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1-1:傷と祝福

 午前四時四十分、雀のさえずりもまだ聴こえない時間帯。軽快車に乗り息を荒げる青年は必死な顔でコンクリートの坂道を駆け上がっていく。


「さみぃ……ねみぃ……帰りてぇ……!」


 新聞配達のアルバイト初日。学校にバレないアルバイトにありつけたは良いものの、夜更かしがデフォルトの非健康優良児には不向きであった。

 彼は自分の浅はかな選択を後悔しながらも、チェーンが回り擦れる音をBGMにひたすらにペダルを漕ぎ続ける。


 そうして辿り着いたのは築一ヶ月にも満たない高級マンションであった。辺鄙(へんぴ)な街には似合わぬ風貌で、周辺住宅への日照権を喰い漁るかのように見下ろしている。

 青年は頭のカチューシャを一旦外し、髪の汗を振り払って再度着け直す。

 停めた自転車のカゴからたった十五部程の新聞紙を取り出してビニール袋に突っ込むと、鍵もかけずにマンションの自動ドアをくぐった。

 エントランスでは集合ポストが物欲しそうな目で見つめているが、生憎新聞は玄関ポストに直接投函しなければいけないらしい。


「んーと、九階は0903(ゼロキューゼロサン)0908(ゼロキューゼロハチ)だったか……?」


 青年は配達予定先の部屋番号を唱えながらエレベーターの上階行きを示すボタンを押す。七から順に数を減らしながら光る数字を眺めながら、ボロボロの運動靴のつま先を整えた。

 狭い箱が到着を報せる音と同時に青年を出迎える。


 青年は九階のボタンを光らせた後、『閉』ボタンを────押した。




■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□




「おい、早く前詰めろよ」


 青年の身体を揺さぶる筋肉質な中年の男。

 青年はその衝撃で身体を大きく振るわせ、目が覚めた。正確に言えば、眠っていた訳ではない。心ここに在らず、空に意識だけを飛ばしていたような、そんな感覚だった。

 青年は今置かれている状況に困惑する他なかった。

 晴天の下、前後に続く数百人はいるであろう長蛇の列。後方に並ぶサーコートを着用した男がギロリと威圧的に睨みつける。


「いや待てよ、そもそもおまえみたいなやつ騎士軍に居たか?」


 男から出た軍という滅多に聞くことの無い単語に青年は違和感を覚える。いや、軍という言葉に違和感があったのではない。男がナユタを見て軍人の可能性を考慮した、その事実に違和を感じたのだ。


「仮にも式典だってのに奇っ怪な格好しやがってよ」


 指摘されたことに焦り、青年は自身の服装を必死に確認する。中学生時代の部活動での練習用Tシャツと、高校指定の体操服であるジャージパンツ。背中に『我武者羅(がむしゃら)』なんてお熱い文字が書かれているが、本来特段気にするような格好でもない。

