第123話 混沌の騎士学院②
「い、いや何あれ!? フガクは知ってたけどミユキちゃんもヤバすぎねぇっ!?」
ミユキがヴァルターを蹴り飛ばしたのを見たアギトの興奮を横目に、ティアは天井にたたずむ巨大な蜘蛛、すなわちミューズを仰ぎ見ていた。
対峙するミューズはじっとこちらを観察するばかりで動きが無かったが、フガクとミユキの戦闘を見て動いた。
「……ソノ赤キ骸……渡セ……」
言葉を話すミューズ。
地獄の底から響くような声、だが確かに人間の女性のものだ。
ティアはミューズの言葉に、問いを投げかける。
「赤キ骸って何……? 赤光石のこと……?」
「ティア……惑わされないで……!」
すると、それまで意識を失っていたレオナが目を覚ました。
すかさず、腰のバッグに入ったナイフを天井に向けて投げる。
しかし、蜘蛛の脚がそれを弾き返す。
「レオナ……! 大丈夫なの?」
「うん……ちょっと頭ボーッとするけど……まあいける。それより見て」
ティアが再びミューズを仰ぐと、彼女は口から糸を放ってきた。
「おっと!」
アギトも、腰にぶら下げていた剣を抜いて糸を切る。
その隙を狙ってか、ミューズは天井の端にある大きな蜘蛛の巣に駆けていく。
彼女が巣に触れると、巣の中心に波紋のような光が広がり、まるで湖面に沈むかのようにその身体が溶けていった。
そしてそのまま一瞬青白い光を放って姿を消してしまう。
「えっ、消えた?!……あーもう、マジ勘弁してくれよわけわかんねえ」
アギトの大仰なリアクションは無視しつつ、ティアは相手の能力がおおよそ読めてきていた。
「転移能力があるってことかな」
「十中八九。アタシも時計塔で蜘蛛の巣に触ったらここに来て、気づいたら今だ」
先ほどミューズが放った糸などに、相手を昏睡させたり、操ったりする力があるように見受けられた。
ヴァルターやアルカンフェルが、今フガク、ミユキと戦っているのもミューズに操られている可能性が高いだろう。
彼らが事件の首謀者というのは、さすがに考えにくい。
「レオナ、戦える?」
ティアは、やや疲労が顔に出ているレオナに向けて問いかける。
あの繭からはエネルギーや情報を吸収するなどさまざまな仮説が立てられるが、細かいことはいい。
今やるべきことは一つ。
あのミューズを倒せば、ヴァルターやアルカンフェルも元に戻る可能性があるのだ。
ティアの言葉に、レオナは歯を見せて獰猛に笑った。
「当たり前でしょ? アタシは狙った標的は必ず殺す、超天才アサシンだよ?」
ティアも笑みを返し、さらにアギトに向き直った。
「アギト、悪いけどこの繭を壊して。まだ助けられる人がいるかもしれない」
「あのバトルの横で作業かよ……」
アギトは、すぐ近くで悪夢じみた戦いを繰り広げるフガクたちを見ながらそう言った。
レオナやモルガナの衰弱した様子を見ると、繭に入れられても直ちに死ぬわけではないが、全員が生きているとも限らない。
だが、犠牲者は少しでも減らしておいた方が良いという判断だった。
「あなたしか頼れないの。お願い」
ティアは若干棒読み気味でそう言う。
女性の頼みを断れないタイプだということは知っていた。
しかも、その実力と器用さなら、この地獄の中でもきっちりと作業を行えるだろう。
「……あーもうわかったよ! これで共闘してくれた借りはチャラだぜティアちゃん」
アギトは頭をガシガシかき、やがてティアに向けてウインクを投げつけてくる。
これまではイラッとしてきたその仕草も、この状況下ではむしろ頼もしい。
「助かるよ。それじゃ行くよ、レオナ」
「おっけー」
ティアがレオナを伴って部屋を出ようとしたそのとき。
ズゥゥゥウウウンンッッ!!!
