第110話 悪意の残滓
本日でもう入学4日目。
翌日朝、再び俺たちは食堂の隅に集まり昨夜の共有会を行った。
昨夜0時から1時間ずつ交代で時計塔の入り口を監視していた俺たちだが、結論を言えば収穫は無い。
ミユキが声をかけたというモルガナ以外、誰も時計塔を訪れなかった。
たまたまなのか、時計塔に現れたシュルトの所為なのか。
俺たちは次にどうするかを検討しているところだ。
「その前にこれ見てくれる?」
そう言って、ティアはゴトリと机の上に小さな巾着袋を取り出した。
そこには、俺たちがこれまで獲得した赤光石が入っている。
ティアが中を開けて見せてくれるのを覗きこむと、赤光石が仄かな光を放っていた。
「これは……」
「光ってる……?」
ミユキとレオナの呟きと同時に思い出す。
ドミニアとの戦いで、赤光石が反応して輝いていた。
つまりこれは……。
「近くにミューズがいる可能性が高いってこと?」
俺の問いに、ティアが頷く。
「私も全然気づいてなかったんだけど、今日たまたま中を見たらこうなってた。絶対とまでは言えないけど、ミューズだと思う」
ここに来てから感じていた不穏な空気はそのためだったのだろうか。
しかし、ミューズの可能性は依頼を見た時点から感じていた。
ティアの話には、まだ続きがあるようだった。
「時計塔から生徒が消えた理由だけど、”どうやって”は考えても意味が無いと思う」
「え、どうして?」
レオナが首を傾げる。
「姿かたちを変えたり、360度どこからでも矢を撃てたりするようなでたらめなスキルを持ってるんだから、”どうやって消えたのか”なんて考えても意味が無い。だから重要なのは、“なぜ時計塔に行くのか”。目的さえ分かれば、次にどこで何が起こるか予測できるかもしれない」
ミューズと3度戦ってきた俺には理解できた。
ミューズは普通の人間とは一線を画すスキル群がある。
おそらくそれは人工の聖女を作る過程で生み出されたものなのだろう。
人間の姿を模倣したり、矢を特殊なゲートから飛ばしたり。
物理法則などまるで関係が無いような能力を次々使用していた。
つまり、考えるべきは”どうやって”ではなく、”なんのために”だ。
その動機、目的から居場所を探していくことが必要だとティアは言っているのだ。
「ミューズはこの学院のどこかに隠れているということですか?」
「可能性は高いと思う」
ジェフリーやモルガナと言った生徒たちはなぜ時計塔に行くのか。
時計塔にはミューズはいなかった。
しかし、時計塔の最上階で彼らは消えている。
あの場所で何かが起こっていることは間違いないはずなのだ。
「ミユキ、昨日よく聞こえなかったんだけど、モルガナは何かブツブツ言ってなかった?」
レオナの問いに、ミユキは宙に視線を彷徨わせて思い出そうとした。
言葉を反芻しながら、断片的にモルガナが語ったであろう情報を整理していく。
「確か”報告”……”蜘蛛?” ”光る糸”などと言っていたような……」
「あの場所に何かを報告しに言ってるってことかな?」
「情報を集めてるのかもね……。でも蜘蛛って、あの虫の蜘蛛かな」
これだけではよく分からない。
だが、モルガナやジェフリーが時計塔の中で何かの情報提供に行った可能性はあるなと感じた。
それがミューズなのか、果たして別の人物なのかは定かではないが。
「蜘蛛と言えば、最上階すごい蜘蛛の巣だったよね。結構寒気したな」
「確かにそうですね……もう少し調べてみますか?」
「今日の夜も行ってみようか」
「ミユキさんとフガクにお願いしてもいい? 夜中の寮内の動きもちょっと見てみたいし」
「アタシは時計塔以外の場所ももうちょっと探ってみるよ」
というわけで、今日の調査方針が決定した。
俺とミユキは時計塔の最上階を再調査、ティアは寮内、レオナは校舎内ということになった。
―――
ミユキは昼休み、女子生徒たちからの熱烈なお誘いを丁重に断り、足早に保健室へと向かっていた。
理由はモルガナ=エバンスについて。
彼女は本日欠席しているとのことで、具体的にどうなったのかを確認するためだ。
アストラルは朝の職員会議にも出席しておらず、シュルトに訊いてもアストラルに預けたとの一点張りで回答が得られなかったのだ。
「失礼します」
保健室の扉をノックし、ミユキは中に入る。
そこでは、アストラルが机に座って手の爪にマニキュアを塗っているところだった。
煙草とマニキュアの匂いで、とても清潔な保健室とは思えない。
「ん? ああ、アンタか」
アストラルはチラリとミユキを一瞥して再び爪を塗る作業に戻っている。
自由だなとミユキは思ったが、とりあえず聞くべきこと聞かねばと、アストラルの傍らまで歩み寄った。
「アストラル先生、モルガナさんはどうなりましたか?」
「誰だっけ?」
本気で言っているのかとミユキは思った。
つい何時間か前に処置したはずの生徒の名前を忘れているとは。
本当に保健教諭なのかと思いつつ、ミユキは詰め寄る。
「昨日シュルト先生から預かりませんでしたか? 今日はお休みされているようです」
「ああ。記憶に混乱もあったし体調も悪そうだからしばらく休みにしといた。医者も手配しといたし、学院から家族に連絡も行くから大丈夫じゃない? 今は病院にいると思うけど」
興味無さそうにアストラルは言う。
何故だかわからないが、ミユキはその態度に少し違和感を感じた。
ちょっと冷たくないだろうか?
