『騎士団長は幼女に甘い(読み切りの短編連作)シリーズ』はここ♡
騎士団長は幼女に甘い〜伝説の壁ドン〜
「ジェラルド騎士団長さまの壁ドンはものすごいんですってよ!」
「まあ、本当?」
「本当よ! 壁ドンをされたら身も心もとろとろに溶けてしまいそうになるらしいわ」
「とろとろに⋯⋯? 私も壁ドンされてみたいわあ⋯⋯」
とっても甘いため息が部屋に満ちた。
ここはウィンザー侯爵家のリビングルーム。
ソファに座っているのは候爵家の五人姉妹たちだ。
姉妹たちはみんな金髪に青い目の美しい容姿をしている。
——お姉様たちったらお顔がピンク色だわ。
末っ子のリリアンは刺繍をしながらそう思った。
姉妹たちはソファに座って刺繍にはげんでいた。刺繍は令嬢たちの暇つぶしのひとつだ。
「ねえ、お姉様、『壁ドン』ってなんですの?」
リリアンは姉たちに聞いた。
「あなたにはちょっと早いわね」
姉たちはクスクスと笑って教えてくれない。
四人の姉は決して意地悪ではないが、いつも末っ子のリリアンを子供扱いするのだ。
リリアンはそれがとっても不満だった。
——わたくしはもう立派な淑女なのに! いいわ、お姉様たちが教えてくださらないのなら、自分で見てくるわ!
というわけで、リリアンはジェラルド騎士団長の『壁ドン』を見に行くことにした。
**
ジェラルド騎士団長は騎士団の陣営にいるらしいということを侍女たちから聞き出した。
「淑女らしくちゃんとして行くべきね」
リリアンはこっそり姉の部屋に入った。化粧をするためだ。
まずは白粉をたっぷりと頬に叩きつける。
「ゴホゴホッ!」
大量につけ過ぎて咳き込んだ。
「多すぎたみたいね⋯⋯」
次は口紅だ。ぐりぐりと塗ってから鏡を見てニーッと笑ってみる。
「⋯⋯」
なんだか変だ。
だけどまあいいだろう。男というものは赤い唇が好きだと姉たちが話しているのを聞いたことがある。
「さあ、出かけましょう!」
家族に知られると止められるかもしれないのでこっそりと出かける。
淑女のたしなみのパラソルも持ってきた。レースがいっぱいついた可愛くて小さなピンクの日傘だ。
パラソルをクルクル回しながら歩いていると、通りかかった人々がみんな振り向いてリリアンを見た。
「そんなに可愛いかしら?」
リリアンはふふっと笑った。
「おひとりでどちらに行かれるのですか?」
と聞いてくる紳士もいた。貴族の令嬢は普通はひとりでは歩かない。侍女やばあやを連れていくのが常識だ。
だから不思議に思われているのだろうとリリアンは思った。
「大丈夫ですわ」
ツンとすまして答えると優雅に膝を曲げて礼をしてからどんどん歩いて行った。
そしてジェラルド騎士団長の陣営に到着した。
門番が驚いて、「おひとりでいらしたのですか?」と聞いてきた。
「ええ、そうですわ」
「⋯⋯御用はなんでしょうか、お嬢様?」
「ジェラルド騎士団長の『壁ドン』を見にきましたのよ」
「え?!」
「騎士団長はどちらかしら?」
「こ⋯⋯、こちらにおいでです」
案内されたのは司令官室だった。
大きな机があってその上には地図が広げてある。きっとここで戦いの戦略を練るのだろう。
机の向こうの暖炉に片腕を置くようにして、ひとりの青年騎士が立っていた。
こっちに背を向けている。ものすごく背が高い。
黒い騎士服を着た背中がとてもたくましく広くて、リリアンはちょっとドキッとしてしまった。
門番が、「あの⋯⋯、こちらのご令嬢が、ジェラルド騎士団長の『壁ドン』をご覧になりたいそうです」と言うと、ジェラルド騎士団長はパッと振り向いた。
——うわー! とってもハンサムなお方だわ⋯⋯。
リリアンはポカンと口を開けてジェラルド騎士団長を見上げた。
背中に流れるように落ちる金色の長髪、窓から入ってくる日の光を受けて眩しいほどキラキラと輝いている。
めったに見ないほど整った顔立ちは彫像かもしれないと疑うレベルだ。
切れ長の目に、瞳は冷たく光るアイスブルー。
「壁ドンだって⋯⋯?」
戸惑ったように呟いたが、すぐににっこりと笑った。
笑うと冷たかった瞳に暖かい光が満ちていく。
とっても優しい笑顔だ。
「おひとりでいらっしゃったのですか? お名前は?」
「はい、ひとりでまいりました。リリアン・ウィンザーです。父はウィンザー侯爵です」
と言って、リリアンはレースの手袋をはめた右手を差し出した。
これが貴族令嬢の挨拶の作法だということぐらいちゃんと知っているのよ——と心の中で自分を褒める。
「侯爵令嬢でいらっしゃいましたか。お目にかかれて光栄です」
ジェラルド騎士団長は微笑みながらリリアンの手を取った。
そして軽く背を曲げ、リリアンの手の甲に顔を寄せる。
騎士団長の唇がほんのかすかに手の甲に触れた時、リリアンは自分の顔がカーッと熱くなっていくのを感じた。
こほん、と軽い咳払いをして威厳を保つ。
「もしご迷惑でなければぜひ『騎士団長の壁ドン』を見せてください」
「⋯⋯いったい、どなたからわたくしの『壁ドン』のことをお聞きになったのですか?」
「姉たちからですわ」
「ああ、なるほど⋯⋯」
ジェラルド騎士団長は長くて美しい黄金色の髪をかきあげる。そして、「うーん、困ったなあ」と呟いた。
「どうしてお困りになるのですか?」
「それはその⋯⋯。わかりました、お見せしましょう」
「はい、お願いいたします!」
リリアンはワクワクした。
——『ジェラルド騎士団長の壁ドン』っていったいどんなことなのかしら?
