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1-3:不完全な世界

 神が目の前に降り立った時、人はそれを本物の神だと信じられるだろうか。たとえ後光がさしていようと、背中に羽が生えていようと、目の前で生命を創造しようと。


 ナユタは目の前に再度現れた白衣の少女を認められなかった。ナユタには到底彼女が神だなんて思えない。ただの幼気な──可憐な女の子だ。


「……匿ってくださいませんか」


 再度、少女が頼んだ。


「一体何から逃げているのですか」


 ブレンは神を眼前にしているとは思えぬほどに冷静である。でなければナユタやカシギと同じ声色で接客など出来ない。


「……それは、言えません」


 何か訳ありだということはこの場にいる全員がわかっていた。


「でしたら、お断り致します」


「なっ……!?」


 ブレンの冷酷な言葉にナユタは酷く困惑した。


「ちょちょ、待ってくれよじいさん! この子何か事情があるみたいなんだからそんな突っぱね方しなくてもいいじゃんねえの?」


「子どもでも神様でも、お客様は皆等しくお客様です。無関係なお客様を危険に晒す様な真似は出来ません」


 発言自体は真っ当である。しかしそれはその直前にナユタの命を賭けた博打が行われていなければの話だ。


「……そうですか、すみません。他を当たらせていただきます。では……」


 店から出ていくその姿があまりに悲しみを背負っていた。ただ放っておく訳にはいかないと、ナユタの正義感が強く叫んでいた。


「待ってくれ!!!!」


 ナユタは店を後にする少女の腕を取った。


「え──」


 「爺さん、俺からも頼む! 何も聞かずに彼女を匿ってあげてくれ!」


 ナユタは至極身勝手な願いを口にする。

 