 それより男の西洋かぶれで時代錯誤な装いの方がよっぽど奇怪だ。

 おかしい。何かが、いや、全てがおかしい。

 不自然な程に青い空。ラブホテルなんかよりずっと精巧で巨大な白城。テーマパークの類でないのならここはきっと日本では無い。

 それにも関わらず片手に引っさげたビニール袋だけがここが現実であることを強く語りかけるのだからたまったものではない。


「頭部に粗い縫い目……傷……? まさかおまえ……!」


 何やら男が真剣な面持ちで一人盛り上がっている。

 青年の頭部に縫い目なんてものは無い。不思議に思い頭部に触れると心当たりのある金属が手に触れた。


「ああ、縫い目ってカチューシャのことかよ。ほらよ」


 青年がわかりやすいようにカチューシャを外してみせた。

 男はぎょっとした様子で目をぱちくりさせている。


「かっ、カチューシャって貴族の従者の女が付けてる、あのヒラヒラのやつだろ。嘘つくんじゃねえよ小僧!!」


「ちげえよ、これはメンズカチューシャ、男用。俺の魂そのものだ」


「つまりおまえも貴族の従者なのか!? あの『絶望の(デゼス)』が!?」


「なんでそうなる!? そんでデゼスって何だよ!?」


「──あ? 違うのか?」


 イマイチ会話が成り立たないが、一つはっきりしたことがある。

 薄々感じてはいたが、ここは自分がいた世界ではないということだ。貴族という概念からして日本では無いはずだが、何故か日本語が通じてしまっている。

 これだけでは確信に至る要素は無い。

 だが青年は聞いたことがあった。とある現象を。


 ──これが噂に聞く、異世界転生──いや、異世界転移ってやつか。


 妙に簡単に納得する。


「おいおまえら!! さっさと進みやがれ!!」


 男の更に後ろの方から怒声が響く。青年はイマイチ訳のわからぬままに、カチューシャを手に持ったまはま流れに沿って歩いた。


「デゼスじゃないってんなら、おまえ名前はなんていうんだ」


 男は歩きながらも青年に問う。

 男の強面にほんの少し怯えながらも青年はその口を開く。


「俺の名前か? あー、えーと……」


 青年は迷った。異世界での立ち回りの正解がわからない。気軽に名前を教えてしまってもいいものだろうか。この世界には顔と名前さえわかれば生命を奪える魔法(ノート)だって存在するかもしれない。


「そう、ナユタ! 俺の名前はナユタだ!」


 青年が咄嗟に思いついたのは高校での渾名(あだな)であった。

 男はナユタが名前を答えることに躊躇うその様子を不審に思ったものの、それを言葉にはしなかった。


「ナユタねぇ。やっぱり聞いたことねぇな。格好も変だしひょろっちいし……もしや新参か?」


「いやそもそも俺は軍人じゃ──」


 ここまで言いかけてナユタは言葉を止めた。

 男が自分を軍人だという前提で話を進めていることには理由があるはずである。それはこの列には軍人しかいない──もしくは軍人以外は()()()()()()()のでは無いだろうか。


「つまんない質問で悪いんだけど、これって何の式典だったっけ……?」


「おまっ、そんなことも知らずにここに来たのか!? 出陣前の福音(ふくいん)の儀だよ!!」


 更に知らない単語が出てきてしまい、ナユタは相槌すらもせずに立ち尽くす。


「おまっ、おまっ、おまっマジか。マジか。福音の儀も知らずによくこの国で生きてこられたな!?」


 その福音の儀というものはこの世界では一般常識らしい。信号の赤は止まれ、青は進めという知識となんら変わりないのだろう。

 しかしナユタはこの国育ちでは無い。当然知る由もない。


「しゃあねえ。世間知らずのお坊ちゃんにこのオレが優しく教えてやる。福音の儀はな、他国との戦いに出向く前の事前準備なんだよ」


 男は列の先頭を指さす。ナユタはそれを目で追うと、そこには玉座に座る、白衣に身を包んだ淡い緑髪の少女の姿が見えた。その両隣にはいかにもな鎧を着たボディーガードが雄々しい顔で直立している。


「あの方に触れてもらうことで祝福をかけてもらうんだよ」


「祝福? 祝ってもらうのか? 新しい門出に?」


 ナユタは日本語として言葉の一つ一つを受け取るが、生まれが違えば文化も違う。

 ナユタの的外れな質問に男は顔を引き攣らせた後にため息をついた。


「……要は、擬似的な不死を与えてもらうんだよ。あのお方にな」


 優しく教えると宣言したはずの男は説明を投げ出すことを選択した。

 ナユタは男の雑な言葉を懸命に咀嚼する。不死を与えるという不自然な文脈を紐解くのである。


「ああ、祝福って特殊能力の類か! だからあの女の子に強化(バフ)を……いや待て、不死付与(アンデッドバフ)って強すぎねえか?」


 異世界序盤で巡り合うには強力すぎる能力ではないだろうか。インフレーションの末に迎えるのは十中八九ろくな未来ではない。


「強すぎるからこうやって皆こぞって恩恵を受けに来てるんだろうが。ほら、言っている間にもうすぐおまえの番だぞ」


 ベルトコンベアーのように歩いていく内に、ナユタの前に並んでいた大量の人々は、僅か三人にまで減少していた。

 そこから一分も経たぬうちにナユタの番は回ってきた。

 玉座に座った少女は眉ひとつ動かさずにナユタを見下ろしている。冷徹とは違う、熱の無いネイビーブルーの瞳。小学生程には幼く見えるというのに、無邪気さなんてものは持ち合わせていないらしい。


「……手を」


 少女は両手をこちらへと伸ばした。ナユタは手のカチューシャを新聞の入ったビニール袋の中に放り込み、握手をするためその手を取った。

 すると、彼女の両手がナユタに触れると同時に光を放ち、電撃のような鋭い痛みが両者に走った。


「ぎゃっ!?」


 ナユタは情けない声を上げながら後方へと尻もちを着いた。少女は信じられないものを見たかのよう に目を丸くして見つめていた。

 

