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この国は常に魔物たちとの戦いを余儀なくされている。
昏い穴から突然這い出てくる魔物たちは、人や動物を襲い、大地を踏み荒らし、水を濁らせる、災厄だ。
人が対抗するには被害を覚悟して数で押して戦うしかない。
そうやってずっと人は戦い続け、壊滅の危機を乗り越えてきた。
ある時、魔物たちと戦い続ける人間を哀れに思った神の一柱が、神の力に耐えうる器を持つ人間に自らの一部を宿した。
するとその人間は、神の力の一部を行使できるようになったのだ。
人間は精霊の力を借りて炎や水を生み出すことはできても、精霊の力は攻撃には向かず、それまで魔物たちとの戦いは剣や斧などの肉弾戦が主で、前線はまさに命の消耗戦だった。
そこへ、神の力で光の矢を放ち、魔物たちを倒す者が現れたのだ。
神の光を纏う神の一部を宿す者、ドゥエル。
ドゥエルの纏う光は矢となって魔物たちを倒すだけではなく、降り注ぐ光に触れた者の傷を癒やした。
ドゥエルが出現してから、防戦一方でじりじりと領土を削られるだけだった魔物たちとの戦いは、前線を押し返して更に保つことに成功した。
国を背に、前から魔物たちが来れば討つ。来なければそれでいい。
兵士たちと歴代のドゥエルが前線で睨みを利かせることで、その背に守られながら人々は安寧を得られるようになったのだ。
ドゥエルはいわば役職のようなもので、生まれついてなるものではない。
ある日、性別年齢貴族平民に関係なく天啓を受け、誰に言われるでもなく己の役目を認識し、自ら前線に赴くのだ。
やがて、人の身には過ぎた神の力に身体が耐えられなくなるまで、神の力の一枝を宿す器として魔物たちと戦う。
ドゥエルである間は神とつながっているためか、人間としての時間から切り離されてしまう。
歳も取らなければ病にも罹らず、頭部さえ無事であれば死にもしないという。
ドゥエルである間は男女ともに子をなすこともなく、睡眠も飲食も排泄も必要としなかったが、はじめの頃のドゥエルが「人であることを忘れたくない」と神に願うと、睡眠と飲食排泄は復活した。子をなせないことに変わりはなかったが、ドゥエル本人が神に望めば、まだ神の力に器が耐えられたとしてもドゥエルを返上できるようになったのだ。そうして故郷に帰り、伴侶との間に子を望む。
そう、本人が望めばドゥエルは辞めることができる。
ドゥエルは、初代から連綿と常に存在してきた。数人の時もあれば十数人いるときもあり、交替で休暇もある。休暇をまとめて利用して里帰りするドゥエルも珍しくない。
ドゥエルの天啓を受けた者は、その日から家名ではなくドゥエルを名乗る。
我が夫、イクセルもエクルンド子爵ではなく、イクセル・ドゥエルとして現在生きているのだ。
イクセルが天啓を受けたのは十年前、私との結婚式の翌日だった。