「ですが──」


 ブレンはカシギに目配せをすると、カシギはその意図を汲み取ってニヤリと笑った。


「ワタシを気にしてるのなら構わないよ。なんせ、神に力添えするなんて凄くお金の匂いがするからね」


 カシギのいやらしさが今は頼もしい。


「──いいんですね。それならばわたくしも協力致しましょう。お客様は神様ですから」


 ブレンはカウンターのスイングドアを開いて、少女に手招きをする。


「どうぞこちらへ。お客様の身長であれば丁度隠れられるかと」


「ありがとうございます……」


 少女は控えめに礼をして、ブレンの指示に従う。


 とりあえず一旦身を隠したは良いもののナユタには未だ疑問が残る。神などと崇められる彼女が何から逃げようというのだ。


「あれ、ちょっと気になるんだけど、今日って福音の儀の日だったよね? それならわざわざ一人で逃げてこなくてもお国の人が守ってくれると思うんだけど……」


 カシギの何気ない発言に、ナユタは引っかかるものがあった。


 そうだ、何故彼女は一人になっているのか。

 考えられる可能性は二つ。

 襲撃に遭うも命からがら、なんとか彼女だけが逃げ出せた可能性。


 扉がまたもや開く。


 そしてもう一つは──


「失礼するよ。私はフラクシオン国騎士軍、弐番隊隊長のシューク・クレーナという者だ。貴方達に少々お話を聞かせて頂きたくてね、少し良いかな」


──国の人間に追われているからという可能性。


 胸に銀色のピンバッジを着け、赤いマントを纏う眉太の男性。嗄れたような声とやつれた頬は栄養失調を思わせる。それこそ軍の人間だなんて信じられないほどである。


「おや、おひとり様ですか」


 ブレンは恐ろしい程に冷静で、隠し事をしている人間の顔つきではない。


「ああ、緊急事態でね。私の軍は分散して動いている。そう、緊急なんだ。だから──」


 シュークは腰に携えた二本の剣の片方に手を掛ける。その動作の意図に気付いて反応出来たのはブレンが最初であった。


「お客様! 伏せてください!」


 空間が抉り取られた。否、実際はそうでは無い。あまりの一瞬の出来事に、ナユタがそう感じたというだけである。


 宙に舞うトランプ、棚から崩れ落ちた酒瓶、カウンター奥の壁に刺さった剣、カウンターにぽっかりと空いた穴、そしてそれを埋めていたはずの円形の木片。

 ただ剣を投げたにしては不可解な惨状だった。


 ナユタは床に這いつくばりながら己の死を鮮明に想像した。己は不死であるはずだと、そう言い聞かされようと、そこに正気は無い。


「ちょっと何考えてるの!? 危ないでしょ!? アホ!!」


 カシギも床に伏せながら子供のように怒る。緊張の糸を指で弾くようなその行動がシュークは気に食わない様子で、眉をピクリと動かした。


「何を考えているのか──だと?」


 みるみる内にシュークの形相は変貌していく。半狂乱どころか全狂乱とも言えるほどに目をかっぴらいている。


「貴様らは、貴様らは自分が何をしているのかわかっていないのかぁぁあああ!? 貴様ら、貴様らは我らの神に何をしたぁぁあ!?」


 やはり少女を追ってここに辿り着いたらしい。詳しい事は何も知らずとも、逃げ出したくなる理由はわかる気がした。


 シュークはもう一本の剣を鞘から抜き取り、カシギに襲いかかる。


「カシギ、危ねぇ!!」


 反応の遅れたカシギをナユタが体当たりで吹き飛ばす。

 振り下ろされた剣は木片とどす黒い液体を撒き散らす。ぼたりと滴り落ちる血液。倒れ込むナユタの眼前にあったものは、かつて自身の左腕だったものであった。


「あ゛っっっ……!?」


 一体自分が何を見ているのか、理解を拒んだ。鮮血と痛みが現実を色付けて、視界を歪める。


 カシギは眼前に迫る死に腰を抜かして失禁する。


「裁きを、裁きを拒む気か貴様らぁ! 許されざる悪行っ!! 神に代わって私が、私が死を与──」


 シュークがボロボロになったナユタに追撃しようという時にその手と口が止まる。


「──災厄?」


 ナユタに訝しげな目を向け、蔑むように睨みつけた。


「そのアタマ……そうか、そうか……! 貴様が神を攫ったのだなデゼス!!」


「神を!!」


「教えを!!!」


「侮辱しているっ!!!!」


 激昂したシュークは先程投げた剣の方へと腕を伸ばす。あろうことか剣の方からシュークの手の内へと帰っていく。


 ナユタは痛みと大量の出血のせいで意識が朧気になり、一体何が現実なのかすらもわからなくなる。


