第104話 時計塔の怪①
結局、夜になるまでミユキには会えず終いだった。
俺はいちいち冷やかしを入れてくるアギトをかわしながら寮の外に出る。
どうやって出たかと言うと、2階まで降りて廊下の窓から飛び降りただけだ。
帝都でレオナとパルクールした経験が活きた。
そっと木陰に着地すると寮の周囲には人気は無く、俺は物陰に隠れつつ時計塔に向かった。
部屋を出た時間は21時50分ごろ。
急げば5分もかからず時計塔にたどり着く。
校舎の2階窓に見回りをしている教師の姿が見えたが、幸い見つかることはなかった。
どうにもこういう雰囲気は苦手だ。
夜にそびえる時計塔は敷地の一番奥にある。
その威容は昼に見るよりもさらに不気味で、見上げるたびに胸の奥がざわついた。
まだ見回りのミユキの姿は見えないし、ティアやレオナの気配もない。
俺は校舎の陰に隠れつつ時計塔の傍まで静かに移動し、じっと身を潜める。
辺りは鳥と虫の声がわずかに聞こえるばかりの、不気味なほどの静寂に包まれていた。
空にはあと数日で満月になる月が浮かび、時計塔を密やかに照らし出している。
あれ?
俺は、時計塔の入り口が開いていることに気付いた。
もしかすると、既にミユキが入っているのだろうか?
ポケットには、先日地下水道で使った懐中電灯が忍ばせてある。
一瞬、それに触れて中を照らそうとしたがやめた。
もしミユキでなかったら、確実にトラブルになるからだ。
既に時刻は外出禁止時刻を過ぎている。
俺は気配を殺し、音一つ立てずに扉へと近づく。
微かに軋む扉の隙間から、闇の中を覗き込んだ。
――駄目だ、何も見えない。
人の気配もあるようには感じないが、どことなく嫌な感じがする。
銀時計を取り出して見ると、時刻はジャスト10時。
ティアやミユキたちの姿はない。
俺は迷ったが、中に入ってみようと思った。
生徒側であるティアやレオナはともかく、ミユキが時間に遅れるのは珍しいと思ったからだ。
身をかがめ、そっと時計塔へと侵入する。
吹き抜けで、壁に沿うように螺旋上に階段があるが、ところどころの窓から月明かりが差し込むばかりで上の方は見えない。
広さは30m四方程度だろうか、ヴァルターが言っていた通り、木箱や学校の古い備品、机などが置かれていて歩きにくい。
ぶつかって音などを立てないようにしなければ。
ギィィ……!
すると、背後の扉を開けて誰かが入ってくる。
俺は慌てて物陰に隠れた。
ミユキ? あるいはティア達か?
しかしこんな不用心に扉を開けるだろうか。
懐中電灯の灯りで逆光となり顔が見えないが、シルエットは大柄で筋肉質、男性に見える。
パキッ!
しまった……!
俺は落ちていた枝か何かを踏んでしまったらしい。
懐中電灯の灯りがこちらを捉えようというその時……,
ーー何者かの腕が俺を古い教卓の下に引きずりこんだ。
「……っっ!!」
「しぃぃ……」
背中に感じる柔らかさと、耳元に吹きかけられた吐息。
甘く香る花のような匂い。
一瞬で分かった――これは、ミユキだ。
懐中電灯を持った男が、俺の先ほどまでいた場所を照らすが、何も無いことを確認した。
そして、ゆっくり階段を登って行くのを見送る。
あの男は……?
「ミユキさん……」
男の横顔がわすがに見えたが、ひとまず彼女だ。
俺は狭い教卓の中でミユキに顔を寄せ、ひそひそと囁く。
ピッタリと密着しているが、今は緊張感があるのであまり気にならない。
「なんでここに……?」
「実は、先ほど一人の女生徒がここに入るのを見まして……」
ミユキの吐息が頬をくすぐる。
彼女の身体からは、クラクラする程の甘い香りがして、俺は次第に別の緊張に襲われてきた。
汗臭いとか思われてやしないだろうかと急に心配になる。
「誰だった?」
「わかりません……フガクくん達のクラスの生徒ではありませんでした」
時計塔にこんな時間に二人も人が?
