第121話 ミューズ/アルケニー
夜22時過ぎ。
外出禁止時刻を過ぎたので、約束通り俺は集合場所へと向かった。
場所は校舎1階保健室。
時計塔の最上部で腕を落としたというアストラルが、普段いる場所とのことだ。
「おいフガク、こんなとこで待ち合わせかよ」
今回はアギトも一緒に着いてきている。
バロックの様子がおかしくなった件を聞いたのと、彼の素性がレッドフォートの諜報員だと言うことも知ったので、もはやこそこそ抜け出す必要は無くなったためだ。
ティアからも警戒は必要だと言われているが、昼間の調査には同行したとのことで、連れてきてもいいと許可は得ている。
「しっ、僕もよく分からないから」
俺は幸いまだ保健室のお世話になっていないが、保健室と呼ぶにはあまりにタバコ臭い部屋だと思った。
おまけに、マニキュアのシンナーっぽい匂いと、保健室特有の消毒薬の匂いが入り混じる混沌とした空間になっている。
俺が部屋の中に入ると、そこでは既にティアとミユキがいた。
今日はミユキが校舎内の見回り担当とのことで、校内には他の教員がいないため容易にたどり着くことができた。
「ごめん、待たせた?」
「わりーな、俺まで」
「大丈夫ですよ、私たちもつい今しがた来たところです」
見回り担当はミユキなので他には誰も来ないはずだが、万が一のこともある。
俺たちは部屋の中心に集まり、ひそひそと小声で話をする。
「バロックの様子は?」
ティアの質問に、アギトが頭をかきながら答えた。
「そこまで大きくは変わらねーけど、なんか覇気が無いっつーか、とりあえず部屋にはいた」
「一応ジェフリーも見てきたけど、特に変わった様子は無かったよ」
むしろ明らかに不自然な様子があれば、もっと校内で噂になっていてもおかしくない。
ただ、失踪していなくなる生徒と、様子がおかしくなって戻ってくる生徒がいるのは何故なのかは気になった。
「ティアちゃんには言ったんですが、職員会議にはヴァルター先生、アルカンフェル先生、シュルト先生の3名はいらっしゃいませんでした」
ミユキの言葉に、俺は驚いた。
職員会議までに戻ってこられなかった理由もそうだが、思っているよりも敵は強大という可能性がでてきたためだ。
シュルトはよく知らないが、ヴァルターとアルカンフェルを失踪させるような相手はかなり脅威だろう。
「ここに来て状況が変わったのか……もしくは、何かを焦ってる?」
ティアの言葉に、俺はこれまでのミューズのことを思い出した。
いずれも、俺たちが近づくと向こうからも近づいてきたからだ。
神域の谷でドミニアと戦ったときは、眷属の狼たちが赤光石を狙っていたし、その所為だと考えるのが自然だろう。
「んでティアちゃん、どうすんの? レオナちゃんを探すんだろ?」
「そういえば、対策をしていると仰ってましたね。一体どんな?」
「ん? それ」
ティアはアギトを指さす、
すると、アギトの制服の胸ポケットから、青白いハムスターくらいのサイズのネズミが顔を出した。
ピョコッと急に顔を出したので、アギトが驚いて飛び上がった。
「うぉっ! そ、そういや昼間俺とレオナちゃんにこいつを渡してたな。何なのこいつ?」
「そうか! 精霊召喚!」
俺の声に、ティアが微笑を浮かべたまま頷いた。
ティアの聖女の権能の一つだ。
過去にはヴァンディミオン大帝に書状を届けたり、レオナからの襲撃時には俺たちを案内したりと大活躍をしていた。
ティアにとってはヒーリング、ホーリーフィールドと並ぶ三種の神器のひとつともいえる能力だ。
「ハトさん以外にも出せるんですね」
アギトのポケットから飛び出したネズミは、一直線にミユキの胸の上に飛び乗っていった。
そこ乗れるんだ。
ふと横を見ると、アギトは唇を噛んで羨んでいる。
気持ちはわかる。
実に羨ましい限りで、このネズミ多分雄だろうなと俺は思った。
「まあね。あんまり使い道ないけど」
ティアの言葉に、どことなくネズミがショックを受けたような顔をした気がした。
「なるほど、レオナの居場所もそれで分かるということですね」
胸の上からねずみを手のひらに乗せたミユキが頭を指先でカリカリ撫でながら言った。
「そういうこと。さ、行くよ」
「つーか何で保険室集合だったん?」
「別になんとなく。アストラルがいないなら使いやすいかなって」
言葉をかわしつつ俺たちは部屋を出る。
ミユキの手のひらに乗っていたネズミがぴょんっと床に飛び降りて走っていく。
