第129話 歪みの繭
俺はミユキが拳を振りかぶり、ヴァルターの心臓をぶち抜かんばかりに叩きつけたのを目撃した。
普段あんなにも穏やかなのに、戦闘は苛烈なのがミユキの特徴であり魅力でもあると思っている俺だが、その中でも今回は群を抜いている。
刃を素手で受け止め、抜けるものなら抜いてみろと言わんばかりに握りこんだあたりでちょっぴり引いた。
あまりにも痛そうだったからだ。
「ご苦労様です、フガクくん」
そして、戦いが終わっていつもの朗らかな笑顔を向けてくれるが、正直「正気か?」と思ってしまった。
満身創痍はお互い様だが、ミユキも珍しく血みどろで、手だけでなく耳元や喉元などから血がダラダラと垂れ流されている。
人を労っている場合ではないと、俺はハラハラしながらミユキに笑みを返した。
「大丈夫?」
俺の問いかけに、ミユキは穏やかな表情で頷いた。
「ええ、見た目より傷は浅いです。ティアちゃんのヒーリングで治してもらえると思います」
ミユキの戦いは一部始終しか見ていないが、俺の目には圧倒的な"我の張り合い"だったように映った。
ヴァルターの神業ともいえる剣技を、曰く”暴力”で打ち破ったミユキ。
彼女は、実はものすごく気が強いのではないかとさえ思えてくる。
その激闘の凄まじさたるや、彼女の今の姿を見て推して知るべしといったところだろうか。
先日の『神域の谷』における戦いと比べても遜色ないどころか、流した血の量では今回の方が多そうだ。
「フガクくんこそ、大丈夫でしたか?」
かく言う俺も立ってるのがやっととは言わないまでも、もう一戦やれと言われればまず無理だ。
『神罰の迅雷』によって全身を刻まれ、意識を失ったアルカンフェルの姿を、俺はちらりと見る。
血だまりの中でうつ伏せに倒れており、隆々とした肉体を石畳に投げ出していた。
「正直全身ヒリヒリするのと先生に蹴られたとこが痛すぎるかな」
「まあ、それは大変ですね。折れていないといいですが……」
心配そうに言ってくれるが、見た目の傷の派手さはミユキの方が上だ。
その様子から、剣帝の名は伊達ではなかったことが伺えた。
ちらりと、すぐ側で倒れるヴァルターに視線を移す。
ふと、彼の首筋から赤い光が輝いているのが見えた。
「あれなんだろう?」
「フガクくん?」
俺は倒れたヴァルターの傍まで歩いていき、膝をつく。
赤い円から延びた青白い糸――まるで、意識の奥底に巣くう呪いが外へと滲み出ているようだった。
途中で霧散しているそれは、明らかに禍々しい気配、すなわちミューズの匂いを放っていた。
「……切ってもいいかな」
「どうでしょう……何か悪影響が無いとも言い切れませんし……」
俺とミユキは顔を見合わせて思案する。
こういうときレオナはとりあえず切っちゃおうとか言いそうだが、それでヴァルターに何かあっても困る。
心臓が破裂してやしないかと心配だったが、一応息はあるようだし、止めになりかねない。
俺たちが迷っていると、後ろからいきなり丸太のような腕が伸びて来た。
ギョッとしてそちらを見ると、アルカンフェルが立っている。
「先生……」
「切って構わん」
そう言って、アルカンフェルはヴァルターの首から伸びた糸を右手の指で摘んでプチッと切った。
赤い円が徐々に薄くなり、瞬く間に消えて無くなる。
「すまなかった、敵の術中に堕ちたのは俺の弱さによるものだ」
そう言って、アルカンフェルは俺とミユキに頭を下げる。
俺としてはそんなことよりも、あれだけ斬り刻まれて普通に立っていることの方が驚きなわけだが。
何なら俺よりダメージが少なそうですらある
「だ、大丈夫です! それよりアルカンフェル先生は大丈夫なんですか?」
ミユキが慌ててとりなしている。
俺達4人とも全身ボロボロだが、幸か不幸か全員無事だ。
そのことに、俺だけでなくミユキも安堵しているようだった。
「ああ。問題ない」
問題ないんかい。
俺は自分の技の威力に若干不安を覚えた。
「お前に全身を斬られたからな。その際に俺の首にあったソレも切断されたらしい」
そう言って、アルカンフェルはよく見ればわかる程度の笑みを滲ませた。
最後に倒れたときは正気だったのかと思うと、やや罪悪感が胸を掠める。
「すみません、先生を滅多切りにしてしまって……」
別に嫌みではないが、俺の言葉にアルカンフェルはピクリと反応した。
こちらを見下ろす表情に俺はギクリとなった。
余計なことを言っただろうか。
