06
前線を訪問するには国の許可が必要だが、町に行くのは自由だ。
私はひとまず町に入り、前線の訪問許可が下りるのを待つことにした。
町に到着して夫に手紙を送る。
会えないと思っていたのに、私がもう町にいるなんて夫は驚いて喜んでくれるだろうか。それとも困るだろうかと、少し不安でもあった。
同時に前線の責任者宛にも、夫が世話になっている礼とともに、町に滞在しており、許可が下り次第前線を訪問したい旨をしたためた。
その手紙を出してすぐさま、宿泊している町の宿で借り受けた応接室にて、その責任者が死刑宣告を受ける罪人のような顔色で立っていた。椅子を勧めたのに、立ったままだ。
「夫が、いないということでしょうか?」
「は、はい。イクセル・ドゥエル様は現在休暇中でして……」
「休暇? 夫からは今年は帰郷できないと連絡があったので、私がこちらに伺ったのですが」
責任者が「ひぃっ」と息を吸った。
失礼な。私の何にそんなに怯えることがあるというのだ。
「私からは、それしか申し上げられません……」
拭っても拭っても吹き出してくる脂汗を諦めずに拭いながら、消え入るような声で責任者が言った。
悪事千里を走るというのは本当のことで、聞こえてくる夫の噂を信じてはいなかったけれど。
信じていないままでいたかったけれど。
覚悟が、必要かもしれない。
私は気付かれないように浅く息を吐いて責任者に尋ねた。
声が少し震えてしまった。
「シャルロッテ様はこちらに?」
私の問いに、責任者の顔色が土気色になった。
シャルロッテ。
私が何度もドゥエルを返上して帰ってきてほしいと夫に願っても、「ロッティがまだ天啓を受けていないから」と延ばし延ばしにされてきた理由。
ロッティ、ね。
夫はシャルロッテが天啓を受けるまで引退しないつもりなのだろうか。
そもそも、天啓を受けるよと天啓を受けてからもう八年である。シャルロッテは現在十八歳。いつまでこの状態なのだろうか。
国の安全という視点から見れば、一子爵領のことなど些事かもしれない。だが、ドゥエルになったからといって夫は領主である。大切に大切にしてきた領地よりも、私よりも、その人を重んじるのか。
最初は小さな不満だったが、今では瘴気を発する底なし沼のように私の中に不満が溜まっていた。
そんな思いを、ドゥエルとして前線に立つ夫にはぶつけずに呑み込んでいたというのに。
「……二人とも揃って休暇、ということなんですね……?」
責任者は何も言えずに俯いた。
正真正銘の妻相手に、部外者には話せないと簡単に断ることができないからだろう。ドゥエルの身内からの問いに対して虚偽も言えない。
黙るしかないのだ。
それが、もう答えだ。
「二人で休暇を取って、ここにはいない。……まさか旅行? ……ふたりで……」
十八歳差の二人は親子ほど歳が離れている。だが、夫は二十八歳でドゥエルとなり時が止まっていることを考えると、十八歳と二十八歳。私と夫と同じ歳の差だ。
最初は使命感で共にいる仲間だとしても、やがて友愛や親愛を持ち、そして恋愛に発展していってもおかしいことはない。
現に、ここ一年ほどはそういう仲だと私の耳にも入るほど仲睦まじく共にいるという。
国防がドゥエル頼みであることは皆が知るところであり、その身を前線に置き、魔物たちと戦ってくれているドゥエルは何よりも尊重される。
妻のいる身で若い女性にのめり込む男など通常は眉をひそめられるところだが、極限の地で芽生えた愛に、身分も歳の差も妻帯していることさえも乗り越えたロマンスとして、静かに国民に浸透しつつあった。
ゴシップ好きの庶民たちがキャーキャー騒がないのは、私の存在があるからだ。
婚約者時代から領地の立て直しに参加し、結婚した翌日にドゥエルとなった夫を見送り、以来、領主夫人として領地を守っている私のこともまた、よく国内に知られているのだ。
良識ある人は静観し、下世話な人は『じゃない方』と私を呼んで密かに面白がっているのを知っていた。
目の前が暗くなって膝をつく。
責任者や護衛たちが何か言っているのは分かるが、耳鳴りがして言葉が拾えない。
夫は、私の誕生日……愛を誓い合った結婚記念日に、私の側にいることよりも他の女性の側を選んだ。
その現実がここにある。
私が十八の時、夫は側からいなくなった。
領民の生活という重圧に押しつぶされそうになっても、歯を食いしばって私は立っていた。
寂しくても怖くても辛くても腹が立っても、声が震えないように、手の震えを悟られないように、背筋を伸ばして立っていた私の側に夫はいなかったのに。
シャルロッテが十八の時には、その側には私の夫が……イクセルがいる。イクセルが選んで、そこにいる。
後継ぎ後継ぎとうるさい妻ではなく、イクセルはただ愛情のままにシャルロッテの側を選んだのか。
薄氷のように削られてヒビだらけだった私の心が、粉々に砕け散っていった。