第119話 暗闇の使徒①
剣闘大会でフガクが優勝し、訓練場内にひしめく熱狂の中。
ミユキは少し離れた場所にいるヴァルターの元へ、シュルトが訪れるのを目撃した。
特に慌てた様子なども無いが、話を聞いたヴァルターがアルカンフェルを呼んでいるのが見える。
(……時計塔で何かあったのでしょうか……)
ミユキは、ティアとレオナが時計塔へ向かったことで、何かしらのトラブルが起きたのではないかと思った。
クラスメイトのユリウスなどから労いを受けているフガクを横目に、ヴァルター達の元へ近づいていく。
「何かありましたか?」
ミユキの問いかけに、シュルトは眼鏡に触れながらギロリと視線を返す。
「貴女には関係ありませんよ。ああいえ、関係なくは無いですね。貴女のお仲間のティア=アルヘイムが時計塔に侵入していたのですから」
ミユキは表情を崩さないようにしつつも、ティアの名前が出たことに内心驚いた。
もしかすると、シュルトはティアを張っていたのかもしれない。
「処分は追って言い渡されるでしょう。しかし、今はそれどころではありません。ヴァルター先生、行きましょう」
「分かった。クリシュマルド先生、すまないが緊急事態のようだ。君はここで他の教員たちと共に生徒の誘導をお願いしたい。今夜は寮から出ないように」
そう言われてしまうと、ここから動きづらくなる。
ミユキはシュルトにやられたのかもしれないと思いながら、頷くほかない。
そんなミユキの心配げな様子を見てか、アルカンフェルが口を開いた。
「何かあれば共有する。あんたは生徒におかしな動きが無いか見ていてくれ」
「はい……わかりました」
「アルカンフェル先生、貴方も行く必要はありませんが?」
シュルトはアルカンフェルのことも良く思っていないのか、そんな嫌みを口にしている。
全方位に喧嘩を売っているなとミユキが呆れていると、さすがにヴァルターがたしなめた。
「シュルト、いい加減にしろ。今はそんなことを言っている場合ではないと、君も分かるだろう」
「……ええ、分かっていますとも」
珍しく苛立ちを見せたヴァルターに、シュルトも大人しく引き下がる。
「よし、それじゃ行こうか。ああそうだクリシュマルド先生。また私からも直接言うが、フガク君に素晴らしい試合だったと伝えてくれるかい」
「はい、もちろんです」
言われるまでもなく、ミユキは早くフガクの元に駆け寄りたい気持ちでいっぱいだった。
だが、今はティアたちの身に何かあったのではないかと気が気でない。
ヴァルターは穏やかに笑みを残し、二人を連れて訓練場を後にした。
「ミユキさん、何かあった?」
ヴァルター達が去っていくのを見ていたのか、フガクがミユキに声をかけてくる。
戦い方に制限をかけられていたため、ところどころ相手の攻撃が直撃した傷が生々しい。
「フガクくん、優勝おめでとうございます!」
まずはとにかく、賞賛の言葉を伝えたいと思った。
アルカンフェルから与えられていた課題のことも知っていたので、それをきちんとクリアして優勝を勝ち取ったフガクを素直に誇らしいと思ったのだ。
彼の試合は、瞬きひとつの間に決着がついた。
サリー=カフカに一歩もその場を動かさせることなく、フガクは相手を翻弄し、圧倒的な力を誇示するように勝負を終わらせたことを思い出す。
歓声は、ほんの数秒の静寂を切り裂くように響いた。
まるで、雷が落ちた後に空気が追いつくように――
その場にいた誰もが、何が起きたのかを正確には理解できなかった。
だが、勝者が誰かだけは、全員が知っていた。
サリーとも最後には握手を交わし、フガクは剣闘大会の優勝者として学院から認められたのだ。
「何とか形になってよかったよ」
照れ臭そうに笑うフガクの顔を見て、ミユキも自然と顔が綻んだ。
彼の穏やかな笑顔を見ていると、不安な気持ちがどこかへ消えてしまうような気さえした。
しかし、喜んでばかりもいられない。
ティアとレオナに問題が発生したことを、一刻も早く彼に相談したかった。
「それでなのですが、フガクくん。どうやらティアちゃんの時計塔潜入がシュルト先生にバレてしまったようで……」
「ええっ! まずいね、ティアなら何とかするとは思うけど……」
驚きの声をあげるフガクに、ミユキは頷く。
言葉の端々に覗くティアへの信頼は、素直に羨ましいと思った。
と、その時聞き覚えのある声がかかった。
「それは光栄ね。でも残念だけど追い出されちゃった」
振り返ると、そこにはティアが立っていた。
いつもの冷静な仮面の微笑の奥に、微かに張りつめた気配を漂わせながら。
「うわっ……!」
「ティアちゃん……!? だ、大丈夫なんですか?」
何が起こったのか知りたいと思っていると、タイミング良くティアが皮肉交じりに現れた。
やや疲れた顔をしているが、いつものように冷静な表情は崩れていない。
「部屋で謹慎を言い渡されたよ。まあ無視するけど」
一切悪びれる様子もなくティアが言った。
ミユキは、先ほどシュルトが罰則がどうとか言っていたのを思い出す。
しかし、そもそも生徒に対する罰則など、ギルドの仕事で潜入している自分たちにはあまり意味が無い。
せいぜい、退学にさせられるとクエストに支障が出て困る程度だ。
「ティア、レオナは?」
フガクの言葉に、ティアの表情がわずかに曇った。
ミユキは、先ほどシュルトがレオナの名前を挙げなかったことも気になっていた。
事態は思っていたより深刻なのかもしれない。
「時計塔の最上階で突然消えた。それを二人に報告しようと思って」
「消えたって……どこに?」
「分からない。それから、アストラルっていう教員の腕らしきものも床に落ちてたよ」
さすがのミユキでも、これまでの人生で戦場以外で人の腕が落ちているのを見かけた経験はない。
なので、ティアの言葉がイマイチ頭に入ってこない。
思わず呆けた顔をしてしまったが、彼女の表情には冗談の色は微塵も無かった。
「……アストラル先生がどうして……」
昨日言い合いになってしまったので、今日謝ろうと思っていたが朝から見かけないことを不思議には思っていた。
こうした学院のイベントには保険教諭として控えているはずだったからだ。
フガクも隣で頭に疑問符を浮かべている様子。
「アストラルの件はともかく、レオナは一応対策は打ってあるから」
「対策とは何ですか?」
ミユキの問いに、ティアは少しだけ周囲を警戒する素振りを見せた。
誰が耳をそばだてているか分からないためだろう。
「とりあえず今は私もウロウロしづらいから、夜まで待ってもいい?」
ティアの言葉に、ミユキもフガクも頷いた。
一刻を争う事態ではあるが、目立つ行動をしてシュルトに邪魔をされることを警戒しているのだろう。
「分かった。レオナが心配だし、外出禁止時間を過ぎたら集まろう」
ミユキは、本当なら夜はフガクの優勝をみんなでお祝いしようと思っていた。
しかし、レオナがいないとなれば話は別だ。
彼女を助け出し、全員揃ってお祝いをしたいと思った。
フガクの提案に首肯し、ひとまずその場は解散して夜に備えることになった。
寮へと戻っていくティアの足取りはやや重く、ミユキはそれを見送りながら思う。
――どうか、レオナが無事でありますように。
そう願うことしかできない自分が、今は少しだけ悔しかった。
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