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 お母様。

 もうすぐ私もそちらへいくようです。


 何で、って今でも思っているし、どうして、ってやっぱり涙が出てしまうんです。

 泣いて泣いて、私の中のドロドロしたものを吐き出せば吐き出すほど、もうすぐ死ぬ、ということだけがただ残って、とても鮮明に見えてしまいます。そしてどんどん迫って来るのです。


 本当は、ドゥエルになんかならずに、イクセルにずっと側にいてほしかった。

 そうしたら、今頃は子どもに囲まれていたかもしれない。

 死期は変えられないとしても、夫と子どもたちに看取ってもらえる未来があったかもしれないと思うと、悔しくて悲しくて、怒りと恨みと、これからも生きる人たちへの妬みが涌いて出てきて、どうにかなってしまいそうです。

 でも、終わりが来ることへの安堵感もやっぱりあって。


 イクセルが前線にいなかったら、もしかしたらたくさんの人が命を落としていたかもしれないけれど、他にもドゥエルはいるでしょう? なぜイクセルがその人たちの命を預からなければならないのかと思ってしまうのです。


 私こそ、もう死ぬのに。


 イクセルがドゥエルになって前線に行かなければ、心変わりしなかったかもしれない。

 そう考えると、イクセルがドゥエルになった余波を、なぜ私が一身に受けねばならないのかと、思ってしまうのです。

 前線なんてどうでもいいから、私の側にこそいて欲しかった。

 今まで歴代のドゥエルや兵士たちに守ってもらっての安全の中で生きてきたというのに、自分勝手で醜いですよね。


 イクセルへの思い、非力な自分への諦め、死ぬことへの恐怖、消えてなくなりたいと思うほどの絶望が、ぐちゃぐちゃになってヘドロのように喉に張り付いて、息ができなくなります。

 呑み込んだり吐き出したりして気持ちは落ち着いてきても、発作のようにぶり返して、その嵐が去った後に残るのは、やっぱりもうすぐ死ぬということだけで。

 そしてまた心はぐちゃぐちゃになっていくのです。


 だから、どうか、私にその時が来たら、迎えに来てくださいませんか?

 私はきっと暗闇に落ちて、自分だけが死ぬことを認めずに悪いモノになってしまう気がするのです。

 悪いモノになって、きっと、皆の不幸を願います。

 皆の幸せを願う私と、皆も死ねばいいのにと思ってしまう私と、どちらも私の中にあって、今は幸せを願う自分ですが、そのときが来たら、どちらになるか、自信がありません。


 私は、最期まで幸せを願う自分でありたい。


 だから、どうか、私が私であるうちに、私の手を引いてください。

 どうか、どうか、お願いします……お母様。







 墓所の前に手を突き頭を突き、母に願った。

 私がいなくなっても、皆幸せに生きてほしい。

 私がいなくなったら、皆不幸になればいい。

 この身の内にある心の声に囚われて、私が私でなくなるのが怖い。

 私という意識がなくなって、不幸を撒き散らす存在になってしまうことが、皆に忘れ去られるよりも恐ろしい。


 死ぬのが怖い。

 寂しくて怖い。


 生き物は皆、いつか死ぬのだ。

 私だけではなく、皆、死ぬのだ。


 分かっていても、怖くて寂しい。

 だから母に(すが)りたい。

 きっと神は……イクセルとシャルロッテを()でる神は、私には見向きもしてくれないだろうから。


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