「文句の無い出来だった、と言いたいところだが、ダメージコントロールが課題だな。俺より頑丈な奴が相手だったら、お前の方が先に倒れていたかもしれん」
もうそれは生物じゃないと思います、とは言えない。
俺は、自ら技をくらってさらに改善提案まで投げてくれるアルカンフェルに、尊敬を通り越して戦慄した。
「だがまあ……よくやった。あれを止められる者はそう多くはないだろう」
そう言って褒めてくれたアルカンフェルに、俺も自然と笑みがこぼれた。
諸刃の剣であることは間違いないが、俺は一つ強力な武器を手に入れられたようだ。
「君たち、まだ戦いは終わっていないぞ」
そう言いながら、ヴァルターが上体を起こした。
俺たちは慌てて武器を構えると、彼は手を前にかざして苦笑する。
「違う違う、正気に戻っているよ。ではなく、まだミューズとの戦いの途中だろう?」
「先生も正気に戻られたんですね。よかったです」
ミユキの言葉に、ヴァルターは立ち上がりながら頷く。
「最後の一撃は効いた。本気で死ぬかと思ったのは十数年ぶりだよ」
「す、すみません!」
「謝ることはない。君の強さは本物だ。君たちがこの学院にいてくれて、本当によかった」
ヴァルターはミユキだけでなく、俺のことも見ながら朗らかに笑った。
だが和んでいる場合ではない。
地上では、まだティアやレオナが戦っているのだ。
「繭の中にいた生徒たちはアギトが開放してくれたみたいだね」
激闘で忘れていたため今頃気づいたが、ミューズの繭は破壊され、中にいた生徒たちが15名程度床に寝かされている。
その中にはモルガナの姿もあった。
どのみちアギト一人では運び出せない。
地上にミューズが出た以上、戦いが終わるまでここに安置した方が安全だと判断したのだろう。
ただ、レオナやモルガナを入れても繭の数とは合わない。
繭の中身がどこに行ったのかは分からないが、亡くなっていたのかもしれない。
「……何人かは間に合わなかったか」
ヴァルターは沈痛な面持ちでそう言った。
仕方ないとは言えない。
生徒なのか教員なのかは分からないが、失踪した全員を救うことができなかったのは事実なのだから。
「皆さん。あれを見てください」
ミユキは天井を指差した。
俺達もつられて上を見る。
「なんだ……あれは」
俺は思わず驚きが口をついて出た。
そこには、地上に設置された繭の3倍ほどの大きさの繭が薄暗がりの天井の端に鎮座していた。
まるで、何かが孵化するのを待っているかのように。
薄暗がりのうえ最奥部なので気づかなかったが、明らかに他の繭とは違う。
「破壊しよう」
ヴァルターが言い終わるより早く、アルカンフェルが地を蹴り3mほど飛び上がって繭に拳を打ち付けた。
しかし、繭には傷一つつかない。
「……やはり他の繭とは違うな」
「どうにか壊す方法はないでしょうか」
「……中から何が出てくるかは分からないが、先に生徒たちを動かした方がいいかもしれないな」
俺たちが考えあぐねていると、ヴァルターがそう提案した。
「確か、ミューズのスキルの中に『孵化型分身体』というものがありました。もしかすると、ミューズがもう1体出てくるかも」
「スキル? お前はミューズのスキルが分かるのか?」
「はい。みんなを安全な場所に移動させたほうがいいと思います」
仮に中から敵が出てきた時のため、倒れた生徒たちを安全な場所へと非難させておいた方がよいだろう。
俺の提案に、3人は頷いてくれた。
「隣の部屋に動かそう。地上が安全かもわからないし」
「移動後はどうする? 地上への加勢は」
「手分けしませんか? お二人は地上を。私たちはここで、もう1体のミューズを迎え撃ちます」
ミユキが、アルカンフェルとヴァルターにそう告げる。
「……いいのかい? 場合によってはこちらの方が危険だぞ」
ヴァルターの問いに、俺もミユキも頷き応えた。
正直なところをいえば、地上に向かったティアたちの様子は気になる。
しかし、ミューズを相手にするなら俺達の方が勝手が分かっている。
「よし、ではそれでいこう。まずは生徒たちを移動させる」
ヴァルターの号令に俺たちは、倒れた生徒たちを動かす作業へと取り掛かることにした。
地上からは地鳴りのような音がわずかに聞こえてくる。
きっと激闘のさなかにあるが、それはまだティアたちが健在であることの証明のようにも思えた。
俺たちはそれぞれの場所で役割を果たすべく、地上で今も剣を振るっているはずの彼女らの無事を祈るのだった。
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