第128話 勇者は退かない
地下倉庫にて、ミユキはヴァルターを剣術ではなく”力”を持って吹き飛ばしたところだった。
「……素晴らしいぞ、クリシュマルド先生」
ヴァルターは額や口元から血を流しつつも、余裕の表情でゆらりと立った。
吹き飛ばされた方向に並んでいた繭がクッションとなったのか、思いのほかダメージは薄いようだ。
「お褒めに預かり光栄です」
ミユキにも焦りはない。
相手は三極将の一角、剣帝ヴァルター。
もともとこの程度で倒せるような相手ではないと分かっているからだ。
「あちらも盛り上がっているようだ」
ヴァルターの言葉には動じない。
フガクとアルカンフェルが激闘を繰り広げている様子は、視界の端に映っている。
だが、ミユキはフガクならどんなに傷ついても必ず乗り越えると信じていた。
だからそちらは見ない。
フガクはアルカンフェルとヴァルターがこの地下倉庫に現れたとき、真っ先に自ら立ち向かっていった。
もう彼は、誰に守られることもない。
自らの力の使いどころを理解した一人の戦士であり、自分と共にティアの剣となったのだ。
「何かおかしいかい?」
ヴァルターの問いかけで、ミユキは自分が笑みをこぼしていることに気付いた。
隣で彼が戦っている。
その事実だけで、こんなにも心強く、まるで負ける気がしないことがたまらなく嬉しかった。
「いいえ。私も頑張らないとと思っただけです……!」
ミユキは足に力を込めて一足飛びにヴァルターの眼前に飛び込む。
膝を相手の脇腹に叩きこもうとするが、当然それだけでは見切られる。
ヴァルターの刃は既にミユキの首元を捕らえていたが、ミユキは腕を振るい、その剣筋を乱した。
かに見えた。
「惜しい。斬るぞ」
ヴァルターの剣が、ミユキの首から耳を真っすぐに切り上げた。
ミユキは痛みと予想外の剣筋に一瞬顔をしかめたが、すぐに掌底でヴァルターの顎を撃ち抜く。
「グぅッ……!」
ヴァルターは咄嗟に首を後ろに逸らして直撃を免れた。
だが、ミユキの『怪力』スキルによる一撃は掠めるだけでも脅威だ。
一瞬瞳の焦点がブレ、ミユキはその隙を逃さない。
持っていた剣を怪力任せに薙ぐと、ヴァルターの脇腹から鎖骨にかけて躊躇なく切り裂いた。
しかし、ヴァルターが斬られたのはあくまで薄皮程度のものだ。
彼は両手で剣を握り、一切の乱れなき剣筋でミユキの喉元を真一文字に切り裂いた。
(さすがに……まずいです!)
ミユキも首を逸らして致命的な一撃はまぬがれた。
しかし、首を落とされる寸前だったと、咄嗟に後ろに跳ぶ。
「剣帝流<幽の型 虚崩受>だ。少し学んでいくといい」
ヴァルターの顔から余裕は消えない。
ゆらりと身体を少し揺らし、剣の切っ先もまるで掴みどころのない柳の木のように揺れている。
攻撃を仕掛ければ確実にカウンターが返ってくるだろう。
(剣捌きが尋常じゃないです……先に攻撃したはずの私より速い)
ミユキは首筋に滴る血に触れながら思った。
剣帝流とは、剣帝ヴァルターが完成させた剣術の流派だ。
約20種類の型を状況に応じて使い分け、繊細さと大胆さを併せ持つ。
アポロニアを始め、学院でも剣術の授業に取り入れられていた。
完全に会得するには途方もない鍛錬が必要だが、修得できれば一人でどんな相手とでも五分以上に戦えるだろう。
ーーそして相手は、その剣技を極めた男だ。
「来ないのならこちらから行くぞ」
ヴァルターは先ほどまでとは異なり、上段に剣を構えて一歩前に踏みだした。
(疾い……!)