俺たちも後を追っていくと、どんどん校舎の端の方に案内されていった。
「……こっちに何かあったかな」
「確か、地下の教材倉庫があったと思います」
何度か廊下を曲がると、確かに地下に降りる階段が出て来た。
夜なので見通しが悪く不気味だが、封鎖されているわけでもなく普通に降りていける。
一段一段ゆっくりと階段を降りると、確かに広いフロアに整然と棚が並んでおり、防具や授業で使う大きな定規、果ては人体模型までさまざまなモノが置いてある。
さすがに照明を点けるわけにはいかないので、俺たちは各自懐中電灯を取り出して奥へと進んでいった。
「ミユキさんは来たことある?」
「こちらに入職したときに一度来ましたが、普通の倉庫だったように思うのですが……」
言いつつ、チョロチョロと倉庫の中を駆けていくネズミ。
仄かに青白く光っているので分かりやすいが、夜中に突然見つけたらびっくりするだろうなと思った。
「え……ここ?」
俺は思わず呟く。
そこは、地下倉庫の一番奥、木製の棚が置かれた壁だったからだ。
「何も無いね」
「ん? なあこの棚動かした跡があるぞ」
アギトが棚の前の床を照らすと、確かに埃の上に一部引きずった跡が見られた。
それに、この棚にだけ特に何も乗せられていないのも不自然だ。
「動かしてみましょう」
ミユキと俺は、棚を横にずらす。
案の定軽く、簡単に動かすことができた。
そして、そこには扉が現れる。
「おいおい……まじかよ」
アギトは口元を引きつらせながら笑っていた。
地下倉庫に隠された扉。
俺たちは、ついに時計塔からレオナや他の生徒たちが消えた元凶の前にいるのかもしれない。
「……行きましょう」
「僕が開けるよ」
ミユキはこの倉庫の暗がりもやや怖そうだったので、俺とアギトが前に立った。
そして、両開きのその扉を静かに開く。
扉は思いのほか軽く、普段から使われているのか、スムーズに開かれた。
そこには、広い空間が広がっている。
床は石畳で、これまでいたフロアはリフォームでもされているのか、こちらは古めかしい部屋だった。
「なんだあれ……」
部屋の外からライトで中を照らすと、中には青白い2m弱ほどの繭のようなものが転がっている。
ティアの精霊のネズミは、特に怖気づくこともなく中に入り、一つの繭の前で止まった。
「……レオナがそこにいるのか?」
俺は努めて平静を装いながら、ネズミに対して話しかける。
奴はコテンと首を傾げるばかりだったが、そこから動くことはなかった。
「行きましょう。ただ気を付けて……とても嫌な感じがする」
「だよな、俺もここ入るのめっちゃ嫌」
ティアの言葉を背に、俺とアギトは恐る恐る一歩を踏み出し、部屋の中へと足を踏み入れた。
時計塔のときから感じていた誰かがこちらを見ているような気配。
それとは比較にならないほど、嫌なプレッシャーで全身が押しつぶされそうだった。
生臭い匂いが充満し、吸い込むだけで肺を痛めそうだ。
「ティアちゃん……この繭のようなものは」
「人が入っているのかもね……」
俺たちは、ネズミが指し示した繭の前で止まる。
ミユキとアギトは周囲を警戒し、俺は腰に下げていた銀鈴を抜いてゆっくりと繭に切っ先を突き立てた。
「表面だけ裂いてね」
「大丈夫、わかってる」
ゆっくりと、”中身”に傷をつけないように上下に割くと、そこからドサリと人影が転がり落ちた。
「レオナ……!」
青いリボンをした、赤い髪のツインテール。
間違いなくレオナだ。
繭のせいなのだろうか、服が少し溶けて脇腹や太ももなどが露わになっている。
肌には薄く火傷のような痕が残っており、苦悶の表情のまま気を失っていた。
ティアが頬に触れたり、胸元に耳を当てたりして脈拍を確認している。
「大丈夫そう。気を失ってるだけみたいだね」
「ティアちゃん、あれ……」
ミユキがティアの袖を摘まみ、部屋の中央部を指さす。
そこには、レオナと同じようにところどころ破れた制服を着た女生徒が転がっている。
「あれ、モルガナちゃんじゃね?」
アギトはそちらに駆け寄り、顔をライトで照らす。
確かにそこには、あのモルガナ=エバンスがいた。
傍らには同じように切り裂かれた繭があることから、誰かがモルガナを繭の中から出したのだろう。
「どうしてでしょう……アストラル先生が王都の病院に預けたと言っていたのに」
ミユキも信じられないと言いたげに、口元を手で押さえている。
「ティア、繭を壊そう!」
「ええ……そうね」
ティアはレオナにヒーリングをかけているが、目覚める様子はない。
