第134話 ノルドヴァルトにさよならを①
翌日昼、俺たちは事の顛末を伝えるためヴァルターの元を訪れた。
昨晩は対応に追われていたのだろう、さすがの彼の顏にも少し疲れが見える。
俺たち4人は、職員室の隣にある会議室へと通され、大きな机の前に並んで座った。
対面には、ヴァルターとシュルトの姿がある。
「仮設の橋の設置は大方終わった。学院の設備の損傷は一部激しい部分もあるが、ひとまずは王国軍も調査に入りひと段落だ」
ヴァルターは穏やかな表情でそう伝えてくれる。
本日は元々日曜日で休みなので、生徒たちは割と自由に過ごしている。
寮に残る者もいれば、明日からもしばらく学院は休校となるためセーヴェンの街に滞在する者や、実家・職場などへ戻る者などさまざまだ。
「一応、君たちには礼を言っておきます。私も敵の手に堕ち、迷惑をかけましたからね」
メガネのブリッジに中指を当て、クイッとあげるいつもの仕草でシュルトがそう言った。
彼の口からそんな殊勝な言葉を聞けるとは思えず、俺とレオナは視線をかわす。
「なにか?」
「いえなにも?」
ビシャリと冷たい声で俺たちをジロリと睨んだシュルトだが、ヴァルターは隣で穏やかに笑っている。
陰険クソ眼鏡からツンデレ眼鏡くらいには格上げしてやってもいいかと思えた。
もちろん本人には言えないが。
「シュルト先生は、いつからミューズの支配下に?」
ミユキは苦笑しつつ問いかける。
「おそらくは、1ヶ月ほど前でしょうか。時計塔の見回りの際、中に入っていく生徒を見かけたもので。気が付くと時計塔の操作室に倒れていたことがありましたから」
シュルトも俺達と同様、生徒を追いかけてあの地下倉庫にたどり着いたようだ。
灯りの無い中で、首筋に音も無く放たれる神経糸をかわすのは容易ではないだろう。
イライザは繭から情報やエネルギー吸収を行う対象と、操って眷属とする対象を分けていたようだが、シュルトの実力なら手駒とした方が有用だと考えたのかもしれない。
「私も責任を感じている。学内調査を命じられていたが、一向に進まなくてね。アルカンフェルに来てもらったのもそのためだったんだ」
まあシュルトや他の教員にもミューズの眷属がいたのでは、調査が進展しないのも無理はない。
情報が錯綜して何が本当だったのかも分からなかったことだろう。
「君たちは、この学院を去るのかい?」
俺たちは無理やり編入試験の受験者の枠に入り、試験は正々堂々と受けたものの本質とは異なる合格者となった。
一気に3人も生徒が、いや、アギトとバロックも入れれば5人も生徒が減る。
ミユキが辞めることに至っては学院にとって大きな損失だろう。
だがヴァルターは、特に責める意図もなさそうに問いかけてきた。
「はい。クエストは終わりました。義姉さんのようにこの学院を卒業できないのは残念ですが、旅を続けます。学院にはご迷惑をおかけすることになり、申し訳ありません」
ティアはためらいなくそう答えた。
彼女の回答に、ヴァルターも頷く。
「実に惜しいが、致し方ない。だがまあ、君たちは最前線に立ち、この学院を救った。騎士としてあるべき姿を体現したんだ。誰も文句は言うまい」
嫌みの一つくらい言われるものかと思ったが、ヴァルターだけでなくシュルトすら何も言わない。
「君たちは良いチームだな。互いを補い合い、目的を果たしたのだろう」
ヴァルターに褒められ、ティアは少し驚いたように目を丸くした。
そして、俺達の顔を見渡す。
「はい、とても頼れる仲間です」
最後には、慈しむような笑みを浮かべた。
ティアの心からの賛辞だと分かり、俺は少しだけ顔が熱くなった。
レオナが時計塔を上った顛末も聞いている。
ティアは自らシュルトの相手を引き受け、ミューズの討伐をレオナに託した。
シュルトとやり合うだけならレオナを残した方が良かったはずだが、ティアはあえて自らを残したのだ。
レオナの方が確実にミューズを屠れると、そう冷静に判断して。
綱渡りのような賭けに勝ち続けるティアの選択が、俺にはとても心強くもあり、危ういとも感じた。
彼女は、自分が死ねば復讐の旅も終わってしまうのに、平気で賭けの卓に乗せる。
しかし、それもティアが俺たちを信じてのことだ。
そう思えば、今は結果オーライということにしておこう。
「ヴァルターさん。例の件を伝えた方がよいのでは?」
シュルトはため息をつき、ヴァルターに何かを促す。
「ヴァルター先生、例の件とは何ですか?」
「そうだった。実はね……」
ミユキの問いかけに、ヴァルターが思い出したように答えた。
面倒ごとでなければいいがと思いつつ、俺たちは彼の言葉の続きを待つ。
「ジェラルド王が、ぜひ君たちに会いたいと仰っているんだ。もし喫緊の用が無ければ、一度登城してもらいたいんだが、可能だろうか?」
正直だいぶ面倒だと思った。
その後のヴァルターの説明によれば、ロングフェローの王様が俺たちが騎士学院における事態解決に尽力したことを聞き、ぜひ会って話を聞きたいとのこと。
