第116話 剣闘大会②
アギトは訓練場の入り口からこっそりと剣闘大会の様子を伺っていた。
大半の生徒と教員はこの中にいる。
特にヴァルターやアルカンフェルといった敵に回すと厄介な人物が中にいるので、学内の調査を行うなら今がチャンスだ。
(バロックの野郎も戻ってこなかったし……一体何が起こってやがんだ?)
アギトは踵を返し、時計塔の鍵が置いてあるであろう職員室に向かう。
多少教員が残っているかもしれないが、鍵がまとめて保管されている場所は分かっているし、くすねる方法はいくらでもある。
訓練場から渡り廊下を通り、校舎の中へと入る。
窓の外には多少生徒が見えるが問題ない。
そう思ったときだった。
アギトの視界の端に、見覚えのある男が通った。
天然パーマの茶色い髪、端正な顔立ちと背の高いシュッとした出で立ちで、自分より若干モテそうな腹立たしいあの風体は間違いない。
バロックだ。
「おいバロック!!」
慌てて廊下の窓を開けて声をかける。
歩いているのは確かにバロックだった。
だがどこか目は虚ろで、焦点が合っていないように見える。
アギトは窓から飛び出てバロックの肩を掴んだ。
それでようやくバロックがアギトを認識する
「ああ、アギトか……」
「アギトか、じゃねえよこの野郎! 今まで何してやがったんだ!」
明らかに様子がおかしい。
彼は確かに自分の見知ったバロックだ。
だが、何だこの違和感は。
中身だけ壊れてしまったかのように、明後日の方向を見ている。
「アギト、もう授業始まるぞ。行こうぜ」
返ってきたのは、まるで教科書をなぞるような、抑揚のない声だった。
「……あァ? お前何言って……時計塔は!? 昨日お前に何があった!?」
「何って……昨日は何も無かっただろ?」
そう言ってバロックは、校舎の入り口に向かい歩き去って行った。
「バロック……お前……何だよそれ」
握った拳から血がにじむのも気づかず、アギトはただ唇を噛んだ。
バロックはいつも冷静な自分の相棒だ。
二人一組で何度も危険な任務をこなしてきた。
なのに、その覇気がまるで感じられなくなっている。
それどころか、記憶すら曖昧だ。
アギトは昨夜あの時計台でバロックが消えたあと、彼の身に何かが起こったのだという確信に至った。
―――
ティアはレオナと二人で校舎に戻り、時計塔の鍵をくすねるため職員室に向かっていた。
昨日のフガクたちの調査結果を受け、剣闘大会が行われている日中に時計塔内部をくまなく調査するためである。
レオナはピッキングも可能だが、場合によっては壊さなくてはならない。
いつまで調査が続くか分からない以上、鍵を使えるなら使った方がいいという判断だ。
「ミユキ残してきたけど大丈夫かな」
ミユキは訓練場の抑えとして残ってもらうことにした。
ヴァルターやアルカンフェル、シュルトなどの出くわして面倒そうな教師を足止めしてもらう役割だ。
同じ教員同士ならば生徒の自分たちよりは足止めしやすい。
というのは建前。
「まあ、せっかくフガクも頑張ってるし、応援無しじゃさすがに可哀想だしね」
この理由が大きかった。
昨夜フガクとミユキがまさか一夜を共にしたと聞き、ティアは結構驚いた。
このままくっつくのに30年くらいかかるんじゃないかと思っていた二人が、一足飛びに大人の階段を上ったと思ったからだ。
「いいのティア?」
レオナがいつになく真面目な様子でそう問いかけてくる。
「何が?」
「いや、フガクとミユキがこのまま……」
「余計な気遣いありがとう」
良いも悪いも、別にフガクのことをそんな風に思っているわけじゃない。
もちろん仲間として信頼を置いているし、頼りにもしている。
だが、レオナの言うような気持ちは正直実感はなかった。
ということにしておく。
フガクとミユキの距離が近づくのは、自分がほんの少しだけ取り残されたような気がするのは事実だ。
「あのフガクのアウェーっぷりはアタシの所為でもあるしなー」
フガクに向けて飛ばされる野次を思い出す。
10台前半くらいにしか見えないレオナと付き合うという犯罪的な暴挙を犯し、別れたその足で生徒憧れの美女教師と朝帰りだ。
噂の的の本人に全く何の罪もないのはさすがに同情する。
「自覚あるならやめたら?」
「なんか、あの二人見てるとついちょっかい出したくなるんだよね」
「悪趣味だからやめなさい」
わかるけど、とティアも思いつつ言わなかった。
レオナもさすがに今回はフガクに同情しているようだった。
なので、フガクが少しでもやる気が出るよう応援としてミユキを残してやったのだ。
なお、二人が夜何をしていたかという無粋な話は聞かなかったが、二人の様子を見ていれば分かる。
せいぜい一緒の部屋で寝ただけとかそんな可愛いものだろう。
本当に一線を越えていたら、あの二人なら翌日絶対様子がおかしくなる。
そんなことを考えながら、2階の廊下に辿り着き、職員室の中の様子を確認してみる。
中には教員が一人残っていた。
「あー、やっぱいるかー」
「さすがにね。打ち合わせ通りいくよ」
「おっけーボス」
想定していた流れはこうだ。
ティアはその教師に話しかけに行く。
その隙に、レオナが部屋の隅に置いてあるキーボックスから時計塔の鍵を盗み出す手筈だ。
ティアが職員室の扉に手をかけたその時。
「鍵ならねえよ」
背後から、アギトの声がかかった。
「あん? あれ、アギトじゃん。何してんの?」
「無いって、どういうこと?」
「そのまんまだ。俺が先に時計塔の鍵をくすねに行ったけど、無かった。意図的に隠されてるのかもな」
ありえなくはないとティアは思った。
生徒の夜間立ち入りが明るみなった以上、鍵を誰でも取れるところに置いておかないよう対策するのは頷ける。
「仕方ないわね。レオナ、お願いできる?」
「いいよー、開けられるかは見てみないと分からないけど」
アギトが時計塔の調査を行っていることは聞かされているが、何のためなのかは特に知らない。
「なあ、ティアちゃん、レオナちゃん」
踵を返して時計塔に向かおうとするティアたちに、アギトはすれ違いざま声をかけてくる。
その声のトーンは、これまでの彼からは考えられないほど重いものだった。
「……なに?」
ティアは立ち止まり、アギトを振り返る。
彼は、何かを訴えかけるような真摯な眼差しでティアを見つめていた。
「俺も連れてってくれない? あの時計塔の正体を確かめたいんだ」
普段なら即断るところだ。
だが、その懇願するような目つきに、ティアは彼もまた何か特別な事情を抱えることになったのだと感じた。
「……とりあえず歩きながら聞いてあげる」
そう言ってティアは、アギトに背を向け歩き出した。
「恩に着るよ」
「着ないで。聞いてから判断するから」
その後を追うアギトは、いつも通り明るく笑みを滲ませた。
時計塔の調査が危険を伴うことは十分分かっている。
戦力は多い方がいいとティアは自分に言い聞かせ、窓越しに見える時計塔の尖塔を見上げるのだった。
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