第127話 暗殺者の矜持
レオナは時計塔の中に飛び込み、最上階へと続く階段を駆け上る。
外からは、ティアがシュルトと繰り広げる剣戟の音が聞こえてきた。
ティアがシュルトに勝てるかは分からない。
だが、ティアなら何とかするだろうと思える程度には、彼女のことは理解できてきたつもりだ。
(――まったく、何でアタシなんだか)
消去法でそうなったとはいえ、レオナは正直まだティアたちから完全に信頼されているわけではないと思っていた。
だってそうだろう。
自分は、ギルドの仕事とはいえティアを白昼堂々暗殺しようとし、実際殺す一歩手前までいった生粋の暗殺者なのだから。
まともな神経をしているなら、いつまた命を狙われるか分かったものではないと思うだろう。
(ま、ティアがまともじゃないなんて会ったときから分かってるけど)
ティアは徹頭徹尾、鋼の理性で覆い隠してはいるが、その中身は憤怒と憎悪を原動力とするおよそ聖女らしからぬ女だ。
もっとも、だからこそ力と情報を求めて自分と利害関係が一致したのだが。
レオナは現状ティアに刃を向けるつもりはないが、この展開は予想外だった。
思えば地下水道のときといい、意外とティアは自分を警戒していない。
平気で二人きりになるし、同じテントで普通に横に寝る。
(こんなもん……重いんだけど。アタシはあんたを殺そうとしたんだよ。なんでそんなにフルベットできるんだよ)
レオナは時計塔突入前にティアから渡された、赤光石の袋が入った腰のバッグにそっと手を触れる。
ティアの復讐に繋がる手がかりの全てともいえるこれを、ミューズを引き付けるためという名目で全て寄越している。
レオナが裏切ることを微塵も疑っていない行動だった。
調子狂うなと思いつつ、レオナは間もなく見えてきた最上階。
そこにはもう扉も無ければ、操作盤も、外壁の時計すらもない。
壁を崩落させ、一体のミューズが学院に向かって糸を伸ばし続けていた。
(やってやるよ――アタシはプロの暗殺者だ。依頼された仕事は必ず果たす)
レオナは、迷いなき瞳でミューズを見据える。
敵もこちらに気が付き、威嚇するようにその蜘蛛足を広げた。
ティアから与えられた、ただ一つの報酬。
不思議とそれだけで身体は軽く、どんな脅威にも立ち向かえそうな気がした。
「シツコイ奴ラダ」
こちらに向かって糸を吐くミューズ。
それに触れれば繭にされるのか、あるいは自分も操られるのか。
昨日食らっているはずなのにまるで思い出せないが、もう食らうつもりはない。
「来いよ蜘蛛女!! アタシが全部ぶっちぎってやるよ!」
レオナは腰からナイフを三本取り出して投げつける。
これで倒せるとは思っていない。
まずは相手の出方を見る。
「……ソノ神ノ骸ヲワタセ」
不気味な機械音のような声で語り掛けるミューズ。
そして彼女は、糸を時計塔の内壁に向けて放出し、引っ張られるようにして加速する。
レオナが投げたナイフを弾き飛ばしながら、体当たりを繰り出した。
「うっ……!」
レオナは腹にミューズの巨体の質量を食らい、石壁に叩きつけられる。
そのまま吹き抜けの時計塔から落下しそうになるが、かろうじて手すりを掴んで耐えた。
「死ニ絶エルガイイ」
ミューズはさらに糸を内壁へと張り巡らせていく。
自分だけが縦横無尽に塔内を駆けまわれる足場を作っているつもりだろう。
しかも彼女のサイズは体長4mほどもあるので、この狭い時計塔では避けるのも至難の業だ。
「ちっ……!」
ロケットのように眼下から糸の収縮で突撃をしてくるミューズ。
かわしきれず、レオナは上空へと吹き飛ばされた。
慌てて手すりを掴もうと手を伸ばすが。
(……いや待て、これじゃジリ貧だ)
足場を求める行動は隙の塊で、相手に狙ってくださいと言っているようなものだ。
ならばと、レオナは時計塔内壁の備え付けられた申し訳程度の階段にすがりつくのを止める。
もともと身体は身軽な方で、この程度の高さの建物から飛び降りた経験も無くはない。
「ぶっ飛べ!!」
レオナは落下しながら上空にいるミューズに向けて2本のナイフを投げる。
その行動はミューズにとっても予想外だった。
糸でぶら下がりながらも、一本を薙ぎ払うが、もう一本は足に突き刺さった。
「オノレ……小賢シイッ!!」
ミューズの表情の無い顔に、怒りが宿ったように見えた。
レオナは壁に手をつき、反対側の壁に向かって跳ぶ。
勢いを殺しながら再び階段へと着地した。
狭い時計塔だからこそ使える戦術。
レオナはどうにかうまくいったと、一瞬ミューズから目を逸らしてしまった。
そのとき。
ドガァアアアアアンンン!!!!
ミューズが、自由落下の要領でレオナの元へと降ってきて吹き飛ばし、そのまま地面に叩きつけた。
「がはっ……!」
高さは3mも無い位置だったのと、1階に置いてあった物資がクッションになってくれてどうにか無事だが、レオナの小さな体を衝撃と痛みが駆け巡っていく。
「ああ痛ったいなもうっ……!」
ミューズは糸を使ってすぐさま上階へと昇っていく。
レオナも痛みを押し殺し、額から血を流しながら再び階段を駆け上った。
そして、ミューズは吹き抜けの夜空を仰ぐ塔の最上部で高らかに叫ぶ。
「我ガ眷属タチヨ。ソノ娘ヲ殺セ……!!」
声と同時に、窓や鍵がかかっていたはずの扉から、暴徒と化した生徒や教員たちが20名ばかり雪崩れこんできた。
「ああめんどくせえ!」
レオナは口でそう言いながらも、その青い瞳はただ真っすぐにミューズを見つめていた。
狙った獲物から、今度は目を離さない。
(安心しなよティア――アタシは暗殺者だ)
レオナもそう簡単にミューズが首を取らせてくれるなんて思っていない。
どんな状況でも必ずターゲットを仕留める。
そもそも自分に不利な状況の方が当たり前だ。
それをものともしないからこその暗殺者であり、暗殺者ギルド『トロイメライ』始まって以来の天才をやっているのだから。
レオナは階段を駆け上り、背後から武器を構えて襲い来る者たちには見向きもせずただ天へと駆け上っていく。
理由はただ、託された。それだけだ。
ミユキでも、フガクでもなく自分に。
その誇りと矜持だけを胸に、レオナはティアへの誓いを口にする。
「――信頼という報酬に、アタシは必ず報いてみせる!」
一切の迷いなき動きでナイフを星空に煌めかせると、ミューズの顔には焦りが浮かんだ。