上階からだろうか、地震のような揺れと何かが壊れるような大きな音が響き渡った。
「な、なんだ!?」
「もしかしたら、ミューズが校内に出たんじゃない?」
レオナの言葉に、ティアが頷く。
「だろうね。彼女の行き先は多分」
「うん、間違いないね。こっちが出口なら」
「……なるほど、奴が戻った場所は入口。そりゃもちろん」
ミューズ/アルケニーのスキル『ウェブポータル』。
大量設置はできないが、蜘蛛の巣同士を行き来可能な転移能力だ。
レオナも、モルガナも、アルカンフェルやヴァルター達も、皆その能力を使ってここへ来た。
だから戻る先はひとつ。
「「「時計塔!」」」
怪異の始まりの場所へ。
それこそがあのミューズの巣であり決戦の場所だ。
ティアはフガクとミユキが学院最強戦力を押さえてくれることに微塵の疑いを持つこともなく、レオナと共に地下倉庫から駆け出していくのだった。
―――
ティアは地下倉庫から校舎の外に出て、先ほどの轟音が時計塔の尖塔部分が破壊された音だと気づいた。
遠くに見える時計塔は、先端部分が崩れ落ち、そこに巨大な蜘蛛が鎮座していたからだ。
辺りに青白い蜘蛛糸をまき散らし、何事かと外に出てきた生徒たちが繭に縛られていく光景が広がっていた。
「大変なことになってるね」
「相手も必死ってことじゃない?」
レオナの呟きにそう返すティア。
実際それは当たっていた。
ティアはこの時何となく予想していたが、ミューズ/アルケニーはこれまでのミューズとは異なり戦闘能力がそう高くない。
代わりに転移能力を持ち、『神経糸』を活用した眷属を使役できる。
自身は巣の奥深くに引っ込み、繭から吸収するエネルギーや情報を駆使し、糸で操った先兵たちに戦わせるまさに蟲の女王といった戦術を使用する。
「ああもうっ、一番厄介な展開じゃない!」
校舎を出て、ティアは奥歯を噛んだ。
そこでは、生徒や一部の教員同士が武器を持って斬り合いをしていた。
悲鳴がこだまする中、生徒たちは蜘蛛糸に絡め取られ、倒れ伏していく。
逃げようとした女子生徒が、背後から突如襲いかかってきた同級生に押し倒され、頭を抱えて蹲っている。
模擬戦用の剣があちらこちらで振るわれ、床には転倒した者が呻き声を上げていた。
「どうしてこんなことに……!」
誰かが叫ぶ声がする。
恐怖で泣き叫ぶ声も、怒号も、戦う意志も、すべてが入り混じり、誰が敵で誰が正気なのかすら分からない。
まるで学園全体が、見えない糸で操られた操り人形の群れに変貌してしまったようだった。
多くは模擬刀を持っているが、真剣を振り回している者もいる。
中には、親友同士が泣きながら斬り合っている光景すらあった。
「なんだこの地獄」
「ミューズがもともと増やしていた眷属を使って、私たちを時計塔に近づけないつもりかもね」
操られていると思しき生徒や教員は30名くらいだろうか。想像以上にミューズは学院の支配を進めていたらしい。
「どおりで手がかりが見つからないわけだね」
レオナはため息をつく。
この人混みを抜けて時計塔に向かうのは骨が折れるだろう。
ティアがそう思っていると、早速生徒が剣を振りかぶってティアに襲い掛かってきた。
「時計塔には行かせないぞ……!!」
敵対する生徒は2名。
うち一人はクラスメイトのジェフリーだ。
その目は血走っており、アルカンフェルやヴァルターよりもかなり”雑”な印象だった。
「ティア、殺るのは」
「さすがにダメ」
「あいよ……!」
ティアの言葉と同時に、レオナは襲ってきたジェフリーの股間を思いきり蹴り上げた。
「うぐっ……!」
思わず蹲るジェフリーの顎に、レオナの蹴りがさく裂する
そのままジェフリーは動かなくなった。
「フガクが居たらひどいってツッコミが入りそうだね」
ティアはもう一人の男子生徒からの斬撃をかわし、背後に回りこんで剣の鞘を頸椎に叩きつけた。
そのまま生徒は失神する。
「こんな美少女に大事なとこ蹴ってもらえるなんてご褒美でしょ?」
そううそぶくレオナに、ティアが「まあ殺すよりは全然いいか」と肩をすくめた。
校舎の傍を駆けながら、時計塔に向かう。
そして二人の前に、さらに見知った顔が立ちはだかる。
「よう二人とも。お前らを殺さなくちゃいけないなんて残念だ」
焦点の合わない目をしたバロックが、右手に四角い物体を持って立っていた。
そしてそれをおもむろにティアたちに向かって投げつけてくる。
「ちょっ……ティア爆弾ッッ!!!」
「ええもうっ……! こんなとこでやめてよ!」
ドガァアァァァアアアアアアンンッッ!!!!
