第112話 夜の帳の中で②
俺は今、過去最高潮の緊張の中にいる。
ミユキの部屋に招待され、ここで朝まで過ごすことになったのだ。
アポロニアの屋敷で夜遅くまで話したり、同じテントで眠ったことはある。
しかし、ミユキと朝まで二人きりで過ごすというのは今日が初めてだ。
俺は部屋の椅子に背筋を伸ばして座り、ミユキがシャワーを浴びている音を聴きながら心臓の鼓動を押さえつけるのに必死だった。
扉一枚隔てた向こう側に、一糸まとわぬ姿のミユキがいる。
それだけでソワソワしている俺。
ちなみに俺は先にシャワーを終えている。ミユキからぜひ先にと促され、頑なに断ることもなかったのでお言葉に甘えた次第である。
改めて室内を見渡す。
整理整頓された室内、というよりもほとんど寝るためだけに使用されている部屋だ。
ベッドと簡易なキッチン以外は使われた形跡すらない。
持ち込まれたトランクすらそのまま置いてあった。
まあ、連日朝から授業で夜は調査のため、部屋で過ごすことなんてほとんど無いのだから無理もないが。
しかも彼女は女子生徒を中心に初日からすごい人気で、お昼になるとミユキとランチに行きたい女生徒が列を作っているとのこと(レオナ談)。
生徒の俺達以上に忙しい日々を過ごしているようだった。
部屋の中にはミユキの良い匂いが漂っており、俺は彼女が毎日寝ているであろうベッドに大の字に倒れこみたい衝動を抑え込むので必死だ。
「お待たせしましたフガクくん。というか、先に寝てくださっていてもよかったのに」
トレードマークともいえるポニーテールをほどき、ほかほかと身体から湯気を立ち上らせ髪を拭きながらミユキが戻ってきた。
クエストなどでテントで過ごす際は普段着のまま眠るので、シンプルなシャツとズボンという寝巻き姿はかなり新鮮だ。
ちなみに俺もミユキの寝巻の替えを借りた。
悲しいかな身長差が大きいので、ものによってはミユキの服でも入ってしまうのだ。
裸で寝るわけにもいかないし、一日着た服をシャワー後にまた着るのもちょっと抵抗があったので助かった。
「全然眠くなくて」
「剣闘大会、緊張されますか?」
「緊張というか……」
ミユキは冷蔵庫から金属製のボトルに入った水を取り出して飲みながら、穏やかに語りかけてくる。
もちろん俺はそんな理由で緊張しているわけがない。
言わずもがな、朝まで彼女と二人きりで過ごして理性が持つかどうかという一点に尽きる。
「あ、フガクくんベッドで寝てくださいね。私は床でいいので」
「いいわけないでしょ。泊めてもらってるだけでもありがたいのに、ミユキさんがベッド使って」
クエストなどもあり同じ室内で寝ることには慣れてきた俺達だが、同じベッドでというのはさすがにない。
俺の拒否に、ミユキは言葉を詰まらせた。
しかし、意外にもそこを食い下がってくる。
「駄目です。フガクくんは明日剣闘大会なんですから、ちゃんと寝てください」
「床で寝るなんていつものことだから大丈夫だよ」
「いけません。フガク君が床で寝るなら私も床で寝ます」
「それ意味ないじゃん。いいからミユキさんが寝て」
「いえいえフガクくんが」
「いやいやミユキさんが」
不毛なやり取りをその後10ラリーほど繰り返し、平行線を辿る。
若干お互いムキになっていた。
「分かりました……で、では一緒に寝ますか?」
少し恥ずかしそうにそう提案してくる。
俺ももうそれしか無いと思っている。
まあ同じテントで何度か一緒に寝ているし、病室代わりのテントで隣のベッドで寝たこともあるので、ハードルとしてはそこまで高くないはずだ。
「で、でもさすがにそれは……」
と思いつつも、同じベッドでというのは一応抵抗しておく。
「私は……構いません。ティアちゃんとも一緒に寝ていますし……」
努めてお互い変な空気を作らないようにしていた俺達だが、さすがに同じベッドで寝ることが現実味を帯びてくると緊張が走る。
そういえば昨日と一昨日は、女子寮に戻れなかったティアがここに泊まったと言っていた。
