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07

 

「奥様……本当によろしかったのでしょうか……」


 カタカタと回る車輪のリズムに耳を傾けながら、静かに小窓から流れる景色を見ていた私に、侍女が恐る恐る声をかけてきた。


 私はイクセルに会うことなく、町を出た。


 もはや生き物の顔色ではない責任者には、私の訪問をけして口外しないように言い含め、それを知る者にも黙らせるよう依頼した。

 私が前線に出したイクセル宛の手紙も、必ず回収して捨てるよう約束させた。


 私は町には行かなかった、ことにした。

 なので、イクセルの休暇も不倫旅行も私は知るはずもない、ことにした。


 護衛が町で少し聞き込んできただけで、二人は町からさほど離れていない湖畔の村にいるらしいことが分かったけれど、乗り込んだところでどうなるというのだろう。


 私の知るイクセルは、私の愛したイクセルは、こんなことをする人ではなかった。

 変なところで面倒くさがりで肝心なところでうっかりすることや、裏切られた経験からか厭世的(えんせいてき)なところもあったけれど、根が誠実であることは間違いなく、周囲から愛される人柄だった。

 たとえ私から気持ちが離れたとしても、私との関係を清算するまでは自分を律するだろうし、婚約してからずっと領地のために……イクセルのために働いてきた私を(ないがし)ろにすることもなかっただろう。


 突きつけられた現実に、そのイクセルは本当に私の夫のイクセルなのかと疑いたくなる。


 疑ったところで現実は変わらなくて。


 私とイクセルが過ごした日々をかき集めても、イクセルとシャルロッテが共に過ごした時間の方が長いのではないだろうか。

 ドゥエルになって八年という月日と魔物との戦いという過酷な前線で、彼はもう私の知る彼ではないのかもしれない。


 悲しいし怒りも湧いているのだが、心が動かず鈍くしか感じていない。

 まるですべての出来事が自分を置いて動いているかのように感じていた。


 シャル。


 甘く私を呼ぶ彼の声。

 それももう聞くことがないかもしれないと思ったら、笑いそうになった。


 私の名はシャルロッタ。

 この国風だとシャルロッテだ。異国の読み方をするのは、異国から嫁いできた祖母の名前をもらったから。


 そう、シャルロッテと国の違いで音が違うだけで、シャルやロッティと呼ばれる同じ名なのだ。

 現に、シャルロッテはイクセル以外の周囲からは「シャル」と呼ばれているらしい。イクセルだけが、それは妻の名だからと彼女のことを「ロッティ」と呼んでいる。


 ひとりだけ皆と違う呼び方で呼ぶ。それはさぞ周囲からしたら特別な関係に見えただろう。


 そうして二人の仲が囁かれるようになると、私とシャルロッテを区別するために、(ちまた)では私を「じゃない(ほう)」と密かに呼ぶようになっていったのだ。

 まあ、王家に贔屓(ひいき)された成金伯爵家への(ねた)(そね)みが私に向いたのもあるだろうけど。


 自分の名前なのに、シャルじゃない方。正真正銘の妻なのに、側にいる方じゃない方。


 愛されている方じゃない方。


 そう呼ばれていることにとても傷付いていた。

 目の前で言われれば応戦のしようもあるが、実体のない悪意になんて立ち向かいようがなくて、ただ胸を張って背筋を伸ばして領地と商会の経営に精を出すしかなかった。


 大きな流れには抗えない。

 その場で自分のできることをやるしかない。

 そうやってずっと生きてきたから、これからもそう生きていくのだろうし、私はそうする他の(すべ)を持たない。


 国王陛下に頼まれたからと娘の結婚を決めた父の言うことに従ったように、イクセルに離縁を言い渡されれば、ただ、従うだろう。


 私は、無力だ。


 背にもたれると、馬車の振動が背を(さす)ってくれているようだった。

 泣きながら静かに笑う私に、侍女がたまりかねて嗚咽を漏らした。


 私のために泣いてくれる人がいる。

 心はやっぱり鈍くしか動かないけれど、とてもありがたいことだと思った。


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