「やめなさい。これ以上お客様に手を出すことは許しませんよ」


 いつの間にかブレンの肩には猟銃があった。照準はシュークに合わせている。トリガーに指を掛け、いつでも撃てる状況だ。


 それを見て冷静になったのか、シュークは重い溜息を吐く。


「試しに撃ってみればいいじゃないか。もっとも、神に授かった()()()の前では無意味だが」


 シュークの手から剣が浮かぶ。(きっさき)がひとりでにブレンに向く。いつでも殺せる──そう言わんばかりに剣身がおどろおどろしく輝いている。


磁力砲(マグネット・マグナム)。金属にのみ作用する特殊な磁力を操れる。ほら、撃ってみな。弾が私の元に辿り着けるかは保証しかねるがね」


 ブレンは自身の額を伝う汗の意味を理解していた。こんな銃一本で止められる相手ではない──長年の経験がそう語っていた。


「もうやめてください!!」


 泣きじゃくるような声を上げたのは今まで隠れていた少女であった。


「私はここにいます! 抵抗もしません! ですから、これ以上の乱暴はおやめになってください!!」


 必死に涙を堪えながら声を張る幼子の姿は痛ましく、とても見ていられなかった。ナユタも、カシギも、ブレンでさえ彼女の諦めともとれる行動に歯を食いしばった。


「……は?」


 シュークは少女を見て目を丸くした。

 その目は次第に怒りに変わり、額には血管が浮き出る。


「は? は? は? は?」


「はぁーーーーーっ!?」


 キンキンと耳に響くそれは最早怒声どころか鳴き声であった。


「神を、神を神を……こんな下衆の民の光の下に晒すなんてェ……度重なる冒ッ涜ッ! いいかデゼス! 良く聞け!」


 シュークは剣を鞘に収め、懐から一冊の分厚い本を取り出す。どう考えてもこんな本を持ち歩いていては動きが鈍るはずだが、そんなことは微塵も気にしていない様子だった。


「──やがて、時満ちて、この地に翡翠の神の御足は触れられん。そのとき神は、朽ちることなき命を民に約束されるであろう。主は造られし自然を深く愛し、日々一片のパンを取り、一杯の水をもってその渇きを癒やされる。また水に身をひたし、静けさのうちにその夜を憩われる。見よ、主の御業によりて、陽の光は昼を照らし、火の灯は夜を導く。これらこそ、世を照らす永遠の光とならん──」


 静かに読み説いた後に、シュークは本をぱたりと閉じた。


「これが教えの基本だ!! 序も序だぞ!! それが、それが! 神をこんな人工の薄汚れた光に晒すだなんてぇぇ!!」


 滅茶苦茶だ。

 俺には宗教もこの男の気持ちも理解出来ない。

 だが、少女はその教えとやらの下で生活し、逃げ出し、助けを求めた。それは紛れもない事実だ。


 それをどう受け止める?


 俺は思う。もしかして、いやもしかしなくても、少女は普通の人間なのではないか、と。


 痛いし、気を失いそうだし、吐きそうだ。

 それでも。今にも泣き出しそうな一人の女の子が目の前にいるのに何もせず傍観するなんて、男のすることじゃない。

 何も知らない俺だって、それくらいはわかる。


「神よ!! 私がこの不届き者を罰します! しかと見届けてください!!」


 シュークがナユタの首に剣先を当て、血の球が浮かび上がる。

 それを妨害するように銃声が響く。ブレンの放ったその弾は、瞬時に振り向いたシュークの左手の前で止まり、垂直に落ちる。慣性が打ち消された。


「──何故、今撃つ。神聖な裁きだぞ!! 大人しく見届け──?」


 突然にシュークの腕が強く引かれる。

 いいや違う。引かれているのは剣だ。


 シュークは恐る恐る右手に握られた剣を見る。


「まさか、貴様──」


 ナユタの雪のように白くなった()()が、首に突き立てられた剣の刃をがっちりと握っていた。


 カシギは見逃さなかった。切り落とされたはずの左腕の断面から、新たな腕が蚯蚓(みみず)のようにうねり生える様を。

 初めて目にした不死の力であった。

 だが、何かおかしい。ナユタから新たに生えた手は明らかに普通の人間のものではなかった。

 それに、少女の様子が変だ。うずくまって、床をガリガリと引っ掻いて──何かに取り憑かれたように、唸り声を上げている。

 目の前で一斉に起こった奇怪な現象にカシギの脳は追いつかなかった。


「災厄の分際で神の力に(あやか)ったのかっ!! 貴様如きが!! 神は貴様如きの為に苦しんでおられる!!」


 苦しんでいる。神──少女が?

