第10話 ミューズ/ケンタウロス
時間は少し巻き戻る。
フガクとティアに向けて敵の矢が放たれたのを確認したと同時に、ミユキは大地を蹴って駆け出した。
先ほど矢で貫かれた肩が痛むが、剣を振れないほどではない。
矢が放たれた方向へ、常人を遥かに超える速度で疾走する。
走り始めたときフガクを見たが、無事矢を弾くことに成功していた。
あの様子なら任せても大丈夫だろう。
正直なところ、ミユキは囮がうまく機能するか7割程度の確率だと思っていた。
ある程度彼らが傷を負うことを計算のうえで、正面突破を提案したのだ。
だが、キャンプに戻ってゆっくりと作戦を考えるのは危険だと思った。
理由は先ほどティアがドレンに言ったことと同じだ。
このミューズは自らのテリトリーの中で獲物を待ち伏せして襲ってくるタイプの魔獣だ。
この手の魔獣を彼らの領域内で討伐するのは骨が折れるし、被害も大きくなりやすい。
そしてそれは一度目の襲撃で確信へと変わった。
森の奥の方で相手をするとなれば、キャンプへ退却することすらままならなくなる。
気まぐれか、あるいは別の理由があるのか、ミューズは今森の入り口からもさほど遠くない場所まで出てきてくれている。
狩るにはこれ以上ないチャンスと言っていいだろう。
(ティアちゃん、フガクくん。必ずミューズを引きずり出しますから、少しだけ耐えてくださいね……)
ミユキのスキルの一つには特殊な「目」がある。
特異な能力を発揮するわけではないが、視力、視野、動体視力のいずれもが人間のそれを遥かに凌駕するものだ。
ミユキは、遠くに見えるフガクたちの状況と、矢が飛んでくる方向から逆算して相手がいる方向を割り出す。
(おかしいです……。明らかに異次元の角度から矢が放たれてる……?)
移動速度や位置、射角など、どう考えても不可能な場所から矢が撃たれている様子が見て取れた。
しかも、その所為でティアが負傷してしまったようで、フガクも体勢を崩そうとしている。
(いけない……! このままでは二人とも……)
ミユキの誤算、それはミューズが手ずから矢をつがえ、そのまま放っていると思い込んでしまったことだ。
それは当然のことだった。
だが、もし放った場所とは違う位置から矢を射るスキルがあるとしたら。
「……!」
背筋が薄ら寒くなったのと同時に、ミユキの視界の端で白い影が躍る。
ミユキは考えるよりも先に、急激な方向転換を行う。
全身の力を足先に集中し、人知を超えた速度で魔物に迫る。
その視線の先には、予想とはまったく異なる位置で弓を構えている白い女型の魔獣、すなわちミューズの姿があった。
(間に合わない……! なら……!)
あの矢を放たせるわけにはいかない。
今フガクとティアがどうなっているのかはもうミユキの視界に入っていない。
だが敵が狙っているということは、まだ生きているということだ。
本来ならば一撃で真っ二つに斬殺したいところだが、ミユキは直感でこのまま走っていたのでは間に合わないことを悟った。
持っていた大剣を自らの進路上に突き刺し、棒高跳びのように宙に舞い上がる。
真っすぐに、加速を増したミユキの身体は、ミューズへと迫る。
そして、巨大な魔物の頭蓋骨すら粉砕する長く強靭な脚を、全力で敵の延髄へと叩き込んだ。
ミューズがこちらに気づいた瞬間、すでに相手は20m以上も吹き飛んでおり、フガクたちの横を転がりながら大木へと叩きつけられる。
彼らに向けて放たれるはずだった矢は、弓ごとへし折られて明後日の方向で転がっていた。
呼吸すら忘れるほど全力で走ったため、ミユキも紙一重だったと冷や汗を流す。
フガクたちを見ると、負傷こそしているが動けるようで、ひとまずほっと胸を撫でおろした。
―――
俺は、目の前でゆっくりと起き上がり、凄絶な笑みを浮かべる物言わぬ魔獣から目が離せなくなった。
「ティア、こいつが……」
「間違いないわ。ミューズよ」
体高は2mを少し超えるくらいだろうか。
馬の体から真っ白い裸の女の身体が生えている。
あまりにも不気味で生気の感じられない魔獣の姿に、こいつを絶対にここで仕留めなければならないと思った。
「ティア、足は大丈夫?」
「ええ……何とかね」
ティアは起き上がり、太ももの擦り傷にポーションとヒーリングをかけて止血を施している。
俺も左肩に刺さった矢を右手で引き抜いた。
アドレナリンが出ているためか、あるいは目の前のミューズから目を離すわけにはいかないからか激痛でものたうち回ることはなかった。
血が噴き出るが、今は構っていられない。
「ティアは少し下がってて」
「……わかった。気を付けて」
俺は銀鈴を構え、フラフラと佇んでいるミューズに向けて袈裟懸けに切りかかった。
銀鈴の刃は、ミューズの肩口から反対の脇腹に向かって白い肌を切り裂き、真っ赤な血が吹きこぼれる。
「え……?」
もっと抵抗があるかと思っていたが、やられるがままのミューズに俺は逆に驚いた。
しかし、ミューズの口元から笑みは消えない。
「まさか……!」
後ろからティアの驚愕する声が聞こえた。
なんと、ミューズの体が青白い光に包まれたかと思うと、次の瞬間今斬り付けた傷や、ミユキに吹き飛ばされたときの傷跡がみるみるうちに消えていく。
「ヒーリング……?」
俺は咄嗟に、ミューズのスキルを見る。
敵を視認してスワイプしなければならないため、戦闘中には使いにくいスキルだと思った。
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▼NAME▼
ミューズ/ケンタウロス
▼SKILL▼
・■■■■■■■■■■ S
・弓使い A+
・無限の矢 A+
・乱れ撃ち A
・ヒーリング B
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確かにヒーリングの文字がある。
ティア以外にも魔獣が使えるとは意外だった。
「フガクくん、傷は大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。こいつ、ヒーリングが使えるみたいだね」
ミューズを遠くからぶっ飛ばしてきたミユキが、俺の横に並ぶ。
「そうですか。では、あとは私が」
「待って、僕にやらせて」
前に出ようとするミユキを制し、俺は彼女の前に立つ。
「フガクくん……?」
「こんな恐ろしい奴でも、自分がどこまで通用するのか試してみたいんだ。僕も、ミユキさんたちのパーティメンバーだって胸を張って帰りたい」
不思議と恐怖は無かった。
それに俺は腹が立っていた。
ミユキやティアに助けてもらうことしかできていない自分に。
そんな二人を、無為に傷つける目の前のミューズとかいう不気味な化け物に。
「……分かりました。無理だと判断したら、すぐ助けに入ります。ご武運を」
ミユキが俺の手を取り、そう言って微笑んだ。
「フガク、難しく考えなくていいよ。ヒーリングはあくまで傷を治すだけ。死者を生き返らせることはできない」
ティアも、俺が戦うことに反対はしなかった。
俺は二人の横を通り過ぎて、こちらを嘲り笑うような無機質な笑みを浮かべているミューズと対峙する。
髪の毛のようなもので隠れているで分からなかったが、よく見ると奴の目元には本来あるはずの目はなく、ただ白い皮膚があるだけだった。
「さあ、行くぞ」
おぞましい怪物を前にしても俺に恐れはない。
ただ今は、俺の力がどこまでこいつに通用するのか、それを試したいという気持ちの方が強かった。
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