これは明らかにおかしい。
しかも先ほどの男……。
「さっきの男子はうちのクラスの……」
「はい。ジェフリー=ギブズさんです」
俺も話したことはないが、すでに授業で見かけているので知っている。
ユリウスのルームメイトであるジェフリーという生徒だった。
編入生として入ったばかりのジェフリーが、クラス以外の女子と時計塔に?
元々知り合いで、こっそり逢引きに来た可能性もあるにはあるが……。
「ミユキさん一人じゃ怖いんじゃなかったの?」
「つい追いかけてしまい……フガクくんが見えたのでほっとしました」
そう言って照れたように笑う表情にドキリとする。
先ほどからミユキの柔らかいところがあちこちに当たっている。
月明かりに僅かに照らされ、彼女の顔から体までが間近にあった。
思わず目が合ってしまう。
潤んだ瞳でこちらを見ており、何かを言いたげだった。
「……レオナと、お付き合いするんですか?」
「え?」
目を逸らし、ポツリと呟くミユキ。
このタイミングで訊かれるとは思わなかった。
呆けた声を出した俺は、慌てて首を横に振った。
「ち、違うよ。レオナが部屋を抜け出すための設定だよ……」
「え、あ……ああそういう……」
ミユキもそこで合点がいったようだった。
そして自分の頬を両手で押さえ、恥ずかしそうに顔を赤らめたのが薄ら見える。
「……ミユキさん、もしかして昨日からそれでちょっと怒ってたり……?」
暗がりのせいか、俺も少し踏み込んだ質問をしてしまった。
ミユキが、唇をギュッと噛んで俺を見つめた。
「……はい、なんだか胸がザワザワして……。少し、嫉妬したのかもしれません……」
その言葉に、俺はドキリと心臓が跳ねた。
つまりそれは、「あなたを取られたくなかった」と言っているようなものだからだ。
それが意味するところは……。
「……そ、そうなんだ」
「……はい」
きっと俺の心臓だけでなく、ミユキの心臓も早鐘を告げているに違いない。
二人の心臓の音が重なるようだった。
うるさいほどの沈黙が、俺たちの間に流れる。
俺たちは、いつの間にかじっと見つめ合っていた。
息を呑む音すら、聞こえてしまいそうだった。
「あ、す、すみません……! 嫉妬なんて私……フガクくんのこと、どう思ってるんでしょう……?」
俺に聞かれても。
でももう、それはそういうことじゃないのか?と思いたい。
だって俺も、ミユキが嘘でも他の男と付き合うとか言い出したら、かなりショックを受けると思う。
ただ今は、この心地良いドキドキを彼女と一緒に味わっていたいと思った。
「とりあえず誤解が解けたなら……上行ってみる?」
だからまあ、一旦その話は置いておく。
今は、こんな時間に二人も生徒が来た謎の方が気になるからだ。
「そうですね。上の方にある扉からどこかに入られたようです」
言われ吹き抜けの頭上を見上げるが、深い闇が覗くばかりで何も見えない。
多分『勇者の瞳』の能力なのだろう。
その時ふと視線を感じ、チラリと扉の方を見ると、赤い目が中を覗いていた。
思わず声をあげて飛び上がりそうになる。
だが。
「……ティア?」
よく見ると、見慣れた金髪が月明かりを反射して揺れている。
「フガク? ミユキさんは?」
「私もいます」
「ああよかった。何かあったと思ったよ」
そっと中に入ってくるティア。
だがレオナの姿はなかった。
多分抜け出すことができなかったのだろう。
時間は過ぎているし、当初の予定通り来られた者だけで調査を進めることにする。
「生徒が二人ここに入ったんだ」
「本当に? やっぱり何かあるねここ……」
「上に行きます? お二人がいてくれるなら安心です」
「そうね、行ってみましょうか」
ティアが頷く。
彼女が来てくれたのはちょっとホッとした。
正直俺も、ミユキに偉そうに言えるほど幽霊やホラーの類は得意じゃないからな。
怖がり二人ではなかなか足取りも重くなりそうだったし。
俺たちは闇の中へと進んでいく階段を、一段一段慎重に上っていった。
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