 ナユタの視界の隅に少女が映る。発作のように胸を抑える少女の姿がそこにはあった。


「その手を退けろ!!」


 シュークは必死に剣を引き抜こうとするが、ナユタの手から離れそうもない。

 シュークは苛立ちの末もう一本の剣を取り出すと、ナユタの首を目掛けて振り被った。


 宙に舞う。ナユタの首ではなく、シュークの身体が。


「──あ?」


 ナユタは左手一本でシュークの身体を振り払ってみせたのだった。

 シュークの身体は床に強く打ち付けられ、煙埃が舞った。

 カシギとブレンは咳き込みながら、その異様な光景をただ眺めることしか出来なかった。

 それはナユタも同様である。


「なんだこの腕……」


 剣の刃を握っても何故か傷一つ付いていない。

 この真っ白な腕は衣料品売り場で見た事があるような──そうだ、マネキンと同じ見た目だ。

 こう例えると非常に貧弱そうではあるが、少なくとも従来の力の数倍を軽く超越している。


 ナユタは突如として自身に芽生えた力に唖然としていると、シュークは左半身を傾けながらなんとか立ち上がった。


「災厄……! 神を……信仰を馬鹿にしたその罪は重い……!」


 立ち上がったものの、何か様子がおかしい。身体を支えきれておらず、左脚を引き摺っている。

 足が折れているのだ。それでも尚戦意を失わぬ姿勢は軍人としては評価すべきだが、ナユタとっては恐怖の対象でしかない。


「シュークだっけ。ここらで手打ちにしないか。もうあんたは戦えるような身体じゃ──」


 ナユタの甘えた言動にシュークはギロリと鋭い眼光を向ける。


「舐めるなよ災厄。不死の力を授かっているのは貴様だけでは無い。今にこれくらいの傷など──」


 ナユタはこのタイミングでようやく気付いた。

 シュークも騎士軍の人間である。つまり、福音の儀で不死の力を授かっているのだ。


 シュークは少女に目配せする。

 少女はなんとか落ち着いたらしく、息を切らしながらも床にへたりこんでいる。

 釣られてナユタも彼女を見るが、少女は怯えた眼をするだけであった。

 無言の間。何も起こらない時間がただそこにある。

 シュークの足は一向に治らない。

 ナユタにはその理由などわからない。ただ少女が治療を拒んだだけ、という可能性もある。だがそれは重要では無い。チャンスであるとだけわかれば十分だ。


「……シュークだったか。どうやらあんたは見放されたらしいな」


「か、神!! これは一体!?」


 シュークは狼狽えて少女に叫ぶが、彼女は顔を真っ青にして首を横に振る。私は何も知らない──そう言わんばかりに。


「いい加減気付いたらどうだ。その子はあんたの言う神なんかじゃないってことにな」


 理想を強要されていただけで、たまたま力を持っていただけで縛られ、利用され、崇められる。

 それを救世主呼ばわりなんて、愚の骨頂だ。


「これは何かの間違いだ!! 神はここにいる!! 見ていてください!!! 私がッ!! 私が神を、魔の手から救います!!!!」


 シュークの剣が高く浮かび上がる。丁度照明と被さって、ナユタの目にはそのシルエットが上手く捉えられない。

 奪い取った剣を慣れない手つきで構えるが、腰が引けている。


「シュークと剣で戦ってはいけません!!」


 少女がナユタに向かって声を張り上げた。


 ナユタの唯一の武器はこの変貌した左手だ。剣の心得など持ち合わせていないナユタが闇雲に斬りかかったところで結果は見えている。


「目には目を、歯には歯を。祝福には祝福を。彼の祝福に勝つには祝福です!」


 ナユタは剣を投げ捨てて走った。シュークの懐を目掛けて。

 サッカーで鍛えた健脚が光る時だ。


「神よ、これは試練ですか!? 良いでしょう良いでしょう! 神の期待に応えます!!」