ティアとレオナは咄嗟に横に飛び、その一瞬後に爆発が巻き起こる。
巻き上げられた砂塵などがバチバチと辺り、熱風が頬を掠めていくが、さすがに至近距離で使用するものだけあって威力は大したことないようだ。
ティアはすぐさまレオナと自分にホーリーフィールドを展開する
「そういやフガクが言ってたっけ。『爆弾作成』」
フガクがバロックのスキルに『爆弾作成』があると知って、光導列車内でひっくり返りそうな勢いで驚いていたのが思い出される。
「面倒過ぎる」
ティアとレオナは、腰回りに大量の手投げ弾を持ち、片手でナイフを構えるバロックの厄介さを嘆く。
アギトと比べると目立たない彼だが、意外にもその佇まいには隙が見当たらない。
距離を取れば爆弾が、肉薄すれば近接戦にも対応してくるのだろう。
「ま、白兵ならアタシのエリアだけどね!」
そう言ってレオナは壁を蹴って宙を舞う。
身軽な体が放物線を描き、バロックの背後へと着地、すぐさま足払いをしかけてバランスを崩させた。
「やっぱアギトより早いな!」
バロックはすぐに受け身を取りつつ、手投げ弾をレオナに投げつけた。
自分が被弾することすら厭わないその行動に、レオナもギョッとなって背後に身体を投げ込む。
校舎の窓を爆風が割りながら、レオナの身体が黒く煤にまみれた。
「レオちゃん大丈夫!?」
すると、校舎の中からカーラの声がした。
そちらを見ると、クラリスと二人襲い掛かってくる生徒相手に奮闘しているようだ。
「ねえどうなってるのこれ! 急に様子のおかしい生徒が出てきて、時計塔の上には化け物も出て来たし!」
クラリスが生徒の一人に水の魔法を撃って吹き飛ばしたところに、バロックが手投げ弾を投げ込んだ。
「カーラ! クラリス! 避けて!!」
ティアは思わず叫ぶ。
「えっ」
バロックは無差別に生徒を狙っているのか、それともレオナの行動を先読みしたのか。
ティアは校舎の中に割れた窓から飛び込んで二人をかばうように抱き着き倒れこんだ。
瞬間、爆裂する手投げ弾がティア達の身体を弾き飛ばす。
「ティアさん……! なんで!」
ティアの下敷きになったクラリスが、驚いたように叫んだ。
「直撃したら死ぬからだよ……!」
「ティアちゃんは平気なの!?」
「私は大丈夫!」
ティアはホーリーフィールドのおかげで軽傷で済んだが、このままではいつまでも時計塔に辿り着かない。
それにバロックは思った以上に手練れで、爆弾を使った戦闘に慣れている。
このまま彼を引き受け、レオナだけを時計塔に向かわせた方がいいかもしれないと思った。
「ティア! 生きてる!?」
レオナがバロックにナイフで切りかかり、バロックも応戦する。
ナイフ同士がぶつかり合う高い金属音を耳にしながら、
「ったり前でしょ!」
ティアは身体を起こして剣を抜く。
これは殺さないとか言っている場合ではないかもしれない、そう思ったときだった。
「うぉりゃああああ!!!!」
校舎内を駆け抜けて、壊れた壁からバロックに向けて飛び蹴りを繰り出す金髪の男。
アギトが、勢いよく飛び出てきた。
「なっ……!」
バロックも突然の相棒の出現にさすがに驚いた顔をしている。
さらに飛び蹴りを食らって吹き飛び、そのままアギトに関節を極められている。
「ティアちゃん! 繭の解体は終わった! 二人は時計塔に行くんだろ! バロックは俺に任せとけ!」
バロックを制圧しているアギトは、ところどころ埃と泥まみれだった。
それだけで、地下でどんな壮絶な戦いが行われているかが見えてくる。
「ごめんよろしく!」
思わぬ助け舟に、ティアはすぐさま地を蹴り駆け出した。
「サンキューアギト!」
さらにレオナもほぼ同時にその場を後にする。
「おうよ! テメェバロック! 女の子に爆弾投げつけてんじゃねえぞクソ野郎がっ!!」
「離せアギト……! このっ……!」
アギトとバロックのやり合う声を聴きながら、ティアはひたすらに学院内を走り抜けていくのだった。
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