「終わったらさっさと退く!!」


 ボディーガードが凄んだ。痛くて痛くて涙さえ出そうなのに、薄情なものだ。

 ナユタは不機嫌ながらも重い腰を上げて列の外へと歩いた。


「さて、なんか成り行きで不死になったわけだけど、俺はどうするのが正解なんだ?」


 ナユタは目的も目標もない。たまたま何かの要因でこの世界に迷い込んだだけである。

 周囲を確認すると、ここが円形状の高い塀で囲まれていることがわかった。

 出入口はどうやら一つだけで、せいぜい大人一人がギリギリ通れる程の狭さであった。

 門番も二人設置していることからして、恐らく侵入者を防ぐためだろう。それにも関わらず侵入者はここに一人いるのだが。


「とりあえずここから出ないことには始まらないよな」


 ここでただ時が経つのを待っていたところで何も得るものはない。何よりこのままでは食べ物にも寝床にもありつけない。頼れる人間もいないこの世界では死活問題だ。


「よし、じゃあいっちょやるかーっ!」


 ナユタは独り言で心身を奮い立たせて、未知の世界へと踏み出すのだった。




■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□




 街を行き交う人々が白い目で見てくる。その感覚にナユタは気が気でなかった。

 子供の声があちらこちらから飛び交う街の賑わい方は極めて健全であると言える。


 むしろこの街において健全でないのは俺の方なのでは──


そんな考えもナユタの脳裏にはちらついていた。

 こんなことならば、福音の儀で会った男に頼るべきだったと後悔が押し寄せる。

 せっかく入れたはずの気合もたった十分あまりで空気の抜けた風船のように萎んでしまった。


「駄目だ駄目だ。ネガティブは俺を殺す!」


 ナユタは両頬をパチンと叩いて気合いを再注入し、腕から提げたビニール袋からカチューシャを取り出した。


「やっぱ俺にはこれがなくちゃ話にならねえな」


 そんな根拠の欠片もない言葉を吐きながらカチューシャを装着する。

 装着すること自体に意味は無いはずだが、ナユタ本人にとってだけはどうも違う。彼にとってのカチューシャは最強の装備で、着けるだけで自信が上がる。

 それが外見的な意味で得られている自信なのか、はたまた一種のルーティンとして得ている自信なのかはナユタにもわかっていないのだが、彼にとって自信の由来など心底どうでもいいのだろう。