 ナユタに剣が降る。


 螺旋を描いた剣はまるで弾丸のようにナユタの腹を貫いた。血が溢れ出して、臓器が滅茶苦茶に掻き混ぜられる。


「足を止めてはなりません! あなたが私の祝福を()()()にしたように、シュークにも同じように、あなたの祝福を!!」


 ナユタは横腹に開いた風穴を気にも留めず、ただひたすらに向かっていく。


「災厄……! 災厄!!!!」


 ナユタがシュークに届くまであとたった一メートル。


「ダメっ、後ろ!!」


 最初に気付いたのはカシギであった。だが、声を上げた頃にはもう遅い。

 先程身体を貫いた剣と、投げ捨てた剣。その二本の剣がナユタの心の臓を串刺しにした。

 前方へとナユタの身体が倒れる。


「ああっ……」


 少女は膝から崩れ落ちた。

 不死の力でも助かることはない──そう理解していたからだ。


「次こそは心臓を取った!! やりました!! 私が!! シューク・クレーナが災厄を討ち取ったのです!!」


 シュークは高らかに笑った。小さな店を包んでしまえるほどに大きな声で。


 ナユタは微かに残った意識の中、その声を聴いていた。


「さあ、共に帰りましょう。私達には神の力が必要なのです。もうこのような失態は演じません。神の力のためとあらば、私達は確実にあなたをお守りしますよ」


 シュークは得意げにふんぞり返って、英雄気取りに大きな態度をとった。


「守れて……ねぇだろうが」


 床に倒れ込んだまま呟いた。


「……あぁ?」


「おまえは一度だって彼女を守れちゃいない……でなきゃこの子がこんなところに居るはずがねぇ」


「死にゆく身の分際で知ったような口を聞くんじゃない。散り際くらいは美しくいるものだ」


「なあお嬢さん。あんたの命、俺に預けちゃくれないか。不死の為に守るんじゃない。俺はあんたを守る為に不死になってやる」


 ナユタは左腕を伸ばし、シュークの足を掴んだ。


「な……何故死なない!? 」


「ほら、こんなにも不用心なやつだ。守ってもらうには不安じゃないか?」


 不思議だ。これほどまでに身体はボロボロなのに、口はよく回るのだ。臓物は潰れて、血は蛇口を限界まで捻ったように垂れ流されている。

 でも、死なない。生きている。


「死なないなら首をたたっ斬るまで!! せいぜい苦しんで死ね!!!!」


 シュークは床に落ちた二本の剣を遠隔で操作し、ナユタの首に当てた。血で汚れた刃にナユタのほくそ笑んだ顔が反射している。


「もう遅い。俺の左手はあんたを逃さない」


 ナユタの身体が徐々に治癒していく。腹の傷に新たな血肉が湧き上がる。

 本来発動しないはずの不死の力がズタズタに引き裂かれた身体をあるべき姿へと回復させる。


 叫ぶのだ。力いっぱい、我武者羅(がむしゃら)に。


 さあ、喰らえ。


 俺の祝福を。



不完全(アイ・アム・)な白掌(ノット・イナフ)!!!!」



 眩い光が辺りに飽和した。

 稲妻が走ったかのように、腕がびりびりと震えた。


「妙な真似を!! するな!!」


 突然、二本の剣がナユタの首から離れ、その方向を変えた。


「な、なんだこれはっ!! 私の磁力砲(マグネット・マグナム)が!!」


 シュークの制御下から飛び出した剣は、自我を持ったように標的に狙いを定めた。


「不完全な世界へようこそ、なんて言ってみたりしてな」


 二本の剣がシュークの両肩に照準を合わせ、矢が放たれたように突き刺さる。

 剣の鍔にまで貫通するも、その勢いは衰えることなく、シュークの身体は壁へと打ち付けられ、宙吊りになった。


「クソ……クソクソクソクソクソ!! 災厄に信仰が屈するなどあってはならないんだああ!!!!」


 シュークは叫びもがくが、剣が画鋲のように身体と壁繋ぎ止めている。