セミダブル程度の大きさのベッドなので、二人寝ることは十分可能だ。
ただし、寝返り一つで肩が触れ合ってしまうようなサイズ感ではあるが。
「……じゃあ、そうしようか」
時間ももう1時を回っている。
まあ明日の俺の寝不足はほぼ確定したわけだが、少しくらいは横になっておきたいところだ。
俺はミユキの提案を了承した。
というわけで、髪を乾かしたり歯磨きをしたりと寝る支度を整え、俺たちはベッドに入る段となる。
部屋の照明を落とし、月明かりと敷地内の照明の光がわずかに室内を照らす中、まずは奥にミユキが入り、俺にスペースを空けてくれた。
「ど、どうぞ……」
「う、うん……」
柔らかなマットレスがわずかに沈み、お互いの気配が一層近づく。
互いに背中を向けているのに、そこには確かにミユキの体温が感じられる。
「……おやすみなさい、フガクくん」
布団を胸元まで引き上げながら、ミユキがそう呟いた。
ただそれだけで、心臓が一つ跳ねた。
「おやすみ、ミユキさん」
いや寝れるわけないが。
俺の心臓は変わらず早鐘を告げている。
ただミユキもそれは同じようで、背中からはいつまで経っても彼女の寝息は聞こえてこない。
「……あの、フガクくん」
案の定だった。
背中越しに、ミユキの囁くような声が聞こえてくる。
俺はシーツの擦れる音と共に振り向くと、彼女も同じようにこちらを向いたところだった。
横になりながら視線と視線が合う。
ミユキの赤く透き通った瞳が月明かりに照らされ、俺は吸い込まれるような錯覚に陥る。
「どうしたの?」
「私……誰でも部屋にあげるわけじゃありませんから……」
「え?」
もしかして軽い女なんじゃないかと思われるのを、意外と気にしていたのだろうか。
もちろんそんな風に思っちゃいないし、あれだけ迷って言ってくれたのだから、その信頼を裏切るようなことも俺はしない。
まあこれも彼女なりの乙女心というやつなのかもしれないが。
「もちろん分かってるけど、急にどうし……」
そう言いかけたとき、ミユキが俺の胸に額を付けるように寄ってきた。
思わず言葉を失う。
これはもしかして……そういうことなのだろうか?
「少しだけ、こうしててもいいですか……?」
ミユキの束ねていない長い黒髪が、俺の腕や首筋をくすぐる。
ふわりと薫る髪の匂いが、俺の思考を溶かしていく。
彼女を抱きしめてもいいのか分からず、俺の腕は虚空を彷徨っていた。
「い、いいけど……」
俺はそう答えるのが精いっぱいだった。
俺の胸に顔をつけて瞳を閉じているミユキの顔がすぐ近くに見える。
心臓の鼓動が彼女に聞こえてやしないかと不安になる。
「フガクくん……心臓がドキドキしています」
囁くミユキの吐息が俺の肌をくすぐる。
この状況でドキドキするななんて、無茶を言わないでほしい。
「ミユキさんは?」
「……内緒です」
一瞬だけためらった。
だが俺は、そっとその背に腕を回して優しく抱きしめた。
彼女の体温は熱く、きっと彼女も俺と同じなのだろうと思った。
「……」
ミユキが息を呑む音が聞こえる。
だが、彼女は何も言わずにそれを受け入れてくれた。
俺も言葉を忘れ、彼女の髪に顔を埋める。
ミユキの温度、香り、その存在だけで満たされていくような気分になれた。
「……ミユキさん、僕は……」
「まだ……もう少しだけ、フガクくんとこのままでいさせてください」
俺の吐き出そうとした想いを、ミユキは遮りそう言った。
俺たちの間にある気持ちも、もう言葉にしてしまえばきっと叶うのだろう。
今はまだ、儚い泡沫のようなひと時を、微睡みの中で味わうことにする。
薄い光のヴェールのように、二人の間にある隔たりはいつでも超えられるのだろうけど。
もう少しだけ、俺たちが互いの言葉を受け止められるその時を待つことにした。
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