ゴルドールのヴァンディミオン大帝の件があるからそこまでは驚かなかったが、こんな簡単に会える相手ではないはずだ。
「謁見ということですか?」
ティアが質問を返す。
「まあそうだが、せっかくだから晩餐会でもと仰っていた」
王宮の晩餐会とはさぞすごいのだろうな。
アポロニアの屋敷の食事もかなり豪勢だったが、さらに贅を尽くしているのだろう。
王様との謁見など緊張しかないのでできれば避けたいが、一度くらいは王宮の晩御飯を食べてみたい。
「ティアは王様には会ったあんの? あとフガクよだれみっともない」
レオナに言われ、ポケットからハンカチを取り出して拭う俺。
隣ではミユキがクスクス笑っていた。
「無いよ。今のジェラルド王は先代から王位を継承して7年くらいだし」
「よく知っているね。ジェラルド王は寛大なお方だし、長く辺境を治めていたから市民たちからの人気も高い。緊張しなくても大丈夫だよ」
ヴァンディミオン大帝のときも似たようなことを言われたが、結局あの貫禄だ。
否が応にも緊張は免れない。
まあ即位して10年も経っていないのであれば、比較的若い王様なのだろうけど。
「どうだろう? 少し考えても構わないよ」
「そんな時間はありませんよヴァルターさん。彼らは明日にもここを発つ気でいるというのに」
「いえ、行きます。お目にかかれる機会などそうそうありませんし」
意外と言うほどでもないが、ティアは了承した。
どうせウィルブロードに向かうには列車で王都を経由するのが最短だ。
ならば王との謁見をしていても損もなければ、タイムロスも無いだろうという判断だろうか。
ティアの返事に、ヴァルターも嬉しそうに頷いた。
「そうか。王もお喜びになるよ。セーヴェンからは列車で向かうかい?」
「そうですね。明日の夕方の便で王都に向かおうかと思っています」
そんなに早いのか。
ということは、ノルドヴァルト騎士学院で過ごすのは今日が最後ということになる。
クラスメイトやアルカンフェルに別れを告げなければと思った。
「明後日か。意外に早いが……まあ早い方がむしろいいな。シュルト、頼みがあるんだが」
「お断りします」
ヴァルターのお願いを遮るように、シュルトがNOを突き返している。
何事だろうか。
というか、狼狽えているシュルトなど初めて見るので、普段見せないがヴァルターとの関係性がそこから窺えた。
「おいおい、まだ何も言ってないぞ」
「どうせ彼らの滞在先に私の屋敷を使わせろと言うのでしょう」
「「「「「えっ」」」」
俺たち4人の声が見事に重なった。
ティアですら「マジか」と言いたげな表情をしている。
「何ですかその反応は。何か不服でも」
メガネの奥の瞳がキラリと光る。
「いえ、そんなことは……ただ私も潔癖な方だと思いますけど、玄関で全部脱がされて消毒されるのはちょっと」
「アタシも泥一つ持ち込んだだけでキレられるのはちょっと」
「すみません、私も物音ひとつ立てられないのは……」
「私を何だと思ってるんですか」
ティアの言葉にシュルトが顔をしかめた。
めっちゃ神経質そうだもんな。
自分の生活区域に人が入るのを極端に嫌いそうなタイプだ。
「ははは、大丈夫だよ。それにシュルトの屋敷は王城から近くてね。そういうわけだから頼むよ」
「まったく……一晩だけですよ。使用人には伝えておきます」
まさか本当にシュルトの家に世話になるとは。
王様に会うより気を使うんですが。
「で、ではお世話になりますね」
「やれやれ……これから今回の不備も問われるというのに」
「そう言うな。責任は私にある」
シュルトは片手で頭を抱えてかぶりを振った。
この件では生徒に犠牲者も出ているし、ヴァルターたちも国から追求を受けるのかもしれない。
シュルトが簡単に折れたのも、俺たちに借りができたと思ったからなのだろうか。
「それでは失礼します」
ティアの言葉で俺たちは立ち上がり、部屋を出ようとすると、ヴァルターは最後に俺に声をかけてきた。
「フガク君。サリーが君のことを褒めていた。彼女も王都の出身だし、よかったらまた手合わせをしてやってくれ」
剣闘大会の決勝で刃を交えたサリー=カフカ。
美しい長い黒髪が特徴のクールな女生徒だった。
剣筋も基本に忠実で、決勝まで上がってきたのだから才能溢れる若手のホープといったところだろうか。
もっとも、またサリーに会うことがあるのかは分からないが。
「わかりました。君も綺麗な剣筋だったと伝えてください」
俺は頷き、ティア達に続いて部屋を出ていく。
俺たちは明日の夕方ロングフェローの王都へ出発することに決まった。
まさかのシュルトの屋敷にご招待だが、ロングフェロー王ジェラルドとの謁見もセットになってしまったようだ。
貴族との対立もあるという話だし、おかしなことに巻き込まれなければいいが。
まあ今心配しても仕方がない。
俺たちは明日に備え、荷造りとみんなへの挨拶を済ませるべく寮の方へ戻ることにした。
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