「信仰する相手を間違えちゃ神も微笑んじゃくれないさ」


 完全に傷の癒えたナユタは少女の手を取り、笑いかけた。


「俺はナユタ。ちょっとした世間知らずな男だ、以後よろしく」


「私は……」


 少女は一瞬(ども)る。これは言っても良いものかという悩みが垣間見て取れる。

 それを見かねたナユタは、少女の両頬を押さえてみせた。


「名乗る時にそんな不安そうな顔をするもんじゃない。心配せずとも、ちゃんと聞いてるから」


「ふぁふぁひふぁ……」


 少女は喋ろうとするが、潰れた口が言うことを聞かず、へにゃへにゃの芯の無い声しか出ない。

 ナユタが慌ててその手を離すと──少女は初めて笑った。


「私は、セツナ……セツナ・マタタキ。人間の母から産まれた、人間です」


「御二方には色々とお話を聞きたい所ではございますが──まずは如何なさいますか。この騎士の処遇を」


 身を隠していたブレンがカウンターから顔を覗かせて言った。どうやら怪我はしていないらしい。

 ナユタとしてはもう少し戦いに協力して欲しかったが、穴だらけになった店の惨状を目にしてそれを言うのは酷である。


「神……助けを……!」


 みっともなくセツナに縋るシュークを見ていると、とても怒る気にはなれなかった。哀れ──そんな言葉が良く似合う。


「そうだな、国に突き返すのも怖いし、かといって解放しても殺されそうなんだよなぁ」


 ナユタはしばらく考えた後に、あることを思い着いた。とても良い考えを。


 ナユタはシュークの懐に腕を突っ込むと、一冊の本を取り出した。


「何をする!! それは私の神典だ!! 返せ!!」


 怒りを露わにするシュークを一切気に留めず、ナユタはパラパラと本を読み漁る。


 なるほどなるほど、全く、一文字も読めない。知らない言語だ。


「ブレンさん、火をつける道具ない? ライターとか、ガスバーナーとか」


「……悪魔の所業ですな。ライターとやらは知りませんが、こちらを」


 何かと思えば手渡されたのは猟銃であった。


「えーと、これでどう火を着けろと?」


「トリガーの上あたりにダイヤルがあります。そちらを赤に合わせていただければ」


 まさか、男のロマンが詰まっているのか。


 ナユタは神典を床に置き、ブレンの指示通りにダイヤルのつまみを調節した。


「待て、何をする気だ! やめろ、それの価値がわかっているのか、天罰が下るぞ!!」


 シュークは血相を変えて喚く。ナユタはそんなことお構い無しだ。


「わかっているのか!? じきに増援が来る!! その時には貴様の命はないぞ!!」


 さあフィナーレだ。


「やめろおおおおお!!!!」


「レッツファイア!!」


 掛け声と同時にトリガーを引くと、炎を纏った弾丸が銃口を飛び出した。分厚い神典を貫いたかと思えば、みるみる内に炎は拡がり煙を立てていく。


「あ……ああ……神の偉大なる教えが……」


 シュークの瞳には静かに燃え盛る炎の波が揺らめいていた。


「教え教えって、その肝心の教祖様を見てみろよ」


 シュークは虚ろな目でセツナを見る。


「この子が怒っているように見えるのか? これが自分の教えを踏み躙られた神の顔かよ」


 表情だとかそれ以前にセツナはその炎で暖をとっている。あまりの腑抜けた行動にナユタ自身、諭していて馬鹿馬鹿しくなる。

 だがそれが彼女が神などではないことの証明だった。


「では……神は……神はどこに……」


「さあな。だがあんたが今まで追っかけてたのは虚構でしか無かったってわけだ」


 ナユタが突きつけた現実はシュークにとっては受け入れ難いものであった。世に生まれて苦節二十年、目の前に現れた神。その神が神ではないことを知るまでに十年以上の歳月がかかった。