一応学院内で起こったことなのだから、もう少し親身に対応すればいいのにと。
「記憶の混乱の原因などは分かりますか?」
「さあ? 意味わかんないことばっか言ってたし、あたし専門医じゃないしね」
「そう……ですか」
アストラルの対応は間違ってはいないのだろう。
しかし、あまりにも淡々とした対応にミユキは首を傾げる。
まるで、彼女がこうなることを分かっていたような……。
「病院はどこでしょうか?」
「はあ? 行く気?」
アストラルは初めてミユキを見た。
青く透き通った目が鋭く細められる。
「はい。生徒の失踪事件について学院としても問題視されています。話を聞けるなら聞くべきかと」
ミユキは真っすぐにアストラルを見据える。
それをアストラルは鼻で笑って、再び爪いじりに戻った。
「残念だけど、王都の病院に搬送されたよ。まあよっぽど暇なら行ってみたら?」
「……アストラル先生は、心配ではないんですか?」
「言ってる意味が分かんないわね」
ミユキの言葉に、アストラルは作業の手を止めることなく返答を返す。
仮にも自分たちの生徒が原因不明の事態に巻き込まれているのだ。
ミユキも上手くは言えないが、それなりの態度というものがあると思った。
「大事な生徒さんのはずです。急に学院に来れなくなって、可哀想だとは思いませんか?」
ミユキも、ここまで言わなくてもいいかもとは一瞬思った。
だが教員たちの中には本当に生徒を心配している人もいたし、ヴァルターもその一人だった。
だから、仮にも教職についているはずのアストラルのその一言が妙に”癇に障った”のだ。
「チッ……!」
ミユキの言葉に、アストラルは舌打ちをし、ガタッと椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がる。
そして高いヒールでカツカツと床を叩きながらミユキの目の前まで歩み寄り、その胸倉を右手で掴んだ。
「ガタガタうるせぇぞ”ぬり壁”女。テメェがあたしに説教くれたらあのガキは学校に来れたか? 無理やり通わしゃそれで万々歳かよ?」
ミユキは驚いた。
あまりの剣幕と、殺意の籠ったその瞳に、この人は本当に教師なのか?と。
そして同時に理解する。
この人は本当に、生徒のことなど何とも思っていないのだと。
「……そうは言いません。しかし、あなたも先生なら、人として取るべき態度があると思います」
「はっ! テメェの正義感なんて知ったこっちゃないね。とっとと失せろクソデカ女。医者に預けてんだ。こっちはプロに任せてんだよ」
そんなことは分かっている。
ただ、それでもミユキは許せなかったのだ。
アストラルは胸ぐらから手を離し、再び椅子に腰掛けてタバコをふかし始めた。
ミユキは頭をペコリと下げ、そのまま保健室を後にする。
アストラルの吐き出した煙が、保健室に淀んだ悪意の残滓のように漂っていた
(……やってしまいました)
内心、余計なことを言ったと思った。
正論だったとは思うが、別にアストラルが何か悪いことをしたわけではない。
だが、彼女のあまりに薄情な態度にいら立ちを抑えきれなかった。
抱え込む必要のない揉め事を抱えてしまったと、ミユキはティアにどう説明しようかと頭を悩ませるのだった。
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