きっとすごい手品のようなものだろうと考えていた。
——お姉様たちがあんなに興奮するんだもの、ものすごいものに決まっているわ!
「リリアンさま、それではお見せしますよ」
「はい!」
ドンッ——!!
***
ジェラルド騎士団長はリリアンを屋敷まで送ってくれた。
ふたりで並んで歩きながらリリアンはプンプンしていた。
——がっかりだわ!
と思っていたからだ。
「そんなに期待はずれでしたか?」
騎士団長が笑いをこらえたような顔で聞く。
「失礼かもしれませんが、とってもがっかりいたしましたわ!」
「どんなことをご期待だったのでしょうか?」
「壁からドーンと薔薇の花が出てくるとか、ウサギが出てくる、とかですわ!」
「それはもしや奇術では?」
「ええ、そうですわ。『壁ドン』は手品なのでしょう? 騎士団長さまは手品がお上手なんでしょう?」
リリアンが思っていた『壁ドン』と実際の『壁ドン』は全然違った。
ジェラルド騎士団長はリリアンのそばに来ると跪き、そして壁と自分の体でリリアンを挟むようにして、壁に片手をついた。
たしかに、『ドーン』と手をついた。
だけどたったそれだけだ。壁から薔薇の花が飛び出すわけでもなかったし、ウサギが飛び出してくるわけでもなかった。
ほんとうにがっかりだ!
「それはもうしわけありませんでした」
ジェラルド騎士団長が謝る。
リリアンは、ちょっともうしわけなくなった。手品が下手だからといってそれが罪だというわけでない。
それにジェラルド騎士団長はとってもいい人で、温かい紅茶と甘くて美味しいケーキも食べさせてくれたではないか。
「わたくしの方こそ、お忙しいのに送っていただいてありがとうございました」
「リリアンさまを送らせていただいて光栄です。だけどこれからはおひとりで屋敷の外にお出になってはいけませんよ。侍女か誰かをお連れください」
「ええ、わかりましたわ」
話していると屋敷の前についた。
「リリアンが戻ったわ!」
四人の姉たちや侍女たちが屋敷から飛び出してくる。
「リリアン、いったいどこに行っていたの? ひとりで出かけたら危ないじゃないの。みんなものすごく心配したのよ!」
騎士団長はクスクスと笑っている。
姉たちはジェラルド騎士団長の前でものすごくモジモジとした。
いつもの威勢の良さはすっかり消えている。
なんだかとても面白いとリリアンは思った。
「お姉様、わたくし騎士団長さまに『壁ドン』を見せていただきましたのよ」
「えええええ!」
姉たちの顔が真っ赤になりそれからすぐに真っ青になって、慌ててジェラルド騎士団長に謝りはじめた。
「妹がご迷惑をおかけしてもうしわけありませんでした」
「いいえ、とても楽しい時間を過ごしました。どうぞお気になさらずに」
にこやかにそう答えたあと、ジェラルド騎士団長はゆっくりとリリアンの前に跪いて、自分の視線をリリアンと同じ高さにする。
それから甘くとろけるような優しい声で聞いた。
「リリアンさまはおいくつでいらっしゃいますか?」
「6歳ですわ!」
「では、10年後にもう一度挑戦させてください。きっとその時にはご満足いただける『壁ドン』をしてみせましょう」
「ええ、お待ちしていますわ」
ピンクのパラソルをくるくると回しながらリリアンはにっこり笑った。
——巨大なゾウぐらい壁から出してくれないと、わたくしは満足しませんわよ、騎士団長さま。
と、心の中で思いながら⋯⋯。
〜終わり〜
たくさんの感想を頂きすごく嬉しかったです、ありがとうございました!
追記)シリーズ化しました^ ^