「災厄に気付かされるなんて……情けない」


「あとな!! 俺はデゼスでも災厄でもねえ!! ナユタだ!! 一般人だっての!!」


 ナユタは強く地団駄を踏みながら憤慨した。未だに正体のわからないデゼスとやらと間違われ牙を剥かれるのは理不尽と表現する他なかった。


「災厄……ではない……?」


「災厄ってより、最悪って感じよね」


 カシギはいつの間にかナユタの傍に立っていた。


「うわ、気絶してるのかと思ってた」


「失礼ね、ワタシはずっと起きてたわよ」


 ただ怯えて腰が抜けていた、とはとても言えず拗ねていた。


「その本を燃やした意味、本当にわかってる?」


「意味ってなんだよ。何が言いたいんだ?」


 ナユタは問いの意味がわからず首を傾げる。


神典(ソレ)失くしたら騎士軍から永久追放されるのよ。つまり、今この瞬間この人は無職になったの」


 なんてこった。いや、命を奪われかけたことに比べれば職なんて些細なことだが、ある意味では職は命よりも重い。蝶が羽をもがれたようなものだ。


「ホントだよ、酷いことをするヒトもいるもんだね」


 ナユタに悪寒が走る。知らない声だ。

 声の元、カウンターへと視線が集中する。端のカウンター席に座っていたのは極めて普通の青年であった。

 普通と言えば普通だが、服装だけが取ってつけたように浮いている。


 何故この世界で学ランを。


「ひゃっ!?」


 カシギは驚くと同時にナユタの背中にしがみついた。


「……なんかアンモニア臭いんだけど」


 ナユタはカシギの放つ臭いに嫌悪の目を向けるが、カシギはそれに構っていられる余裕は無いようだった。その証拠に小刻みに震えている。


「あ、店主さん、なんかお酒ちょうだい。ほんと何でもいいよ、お代先に払おうか? 今持ち合わせがいっぱいあってさー」


 青年は懐から大量の皮袋を取り出すと、カウンター席に中身を全て取り出した。

 その異様な光景に誰も声を出せない。

 一体彼がいつからそこにいたのか、何故平然としていられるのか、一つだってわからない。


「もしかして、これじゃ足りない? 仕方無いなぁ、これも付けるから頼むよ」


 そう言って青年がズボンの左右ポケットから取り出したのは、何百にも渡る数のピンバッジだった。その多くは銀色に輝いているが一部錆びているのか色がくすんでいる。


 ナユタはそれに見覚えがあった。シュークの胸に着いているピンバッジと同じものだ。


「……! 貴様、それをどこで!!」


 シュークが目を見開いて怒鳴った。先程まで意気消沈していたとは思えない声量だった。


「ああ、これ? なんだっけ、騎士軍の人達から勝手に貰ってきちゃった。 でもまあ別にいいよね、だって──」


「死人には必要ないでしょ?」


 笑い飛ばすように放った言葉の意味を誰もが理解した。

 ピンバッジは錆びてなんかいない。あれは、血だ。


 シュークは自身に増援が来なかった理由がわかった。


「あれ、ナイスジョークだと思ったんだけど、滑っちゃった。恥ずかしいなぁ」


 青年は顔を赤らめて頭を搔く。

 ナユタは痺れを切らしてずっと閉ざされていた口を開いた。


「あんたは、誰だ?」


「え、人に名前を聞く時は自分から名乗るものだと思うんだけどね。まあいいや、ボクはクライスだよ」


「そういうことを聞きたいんじゃない。あんたは一体何者なんだ、いつからここにいた!?」


「ちょっとキミ、ヒトには名乗れと言っておいて自分は名乗らないなんて、不公平じゃないか」


 クライスは眉を吊り上げて頬を膨らませる。ステレオタイプの感情表現に何か嫌なものを感じる。極めて打算的な、何かを。


「悪かった。俺はナユタだよ、ナユタ」


「うん、さっき聞いてたから知ってるかな」


 クライスはおちょくるような態度で自らの指先をくねくねと弄ぶ。ナユタの神経は逆撫でされ、段々と感情的になっていく。


「……何をしに来た」


「ボクは攻めか受けなら断然受け側なんだけど、質問攻めっていうシチュエーションは流石に興奮しないな。あと今キミが質問したんだから、次はボクが質問するっていうのが公平(フェア)ってものじゃない?」


