第106話 幕間 ミユキの部屋にて
時計塔でジェフリーが消えたのを目撃した後、ティアは寮の自室には戻らずミユキの教員宿舎を訪れた。
こちらは異性を入れるのはさすがにリスキーだが、特に監視などもないため一応誰を迎え入れることもできる。
ティアはミユキに連れられ、部屋の扉を開けて中に入った。
「あ、結構広い」
「ですよね、私もビックリしました」
女性用の教員宿舎は2階建てで、各階に8部屋程度ずつ用意されている。
広さはセミダブルのベッドや机を置いても十分な広さで、シャワールームとトイレも各部屋に備わっている。
トランクが開けっ放しで、部屋に備え付けられているクローゼットに戻す暇も無かったのかもしれない。
服や下着が覗くトランクを、ミユキは慌てた様子で閉めた。
女同士だから気にすることもないのだが。
「ごめんねミユキさん。泊めてもらっちゃって」
「い、いえむしろ私こそ来ていただいてありがたいと言いますか……」
その身体能力で木から窓を伝って帰れるフガクとは違い、ティアは外出禁止時間を過ぎた女子寮に戻ることができない。
ミユキからの提案で、部屋に連れてきてもらったのだ。
同性とはいえ教師が生徒を部屋に連れ込むのはいかがなものかと少し考えたが、この騎士学校は普通の子供が通う学校とは少し違う。
少なくともヴァルターのような主要な教員には、ミユキとティア達が顔見知りなのは周知の事実なのだから、今更だと思った。
「ありがたいって?」
ティアは、ミユキに促されてベッドに座った。
ミユキもその隣に腰掛ける。
おずおずと、指先を遊ばせながらミユキは言いにくそうに告げた。
「その……幽霊を見てしまった気がして怖くて」
「ああ、なるほどね」
煙のように忽然と姿を消したジェフリーともう1名の生徒。
出口が一つしか無いはずの時計塔操作室には、蜘蛛の巣が張られて人が隠れたような痕跡も無かった。
つまり、ミユキは怪奇現象に遭遇したため部屋に一人になるのが怖かったらしい。
「すみません……私、肝心な時に」
「何言ってんの。ミユキさんにも怖いものがあったんだって、何ならちょっと嬉しいくらいだよ」
ティアは真剣に思い悩んでいるミユキに笑顔を向けてやる。
怖いものは怖いんだから仕方ない。
確かにミユキは化け物じみた怪力と戦闘能力を持っているが、中身は繊細で穏やかな普通の女性だ。
戦場の最前線で血みどろになるまで切り込んでいく、普段の姿の方がどうかしている。
「そう言っていただけると……あ、今お茶を入れますね! 職員はコーヒーやお茶が無料なんです。職員室から少し持ってきちゃいました」
ミユキは立ち上がり、部屋に備え付けの小さなキッチンへ赴くと、そう言って恥ずかしそうに微笑む。
「おかまいなく。ねー、あとでシャワー借りていい?」
2つ年上の女性だが、可愛いなと素直に思うティアだった。
光石を使ったコンロにポットでお湯を沸かしている。
「もちろんです。今入られますか?」
「んー、お茶もらってからにする」
ティアは立ち上がって外套を脱いでクローゼットのハンガーにかける。
ふと、ベッド脇に置いてある銀時計に視線が留まった。
ミユキがフガクとおそろいで貰ったという懐中時計だ。
着替えたときに忘れないよう、目立つ場所に置いてあるのだろう。
「お待たせしました。ティアちゃんどうぞ」
部屋の備品だったのか、ティーカップにお茶を入れてミユキが運んできた。
紅茶のふわりとした香りが、ティアの鼻腔をくすぐった。
「ありがとう」
湯気のたつお茶をふぅと拭きながら、カップに口を付ける。
体に温かさが染み渡り、先ほどまで時計塔で感じていた緊張感が少し薄れていった。
「ねぇ、ミユキさん」
「はい、なんですか?」
ミユキはお茶を口に含みつつ、首を傾げる。
「ここフガク連れ込んだら?」
「ブフゥッ……!!」
思わずお茶を噴き出してしまうミユキ。
慌てて口元とハンカチで拭いながら、驚嘆の表情を浮かべてティアを見つめた。
「なななな何を言ってるんですかティアちゃん! こここここは女子寮です!」