 やる気は出た。とにかく情報収集に徹してみよう。そうだな、この街の名前とか無難な質問からにしよう。


 ナユタは拳を握りしめ、意を決して一人の女性をロックオンする。木製の買い物かごを持った若々しくて、おっとりとした顔をしていて非常に狙い目の女性である。

 もはやナンパのような選考方法であるが、今のナユタに下心は一切ない。ただ優しそうな人を選んだだけである。


「あのーすみません」


「はい?……ひっ!?」


 至って普通に声をかけた。実際女性の反応も普通以上の感想が出てこない。ただそれに続いてナユタを一目見た時に漏れた弱弱しい悲鳴が不穏であった。

 そしてその不穏さは逃げるように走り去ったその女性の背中へと変貌したのだった。

 ナユタは数秒呆気にとられたが、余所者に対しての警戒として考えれば妥当であると割り切った。


「そんなに俺って怖いのか……?」


 どうやら完全には割り切れていなかったらしいが、ナユタの頭の中は既に次のターゲット探しへと移っていた。

 大通りの対岸で骨董品を売りに出している中年の男。先程からこちらをじっと見つめている気がしていたので、会話に応じてくれるはずだ。

 男の方へと体を向けて一歩踏み出す。すると男は野獣にでも遭遇したかのような形相で何処かへと走り去ってしまった。

 あまりに焦っていたのか、男は立ち上がった際にあちこちに体をぶつけ、売り物の壺の一つが台から転げ落ちた。

 ガシャンと音を立てて割れた壺は大通り一帯の視線を独り占めしてしまった。


「よくわかんねえけど、これ弁償とかさせられねえよな」


 ナユタは能天気な心配をしていたが為に、周囲の異常なまでの反応にすぐには気付けなかった。

 次のターゲットを探そうと振り返った時には、既にナユタを見る視線は無かった。既に誰一人として大通りにはいなくなっていたのである。


 妙な静けさが漂う。まるで模型のように、息をしていないようだ。

 数分間歩いても大通りにはもう人はいない。幻覚でも見ていたかのような気分だ。


「あ、キミキミ! いいところに見っけた!」


「お、俺か?」


 突然陽気な女性の声が耳を刺す。ナユタは「あんた」とやらが自分を指しているのか疑いつつも、細い路地から顔を覗かせる女の子に視線を向けた。

 赤みがかった髪を両サイドに垂らして、子供のような無邪気さを兼ね備えた笑顔で頷いている。

 どうやらナユタを呼んでいるということで間違いないらしい。


「ちょっとだけ、来てくれない?」


 彼女は暗がりの方へ手招きしている。


 知らない街で知らない女の子に声をかけられるというシチュエーション。


 超が頭に着くほどに怪しいが、今話が出来そうな人間は彼女以外にいない。

 それに、ナユタも思春期真っ只中の男だ。明るくて可愛い女の子に話しかけられれば嬉しくて舞い上がってしまうのも自然なことである。


「全然わかってないけど、わかった!」


 ナユタは猫じゃらしに飛びつく猫のように、彼女の後を追った。




■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□




 ネガティブは(ナユタ)を殺す。

 そして、好奇心は猫を殺す。


 ナユタは命の危機を感じていた。


「おい、ハッパの在庫はもう無ぇのか!?」


「おまえがさっき吸ったアレが最後だよ、クスリなら余ってるけどな」


 女の子に連れられて入った小さな酒場では、全身毛に覆われた大柄の男達が下品な喧嘩を繰り広げていた。

 おそらく種族は人間では無い。酒の臭いと独特な獣臭が混ざりあって、鼻の奥をかき乱す。

 何故この女の子は平気な顔でいられるのか不思議で仕方ない。


「やあやあ、またショーブしに来たよ! スペシャルゲストを添えてね!」


「また金をむしり取られに来たのかよカシギ。言っておくがオレたちゃ女だろうと容赦しねえんだぞ?」


 どうやら女の子の名前はカシギというらしい。

 屈強な男たちは女の子──カシギを小馬鹿にして嘲笑する。

 ナユタにはそれが何の勝負なのかはわからないが、とにかく危険な香りがした。今すぐ逃げろと胸のサイレンが鳴っている。


「あの、俺、ちょっと野暮用が出来たから、えっと、帰るわ!」


 ナユタは挙動不審な態度のままカシギに背を向け、出口の扉に手をかけるが、首元を掴まれて引き戻される。


「ぐぇっ!?」


 首が絞まり、潰れたカエルのような声を出す。

 カシギは眉間に皺を寄せてナユタに耳打ちをした。


「堂々としてなさい、ちゃんと分け前はあげるから」


「おっ、なんだ。今日はボーイフレンドに守ってもらおうって……あ!? その頭の傷!?」


 男たちはナユタを目にしてわなわなと震えだし、軽いパニック状態になった。唯一落ち着いているのはカウンターでグラスを磨く店主らしき老爺であった。

 店主は一切ナユタらに目もくれず、灰色の猫耳をぴょこぴょこと動かしている。どうやら彼も人間では無いらしい。


「そう、こいつはかの有名な絶望のデゼス! ワタシの友達(ダチ)!」


 カシギが滅茶苦茶な紹介をする。絶望のデゼス。この世界に来てからその名を耳にしたのは二回目だ。

 その名を聞いて怯える者、身構える者、逃げ出そうとする者。少なくとも客の中に平静を保っている人物は見当たらなかった。無論ナユタもその一人ではあったのだが。

 その状況を見かねたカシギが呆れて口を開く。


「落ち着いて。別にデゼスを連れて仇討ちに来たってわけじゃないから。言ったでしょ、またショーブしに来たって!」


 そう言うと、カシギは懐から皮袋を取り出し、円形のテーブルの上に差し出した。


「これがワタシの全財産。それと──デゼスの首も掛けて、ポーカーでショーブしよ!」


 どうやら勝負とは博打のことを指していたらしく、生命が担保されたことにナユタは胸を撫で下ろす────が、全くもって安心出来るような状況下では無いことにすぐに気が付いた。


 デゼスの首って、(ナユタ)の首のことだよな。


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