いいよ。じゃあ行こうか」
そして、俺はミユキと連れ立って寮を出る。
背後に聞こえるみんなの喧騒に、俺はこの学院を去ることに名残惜しさを感じているのだと、この時初めて気づくのだった。
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