「まあそうなんだけど。今日も二人で時計塔の中で何してたのー?」
照れるミユキが可愛くて、ティアはつい楽しくなってしまい彼女をからかう。
フガクとミユキの関係性は微笑ましいと思っていた。
二人ともそこそこ良い年のはずだが、初々しい奥ゆかしさと青臭さがずっと見ていられるくらい面白い。
変に茶化して二人の関係性を壊すのもつまらないが、ティアとしてはもう少し踏み込んでもいいのではないかと思っていた。
「い、いえあれは咄嗟に隠れただけで……」
「そう? 何かいるなーって見てたけど、しばらく見つめ合ってたような……あのまま放ってたら多分キス」
「しません! そんなこと!」
「そんなことって。ミユキさんはフガクのことどう思ってるの?」
頬を紅潮させるミユキ。
ティアの問いに、ミユキは俯いて考え始めた。
「その……尊敬できるところがたくさんあります。私と違ってすごく前向きで、一緒にいると、勇気がもらえます」
確かに、フガクはその境遇の割にかなりメンタルが強いなとは思うティア。
特にミユキとフェルヴァルムの件があってからの精神状態は眼を見張るものがある。
自分だったら、突如異世界に放り出されたらどうするだろうか。
まあ、一瞬パニックにはなるかもしれないが、すぐ何かしら対策を考え出すとは思う。
「ですから、私のような女は一緒にいてもつまらないと思います……。楽しい話もできませんし……私は、ティアちゃんやレオナと話している時のフガクくんの方が……楽しそうだと……」
ちょっと泣きそうな雰囲気になっている。
いかんいかんとティアは思った。
別にお茶請け程度の話のネタとして振っただけだ。
そこまで深刻な話にするつもりはなかった。
どうしようかなと思っていると、ミユキは唇を引き結んでティアを真っすぐに見据える。
「ティアちゃんは、フガクくんのことどう思っているんですか?」
「わ、私ぃ?」
言われ、ティアはあまり考えないようにしていたことを思い出す。
フガクがミユキに向ける視線。
あの日、『聖餐の血宴』からミユキを”戻した”その姿を見て、少しだけ羨ましいと思った。
あれだけ自分のことを肯定してくれたら、きっと嬉しいだろうなと。
それに、リュウドウたちを取り逃して塞ぎこんでいたとき、ティアも確かにフガクには勇気づけられた。
少なくとも今は、とても頼りになる仲間だと考えている。
だが、ミユキが訊いているのはそういうことではないということも、ティアには分かっていた。
「……ど、どうなんですか。私はフガクくんは、ティアちゃんの隣にこそ相応しい人だと……そう思えてしまって……」
声がどんどん小さくなっていく。
その様子を見て、やれやれとティアは思った。
この二人はまだまだ色々と世話が焼けそうだと。
「何言ってんの」
ティアは、ミユキの手に自分の手を重ねて小さく笑った。
「私から言えることは一つ」
「は、はい……」
ミユキは驚いたように、ティアを見つめている。
「覚悟だけは決めときなさい」
自分に自信のないミユキと、イマイチ積極性の足りないフガク。
先が思いやられる二人だが、それはそれでいい。
二人のペースがあるし、周りが無理に何かをすることも無いだろう。
だが、ミユキには後悔だけはしてほしくなかったのだ。
「何のですか?」
「さて、何のでしょう。ミユキさん、シャワー借りるねー」
そう言って、ティアはミユキの肩をポンと叩いて立ち上がる。
「ええ!? ティアちゃん気になります!」
「あ、言っとくけど出たら恋バナまだするからね」
「だ、誰のですか!」
「誰のでしょーう」
それにティアは、この年上の頼れる勇者様が可愛くて仕方ないのだ。
確かに、自分の中でもフガクには思うところはある。
けれど、それにはまだ気付かないフリをしておこう。
今は二人の運命の行きつく先を、もう少し見ていたいと思うから。
ミユキの戸惑う声を背中に、ティアはひらひらと手を振ってシャワー室へと入っていった。
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