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 顔を上げると、また風が私の髪をクルクルともてあそんだ。精霊の気配がするから、髪の毛を遊ばれているのだろう。

 私は精霊師ではないので、その力を借りることも、姿を見たり声を聞いたりもできない。だが、精霊師以外の者は大抵がそうであるように、ああいるのね程度には気配を感じられる。

 亡くなった人がどんな存在になるかは分からないが、魂だけになって精霊に近しい存在になるのだとしたら、母の気配はきっと分かる。来てくれたら分かる。

 もしも母が既に生まれ変わっているなら、この声は届かないかもしれないけど、どうか届いてほしい。


「シャル!!」


 いきなり名を呼ばれ、声に驚いて振り向くと、駆け寄ってくる父と兄の姿が見えた。

 帰るのは未定だったはずなのに、義姉が知らせてくれたのだろうか。


「……泣いているのか」


 息は上がって、髪も服も乱れて、母の墓前で座り込んで泣いている私に、どうしたらいいのかとオロオロする二人。

 二人のこんな姿を見たことない。


 あれ……もしかしなくても、私……とても大切にされているんじゃ……。


 もう幼い子どもじゃない。

 他人の感情を見誤ることも少なくなった。


 会うたびに髪が白くなっていき、顔や手に皺が刻まれ渋みを増した父。母が亡くなってからは再婚もせずに独り身だ。それはなぜかと聞いたこともなかったが、急に思い出した。

 私が言ったのだ。いつかは覚えていないけれど、「お母様は世界に一人だけ」だと。

 まさか真に受けて、律儀に独身を守っているのか。

 それに兄にも、「私のお誕生日、忘れないでね」と言ったことを思い出した。

 だから、今でも必ず送ってくるのか。婚約して家を出た後も、あまり会話もなく好みもよく知らない妹に毎年選んでカードを添えて。


 二人は、たぶん、ただの不器用だ。

 母親を失った幼子にどう接すればいいのか分からなかっただけで、きっと、ずっと、私を大事にしてくれていた。


 トン。

 そっと背中を押された気がした。


 あ、……気配。


 たまらず立ち上がり一歩踏み出した私は、その勢いのまま二歩目を出し、父に抱きついた。


 父はピシッと固まった後、恐る恐る私の背中に手を回してくれた。


「噂を……聞いたのか?」


 商売は情報が命。当然前線でのイクセルとシャルロッテの話や諸々の噂は知っているのだろう。


 トン。

 また背中を優しく叩かれた気がした。

 風の精霊とともに感じる微かな気配。

 気のせいかもしれない。

 気のせいでもいい。

 それはまるで、怖い夢を見て泣きじゃくる幼い私をあやしてくれた、母の仕草のようだった。


 その感触に勇気をもらって、私は父と兄にこれまでのことと……これからのことを話すことにした。

 狭い敷布に三人並んで母の墓前に座り、両隣に座った父と兄がそっと繋いでくれた手のぬくもりにも勇気をもらった。


 話していくにつれて、父と兄の形相が憤怒を極め、傭兵を一個師団雇ってエクルンド領に向かおうとしたので、慌てて義姉を召喚した。

 身重の義姉を外の地べたに座らせるわけにはいかないので、応接室に場所を移した。


「あらまあ」


 私たちの顔を見て、ポツリポツリ話を聞いただけで、義姉はほぼほぼ話の流れを察したようだった。状況の把握力がすごすぎるだろ。


「つまりは、シャルが二十五歳の誕生日を最後に約三年、イクセル・ドゥエル様とは会っていないということね?」


 義姉の言葉に私が頷くと、父と兄が唸った。それを義姉が「あなた、黙っていてね? お義父様もよ?」と笑顔で黙らせた。義姉、強いな。


「噂はね、私たちの耳にも入っています。でも当のあなたが動いていなかったから、噂を知らないのかな、と思っていたの。あなたの周りはお義父様が()りすぐった人材でガッチガチに固めてあったから、あなたの耳に噂を入れる必要がないと判断したのかな、って。でも違うのね? 噂が噂で終わらなかったから、動きようがなかったのね?」


 そのとおりだった。はっきりとイクセルの口から聞いたわけではないけれど、イクセルが私じゃない人の側を選んだことは事実で、ドゥエルであることで美談になってしまった醜聞に、私は動きようがなかったのだ。


「でも、動かないとならない事情が発生した」


 息を呑んだ。……義姉の言葉に動揺してしまった。


 離縁後は旅に出るからこの家には戻らないと、父と兄に話したばかりだった。

 病気のことは離婚理由なので告げたが、余命のことは言っていない。

 最初は言う必要がないと思っていたが、今では余命を告げないことで、来年も、十年後も、私はどこかで元気にやっているのだろうと、きっとそう思ってくれるから、言わなかった。

 大事にされていると分かった途端に現金だけど、ずっと、たまにでいいから、私のことを気にかけてほしいと甘えたくなったのだ。


「……シャル? あなた、死ぬつもりなの?」


 義姉の問いに場が凍った。


「あ……」


 漏れ出てしまった言葉にならない私の声が、『(そうだ)』と言ってしまっていた。


「ち、違う、自分で死ぬつもり……じゃ、なくて」


 ああ、言わずにいたかったのに。


「病気で、もう」


 小さな小さな声だったのに、私の呟きは部屋に響いた。


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