というより、外傷はほぼ無いのでヒーリングの効果は薄そうだ。
「よし、ミユキさん、アギト手分けして……」
「きゃぁっ……!!」
俺が声をかけようとした瞬間、ミユキが俺の腕に飛びついてきた。
ミユキにしては珍しい声を上げており、この暗がりがよっぽど怖いのだと思ったが、様子がおかしい。
柔らかな感触を味わう暇もなく、俺はミユキの顔を覗き込む。
彼女の顔面は蒼白になって上を見ていた。
「ど、どうしたのミユキさん?」
「何があった!」
アギトも慌てて駆け寄ってくる。
ミユキは、震える手で天井を指さした。
「……ッ!!!?」
俺は心臓が飛び出るかと思った。
ミユキの指先を追うようにライトで照らした先。
青白い怪物が逆さの状態でこちらを”見ていた”。
”ソレ”は、まさしく”蜘蛛”のミューズだった。
体長は人間よりはるかに大きく、恐らく4mを超えている。
生気を感じさせない陶器のような肌。
腰からは3対の蜘蛛の脚と1対の人の足が生え、上半身は人間の女性のフォルムだ。
背中にはこれまで同様天使を模した翼を持ち、頭髪から指先までただただ青白い。
長い髪を生やしたその頭部には瞳がなく、口元は蜘蛛のような口器となっている。
「ミューズだ……!」
俺は思わず叫んだ。
俺たちは武器を構えたが、天井付近でじっとしているので届かない。
さらに、奴は俺たちを攻撃してくる素振りがなかった。
ただ、ジッと目の無い顔をこちらに向けて観察しているような、不気味な静けさを放っていた。
俺は咄嗟にスキル『魔王の瞳』を発動する。
―――――――――――――――――
▼NAME▼
ミューズ/アルケニー
▼SKILL▼
・コロニーリンク SS
・神経糸 A
・ウェブポータル A
・シルクシェル A
・孵化型分身体 B+
・ホーリーフィールド D
―――――――――――――――――
間違いなくミューズだった。
俺は無言でティアに向けて頷く。
「あれが最近ギルドで話題のミューズってやつか」
ミューズの名称は既にギルド通じて各地へ伝わっている。
アギトもその名前を知っているようだった。
「とにかくレオナとモルガナを連れて一旦部屋を出るよ!」
ティアがそう言ったとき。
俺たちが入ってきた扉から二つの人影が入ってきた。
「そうはさせないよ」
「残念だが、お前たちはここで死ぬ」
「……アルカンフェル先生、ヴァルター先生……?」
俺たちの前に立ちはだかったのは、行方不明となっていたはずのヴァルターとアルカンフェルだった。
「お二人とも! 今までどこに……!」
ミユキも立ち上がり、二人に呼びかける。
しかし、二人の様子はこれまでと違う。
声が聞こえているのかいないのか、やや焦点の定まらない瞳で構えを取った。
明らかに、こちらに向けて戦闘体勢をとっている。
「……! 先生、戦うっていうのかよ!?」
アギトの言葉にも、反応を示さなかった。
「アギト、モルガナを頼む」
俺は、アギトの肩を掴み、二人の前に躍り出た。
「フガク……お前」
そこに、ミユキも着いてくる。
「ティアちゃん……私とフガクくんで、あのお二人の相手をしながらミューズを倒すことは困難です」
俺はアルカンフェルと、ミユキはヴァルターと。
この学院において決して敵対してはいけない二人と、俺たちは対峙することになってしまった。
ミユキはヴァルターから視線を外さず、ティアに言葉を投げかける。
「わかってる。アギト、あなたと私で、ミューズを倒すしかない」
「まじか……まあしゃあねえな……」
そして二人も覚悟を決めたようだ。
そのとき……
「赤イ……骸……渡セ……」
俺たちは息を呑んだ。
その声は中空から、ミューズから、放たれた人の言葉だったからだ。
「ミューズが……人の言葉を……?」
ティアですら驚愕している。
これまで、俺たちを模倣していたスライムを除き、ミューズが喋ったことは無い。
だがこいつはどうだ。
たどたどしい喋り方ではあるが、確実に人の言語を扱っていた。
俺たちが一瞬そちらに気を取られた瞬間、ヴァルターとアルカンフェルがこちらに駆けてくる。
俺たちはレオナとモルガナを守りながら、悪夢のような戦いをこなさなければいけなくなったようだ。
だが、俺はこの地獄のような状況の中でも、己の力を試す好機と捉えている自分がいることに気付くのだった。
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