第113話 幕間 拝啓愛しの姉に
23時過ぎ、ティアは消灯後の寮内を見て回ってきたところだった。
特におかしなところもなく、抜け出している生徒もいなかった。
ただずっと見て回っているわけではないので、こうして目を離している間に誰かが寮を出ても分からない。
少なくとも、夜の寮内は静かで、誰かがいなくなったとかそういう騒動が起こっている様子が無いことはわかった。
「毎晩ご苦労なことですね」
部屋に戻ると、エフレムがベッドに寝たまま声をかけてきた。
彼女の生活は規則正しく、消灯時間には眠りにつき、起床時間よりも早く起きて身支度を整えている。
そんなエフレムが起きているとは珍しいと思った。
「ごめん起こしちゃった?」
ティアは暗い部屋の中に響いたエフレムの声に、小さな声でそう返す。
「今しがたベッドに入っただけです」
ティアに背を向けたままそう言った。
ティアも特に起きている理由はないので、下着姿になり寝巻きのシャツを着て自分のベッドに入る。
「……エフレムはお義姉さんと仲良いの?」
なんとなく眠れる気分ではなかったので、ふと思い立ったようにエフレムに問いかけた。
まさか話しかけられるとは思っていなかったようで、ちらりと振り返って視線をかわす。
「……何ですか急に」
「何となく。エリエゼル様は、私の義姉さんとどんな学生生活を過ごしたんだろうって、気になっただけ」
ティアの義姉ミクローシュ=アルヘイムと、エフレムの義姉エリエゼル=メハシェファーは、ノルドヴァルト騎士学院に通った同期であり、親友同士だったと聞く。
エリエゼルは、ティアの故郷とも呼べるウィルブロードにある義姉の墓へ、命日になると必ず花を手向けに訪れる。
ティアは義姉の死後1年も経たないうちに旅に出たので、会ったことがあるのは義姉の葬儀の1回だけだった。
淑女然とした立ち振る舞いに隙の無い身のこなしと、思わず見とれるような気品と美貌を称えていたのが印象的だ。
「……私はお姉さまから、学院時代の話をそう多く聞かせていただいたわけではありません」
少し寂しそうにエフレムは言った。
彼女は義姉を尊敬しているが、同時に畏れているとアポロニアも言っていた。
エフレムにとって義姉の思い出の中に踏み込むことは、それなりの勇気と覚悟がいることなのかもしれない。
「ですが、お姉さまのお部屋には今もご学友と撮った写真が飾られています。お姉さまにとって、大事な思い出なのは間違いないでしょう……」
いつになく饒舌に、エフレムはそう言った。
その声色はどこか熱を帯びており、大切なものをそっと胸の奥に仕舞い込むような雰囲気だった。
ティアの口元にも、自然と微笑が滲む。
「私の義姉さんは、エリエゼル様のことをとにかくマイペースなお嬢様だって、楽しそうに言ってた」
マイペースで言えばミクローシュもなかなかのものだったとティアは記憶しているが、その彼女が言うくらいだ。
エリエゼルはまさしく公爵令嬢と言った女性だったのだろう。
アポロニアも胃が痛かったと言っていたし。
「お姉さまは自分を強くお持ちなだけです。まあ、確かにミクローシュ様とは卒業後も交流はおありだったようですが」
ロングフェローとウィルブロードは隣国同士だ。
国境を挟んでにらみ合うこともあったが、国家間の行き来は容易だった。
アポロニアともう一人のスティージュという女性も含めて、このセーヴェンで同窓会を行ったこともあるらしい。
「その義妹である私たちが、騎士学校の同期というのも運命じみたものを感じるけどね」
それはティアの皮肉も含まれているが、半分は本心だ。
エフレムとはかつての敵同士でありながら、今はこうして同じ部屋で生活している同窓生でもある。
運命とはかくも数奇なものであると思わざるを得ないし、きっと彼女とはこれからも顔を突き合わせる機会があるのだろうとティアは思った。
その言葉に、エフレムはジトッとした視線でティアを見やる。
「冗談ではありません。あなたとの共通点など、お姉さま同士が同窓だったということくらいで十分です」
まあ確かに、とティアは笑う。
本当はもっとエフレムに訊きたいこともある。
フレジェトンタの魔女である彼女は、ティアにとっては警戒すべき相手のひとりだ。
しかし、今は踏み込むのはやめておこうと思った。
この学院にいる間は、多少過去の因縁はあれど同じ学び舎で学ぶ仲間であり、ルームメイトだ。
適度な距離感を保つことが、お互いうまくやっていくために最も重要なことなのだから。
「あー、何か目が覚めちゃったな。お茶でも飲む?」
ティアはベッドから起き上がり、部屋の隅にある光石式のポットでお湯を沸かすために立ち上がった。
「誰のせいですか。それからその格好、はしたないです。下をはいてください」
ティアは大きめのシャツを羽織っているが、下は下着姿だ。
最近はフガクがいるのできちんと履くが、宿でミユキと二人のときなんかは大体こんなものだった。
ティアは自分の足元までを見下ろして首を傾げる。
「そう? どうせ女同士だしよくない別に?」
かく言うエフレムは上品な白いネグリジェを着ており、肌の露出はほとんど無い。
エフレムも身体を起こし、呆れたような視線を向けていた。
「で、お茶飲む?」
「……飲みますが、私の話聞いてますか」
「聞いてる聞いてる」
ティアはカップを二つ用意し、お茶の用意へと取り掛かる。
まさか彼女と、こうやって夜のお茶会を楽しむような仲になるとは思いもしなかった。
エフレムはきっと嫌がるだろうが、彼女のことは嫌いではないし、何なら仲良くなってもいいと思っていた。
「いいですか、前から言おうと思っていましたが、あなたは少し人を小ばかにしたような態度が目に余ります」
「え、うそ本当に? そんなつもりないよ」
「いいえ、良い機会なので言わせていただきます」
エフレムのお説教が始まった。
こうやって、歯に衣着せぬ物言いで話せる相手は貴重だ。
ティアにとっては旅の仲間であるフガクたち3人と、ウィルブロードの数名程度だろう。
思いのほかこういうことに付き合ってくれるエフレムを、ティアは微笑ましく見守る。
「何ですかその気味の悪い笑みは」
「ううん別に―。エフレムが同室で良かったと思っただけだよ」
「ああもうっ……さっさとお茶を淹れてください。飲んだら寝ますからね」
「はいはい」
頭を抱えたエフレムに、ティアは軽い返事を返してお茶を淹れていく。
愛しい義姉たちも、こうして夜友人と語り合ったりしたのだろうかと、ティアは想いを馳せた。
自分たちの関係はきっと友人と呼べるものにはならないが、それでも、ここでこうして過ごした時間のことを思い出すときは来るのだろう。
その後エフレムのお説教は小一時間ほど続き、ティアは気が付くと眠りについて朝を迎えていたのだった。