 クライスはどこまでも飄々としている。


「わかった、何でも答えてやるから言ってみろよ」


 ナユタは若干挑発気味に言葉を発した。


「んー……」


 クライスは十秒ほど黙りこくって最後には満面の笑みをナユタに向けた。


「ごめん、質問するほどキミに興味無いや」


「……ああそうかよ」


 ナユタは怒りを通り越して呆れた。この男は自分をを馬鹿にしたいだけなのではないかと気付いたのだ。


「それより聞いてくれない? この国の騎士軍の人達って酷いんだよ。何十人単位でボク一人を寄ってたかって襲うんだ」


 クライスはため息を吐く。

 襲われたと言う割には、クライスの身体や服には傷一つ見当たらない。非常に奇妙である。


「そういうのって『不公平』だよね。許せないよね。そうだよね」


 クライスは急に思い立ったかのようにテーブルに向かうと、先程取り出した大量のピンバッジのうち一つを摘み上げた。


「ごめん、やっぱり一つだけ持っておこうかな。だってかっこいいもん、これ」


 そのピンバッジを胸に付けた時、シュークが怒りのままに叫んだ。


「それは貴様が付けて良いものじゃない!! 騎士の誇りを侮辱する気か!!!!」


「えぇ何? キミ達は付けてるのにボクが付けるのはダメってこと? それって『不公平』じゃないかな?」


 気が付けばクライスはナユタの手にあったはずの猟銃をシュークに向け構えていた。

 いつ奪われたのかすらナユタもシュークもここにいる全員がわからなかった。

 ただ壁に磔にされたシュークにとってその銃は死刑宣告のようなものだった。


「……っと、キミは動けないんだった。そんなところを一方的に撃とうだなんて『不公平』にも程があるよね」


 クライスは銃から両手を離し、床に落とす。


「ねぇ店主さん、そろそろ手を動かしてくれないかな? ボクはお客様だよね。お客様は神様だよね。そうだよね」


 この男を怒らせるのはまずい。

 冷や汗を垂らし尻尾を太くするブレンはとても酒など出す気にはなれなかったが、逆らう方がリスクであった。

 ブレンが無言で酒を作り始める様子をクライスは満足そうに眺めていた。


「そういえば、なんだっけ? ボクがここに来た理由を知りたいんだったよね。いいよ、教えてあげる」


 クライスは椅子から飛び降りると、呆然としていたナユタに近づき、額と額が繋がりそうなほどまで顔面を接近させた。


「誘拐だよ。誰をかは──言わなくてもわかるよね」


 グリンと首を捻りセツナを見る。不敵な笑みに、セツナは萎縮する。


「そんなに怯えないでよ。別に悪いようにはしないから」


「やめろ、子供を虐めるような真似をするんじゃない」


 ナユタがクライスの胸ぐらを掴む。

 その無鉄砲な行動にカシギの顔が青ざめる。


「……へぇ、子供ねえ。まあいいや、キミとやり合うならもっと公平な場が良いな。だってキミは一戦終えた後で疲れてるんだよね。そんなの『不公平』だよね。そうだよね」


 沈黙。場の空気は完全にクライスの私物と化している。


「ところでなんだけど、キミ達()()は良いのかな?」


 クライスが指差した先を皆一斉に見る。


 燃えている。床が。


「あ……」


 全ての者が火をつけた神典の事を忘れていた。かつて静かに揺らめいていた炎は音を立てて燃え盛り、建物にまでその身を移している。


「火事だァーっ!?」


 反射的に叫んだ。


「やべぇやべぇやべぇやべぇ! 水水!!」


 ナユタは慌ててブレンの元に駆け寄るが、ブレンは今この世に降り立った赤子のように、目の前の惨状を眺めていた。


「水じゃもう消せないって! ほら、天井にも燃え移ってる! 逃げるよ! お金持って!」


「おい貴様! 私の解放が先だ!!」


 各々が各々の主張に身を興じるパニック状態に陥る。


「んーと、どうやらお酒どころじゃ無さそうだね。お金は置いてくから次に会った時にはちゃんと飲ませてね。それじゃ」


 クライスは周囲の混乱に目もくれず、一人先に店を後にするのだった。


 数十分後、五人は完全に炎に包まれた店をぼんやりと眺めていた。


「血の海どころか火の海だね、これじゃあ」


「カシギ、黙れ、ホント黙れ」


「いや貴様が私の神典を燃やさなければよかったのでは……?」


「ナユタさん、でしたかな。きっちり全額、弁償してもらいますよ」


 ブレンは眉一つ動かさずに告げた。


 異世界生活一日目、ナユタは借金を背負った。

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