次の瞬間には、もう刃が視界を塗りつぶす。
踏み込みの瞬間には振り下ろすと言う動作が終わっている。
歩幅ひとつ、肩の揺れひとつすら“斬撃の前兆”であった。
無駄を殺し尽くした剣帝の動きは、もはや芸術の域にある。
「破の型<烈禍>。かわせなければ死ぬぞ」
ヴァルターの声を聞きながら、ミユキはこれはかわせないと思った。
攻撃の起点から刃が相手に到達するまでの速度が速すぎる。
それでいて威力は損なわれず、剣で受けても下手をすれば砕け散るだろう。
「いいえ……! かわしません!」
ミユキは、剣術の勝負には乗らないと決めている。
勇者は前に活路を見出す者だ。
いつだって、一歩踏み出したときにこそ死を超える路があった。
ヴァルターは知るだろう。
ミユキという女の、勇者たる所以を。
「……なに?」
ヴァルターは驚嘆の声を漏らす。
ミユキは刃に向かってその手を――差し出した。
いや、違う。握り込んだのだ、斬られることを承知のうえで。
血が、骨が、肉が裂ける音がした。
耳鳴りのような鈍痛が脳に突き抜けたが、ミユキの足は一歩も退かない。
そして――剣は止まった。
「君は……何を」
手に刃が食い込み血が吹き出るが、それだけだ。
さしものヴァルターの表情にも困惑が浮かぶ。
刃を手のひらで受けようなどという発想は、正気の沙汰じゃない。
ましてや相手は剣帝ヴァルターだ。
指が飛び、その後剣を握れなくなるかもしれない。
普通なら当然の結末が脳裏を掠めるまでもなく、そんな行動に出ようとすら思わないだろう。
だが、ミユキの表情は変わらなかった。
「ヴァルター先生、あなたも学んでいってはいかがです――?」
「そういうことか……!」
刃は引いてこそ切れ味を活かせるものだ。
確かにある程度は手に食い込みこそするが、最悪骨で刃は止まる。
彼の刃を握り潰さんばかりに握り込んでいるのは、人外の膂力を持つ女。
ミユキに握られた剣は、一瞬たりとも動かなかった。
ヴァルターが剣を手から離すという動作に出るまで、刹那の空隙が生まれた。
そして。
ミユキはもう片方の手に持つ刃をヴァルターに向けて振り下ろし――
「ぬぅっ……!」
それを身を捩ってヴァルターがかわすことも知っていた。
ミユキは躊躇なく剣の柄を手放して、剣は明後日の方向へと飛んでいく。
「な……にを?」
もはやミユキの戦い方は、ヴァルターの数多の戦闘経験の中でも稀に見るほど常軌を逸しており、あらゆる定石も通用しない。
ミユキは目を見開くヴァルターを冷徹に見下ろしながら、既に拳を握り終えていた。
「もう一度言いますね――」
そして勇者の拳が、ただ純粋なまでの”力”が、ヴァルターという人間の心臓を穿った。
「が……ぁ……!!」
常人なら心臓が破裂して背中から飛び出てくるであろう威力。
ヴァルターもまた人外の領域に足を踏み入れた男だと信じている。
この程度では死ぬまい。
「――”暴力”でいきます」
一瞬にして与えられた死を告げる一撃に、否応なく意識を手放すヴァルター。
握っていた剣から手が離れ、彼はそのまま声もなく石畳へと沈んでいった。
ミユキは最後まで剣術での戦いには乗らなかった。
勇者としての力は、剣の腕で示すものではない。
苦境を打破する能力こそがその真価なのだと。
この瞬間、ミユキの力は大陸最強とも呼ばれる三極将に届き得ることが証明された。
その領域にいたるための扉を、文字通り力でこじ開けることで。
そしてミユキは握り込んだままのヴァルターの剣を放り投げた。
「ご苦労様です。フガクくん」
カランと音を立てて剣が落ちたのとほぼ同時に、アルカンフェルを倒して自分の傍を訪れたフガクに声をかけた。
ミユキはようやく彼の無事な姿が見られたと、自らの血みどろの身体を差し置いて、安堵の笑みを浮かべたのだった。
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