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 あの時、私は死んだ。

 (たち)の悪い風邪を引いて、あっという間だった。元々、病気で身体が弱っていたのもあったかもしれない。


 死の瞬間は覚えてはいない。

 気が付くと、私が願ったとおりに母が手を引いてくれていた。

 肖像画で見ていた母そのままの姿形(すがたかたち)で、気のせいではなく手から温もりが伝わってきて、抱きつくとより温もりが感じられた。


 真下に伯爵邸が見える。

 屋根があるのに、なぜか中の様子が手に取るように見えた。


 目を閉じた私の身体は光に包まれていて、傍らにはイクセルがいた。


 なぜここにイクセルが?

 まさかドゥエルの癒しの光を私に?


 なぜ?


 そんなことをしたらいけない。

 そんなことをしても、もう私は死んだ。

 なくなった命はどうやっても戻らない。


 なぜ、今更?


 止めないと。

 止めないと、皆にも(とが)が及んでしまう。

 止めないと。


 そう、思うのに。

 私は久しぶりに見るイクセルをただ見つめるだけだった。

 私に愛を囁いてくれていたイクセルと変わらぬ姿。中身は私の愛したイクセルではないけれど。

 死地への旅に出てしまったからか、私の感情は全く起伏しなくて、ただ平坦だった。心と感情が切り離されて、サラサラと崩れている感覚がある。


 こうやって世界に溶けていき、『私』でなくなっていくのかと、理解した。

 あんなに恐れていた悪い感情が心の奥底に涌いてきているのを確かに感じているけれど、他人の呪詛を聞かされているようで、やはり心は(なぎ)のまま。


 私の両側から手を握り縋りつく父と兄。俯く義姉にしがみつく甥っ子。そして何かを叫びながら手をかざすイクセル。


 屋敷の中は見えても声は聞こえない。

 名を、呼んでくれているのだろうか。

 もしも呼んでくれているとしたら、最期に聞こえた声は幻聴ではなかったのだなと思いながら見ていると、一台の馬車が伯爵邸に着いた。停め方から大分慌てていることが分かる。

 扉を開けて一人の女性が降りてきた。


 ()いでいた心が跳ねた。

 もう動いていない心臓の音が耳に響くみたいに、跳ねている。


 会ったことのない二十歳くらいの女性。

 町に出回る絵姿で見たことはある。


 なぜ、あの人(シャルロッテ)がここに?


 イクセルを追いかけてきた?

 夫を奪っただけではなく、大切な人たちの暮らす私の領域(実家)まで泥靴で踏み荒らすつもりか。


 そんなの許さない。

 どこまデ私ヲ苦シメルノカ。

 私ノ幸セヲ壊シタダケデハ気ガ済マナイノカ。

 許サナイ。

 絶対二許サナイ。

 オ前ガシネバイイノニ。

 オ前モイナクナレバイイノニ。

 消エロ……キエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロ……。


 心の奥底が渦巻き、あっという間に濁流になって私を呑み込んでいく。

 震える指先から黒く染まっていった。







 ぐい。


 手を引かれた瞬間、全てが一時停止して我に返った。


 母が、私を見て微笑んでいた。


 あ……。

 ……危なかった。

 私、今、私じゃなくなっていってた……。


 パラパラと黒くなった()が剥がれ落ちていく。


 母を見返すと頷いて、更に手を引いてくれた。


 私も頷き返した。


 もう……行こう。

 もう、これからは私のいない時間が流れるのだから。

 もう……いい。

 全部、もういい。


「待って!!」


 私に声をかけられるはずもないのに、思わず見てしまった。


 瞬間、シャルロッテと目が合った。


 私が見えているの……?

 え、なんで!? 精霊師だって亡くなった人が見えるなんて話は聞いたことがない。


 驚いていると、シャルロッテが私に向かって両手を差し出しながら走り寄って来た。


「ダメ! ……嘘、嘘!! 行っちゃダメ!! 待って、ねえ待って!! 早く戻って!!」


 私と母は空の中にいるから、シャルロッテの手は届かない。


「ダメよっ……!! 違うの……そんなつもりじゃなかったの……!! 違う、違うのっ……!!」


 腰が抜けたのか、シャルロッテはへなへなと地面に座り込んで、両手で口を覆って、瞬きもせずに私を見ていた。


 何が、違うのか。

 私は死んで、もう行く。


 もう心に黒い渦は生まれない。


 私はそこに(とど)まることなく、ただただ温かい母の手に引かれ、とても静かな空を抜けていった。


 絶叫が響いていたけれど、もう振り返らなかった。


 母を感じながら、大地を見下ろし渡る鳥に添い、海の上を泳いで虹の中に潜ると、不思議な空間にたどり着いた。

 白でもない明るくもない、ただ清らかな空間。


 そこには、神様たちがいた。


 数え切れない柱が多重の円になって立っているその中央に、母が私を伴って着地した。


 なんだろう。魂の本能なのか、疑いようもなく、姿は柱でも皆この世の神様たちだった。


 声が響いた。


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